NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/13


熊野本宮社 Kumano-honguu-sha Kumano Hongusha Shrine in Natori

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 名取市の高館には熊野信仰にゆかりの深い熊野本宮社(くまのほんぐうしゃ)がある。熊野信仰とは、熊野三山を聖地とする信仰のことで、同じ高館にある熊野那智神社、熊野神社新宮社とともに名取熊野三社のひとつに数えられる。
 熊野信仰は、神仏習合や浄土信仰の影響を受けて平安時代後期から盛んになった。高館山(名取山)を熊野連山に、名取川を熊野川に、仙台湾を熊野灘にみたて、奥州一の熊野信仰の場となっている。全国に熊野信仰に由来する神社があるが、三社が揃ってあるのはこの名取だけである。
 三社のなかで一番北に位置するのが本宮社である。平安末期、熊野権現を信仰していた老女のところへ山伏が尋ね、熊野の神のお告げを伝えた。保安四(1123)年、老女の勧請で創建されたという。本殿は木羽葺(こばぶき)で、落ち着いた風格である。
 本宮社には市の無形文化財の鹿踊りが伝わる。頭に鹿頭背を被り、赤地の旗には熊野本宮社、黄地の旗には五穀成就と記した二本の幟(のぼり)を背負った装いで踊る伝統的な芸態が伝承されている。
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2007/9/11


補陀寺 六角堂 Hoda-ji Rokkaku-dou 

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 気仙沼のほぼ中心に位置する、静かな境内に佇む六角形のお堂。それが補陀寺六角堂(ほだじろっかくどう)である。
 全国的には、和様円堂は八角形が一般的であり、この六角堂のように六角形をしているものは珍しい。屋根は六角錐体で赤瓦が葺かれ、内外部共に朱塗りの須弥壇(しゅみだん)となっており、板天井には墨絵が描かれている。
 建立は宝暦一二(1762)年と伝えられ、江戸中期の技巧をこらした精巧で華麗なお堂として、宮城県の指定文化財ともなっている。
 このお堂には平安末期に名取熊野神社を勧請したと伝えられる伝説上の人物、名取老女が奥州を巡礼して建てた「奥州三十三観音霊場」の一つといういわれがあり、三〇番目の札所となっている。
 その後、奥州三十三観音霊場が衰退していく中、奥州札所再興の大願成就を発願して、この六角堂が建立されたといわれる。
 八角形ではなく六角形であるところに、歴史の伝説とロマンが、もしかしたら隠されているのかもしれない。
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2007/6/8


能面 老女 Noumen Roujo Noh Mask Rojo

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 能面(のうめん)とは、能楽に用いる仮面である。
 老女(ろうじょ)は、老女小町(ろうじょこまち)とも言い、絶世の美女と世に広くうたわれた、小野小町の老残の姿であるといわれている。
 老齢ではあるが、霊的なものを感じる中にも、上品な気品や美しさをもち、内面の美しさをも描いた奥深い面である。
 年老いた女面であるが、細部は他の女面とほとんど同じで、痩せた感じはあるものの皺はなく、静かな表情をうかべた面となっているのが面白い。
 老女は、「卒塔婆小町」や「檜垣」「姨捨」や、小町の晩年を表わした「関寺小町」「鸚鵡小町」などに使用される、老いた美女・小野小町をモデルとした能面である。
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2007/3/29


毛越寺の延年 Moutsuu-ji-no-ennen 

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 毛越寺の延年は岩手県西磐井郡平泉町に位置する毛越寺で行なわれる芸能の事である。
 毎年一月二十日、常行堂の摩多羅神(またらじん)祭の最終日、「二十日夜祭」の際に行なわれる歌舞を指す。
 開山以来の秘法とされる常行三眛供の後に行なわれる。
 最初に御願円満、息災延命を願う祝詞が上げられ、続いて太鼓、笛、銅撥子らを従えた「田楽躍」が行なわれ、「路舞」「老女」「若女」「児舞」「勅使舞」などの演目が行なわれる。
 平安時代、寺院で行なわれてきた古式の芸能であり、現代にその姿を残す貴重な舞として国の重要無形民俗文化財に指定されている。
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