NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/8


田沢湖 Tazawako 

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 田沢湖(たざわこ)は秋田県仙北市にあるカルデラ湖で水深は423.4メートル、日本で一番深い湖である。カルデラ湖は火山活動で出来た大きなくぼみが湖となったものであるが、この湖がいつ頃にできたものかはまだ判明していない。
 田沢湖の名称は明治に入ってから定着したもので、それ以前は田沢の潟、辰子潟などと呼ばれていた。これはアイヌ語で「盛り上がった円頂の丘」を意味するという説もある。
 湖面は瑠璃色に輝き、幻想的な雰囲気を漂わせている。あたりは、桜の風景、新緑の風景、紅葉の風景、白銀の風景と四季を通じて印象深い景色を造りだしている。水上には近くの山にうまれたといわれる伝説のおとめ、金色のたつこ像が輝いて建っている。
 東北に位置しながら、田沢湖は冬でも水温4度の凍らない湖としても有名である。
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2008/7/22


マタギ Matagi 

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 マタギとは、東北地方や北海道で古い方法を用いて集団で狩猟を行う狩猟者集団の事で、特に青森県と秋田県のマタギが有名である。
 農業を営みつつ、計画的に且つ組織的に狩猟を行う集団で、江戸時代もしくはそれ以前から存在していた。特に村田銃が使われるようになってからは、国内各地にその猟場を求めて移動しながら狩猟を続けてきた。
 近年、秋田県阿仁町にある打当、比立内、根子の各集落から旅マタギとして各地に出かけたマタギ達が、肉や毛皮、薬などを販売しながら狩猟の技術、製薬方を伝授し、滞在した地に所帯を持ってマタギ集落を形成した事がわかってきた。
 マタギは古くより行われている方法を用いて、熊や鹿等を狩猟する。しかし現在、自然保護活動が活発化する中で、マタギ狩猟法を行う人は減ってきている。
 マタギは、独自の厳しい掟の下、獣を計画的に捕らえる、日本に古来より存在する狩猟集団である。
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2008/7/15


角館のお祭り Kakunodate-no-omatsuri Festival of Kakunodate

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 角館のお祭り(かくのだてのおまつり)は、秋田県仙北市角館地区に伝わる、三〇〇年以上の歴史がある祭りである。旧角館町の鎮守である神明社と成就院薬師堂の祭で、地域の繁栄や商売繁盛などを願い毎年九月の三日間にわたって行われる。
 この祭りの見所は何と言っても、曳山(ひきやま)である。
 各町内の武者人形や歌舞伎人形を載せた一八台の曳山は、初日には神明社へ、翌日は武家屋敷通りを通って上覧のために佐竹北家当主へ、最終日には薬師堂へと賑やかな笛や太鼓のお囃子と共に曳き廻される。
 祭りが特に盛り上がるのは、曳山がぶつかる「やまぶっつけ」の時。町内で、山車どうしがかち合った際、通行権を巡って交渉するのだが、交渉が決裂した場合は、山車をぶつけ合う。狭い道幅いっぱいにあふれた観客の熱気に包まれ、さらに盛り上がる。
 優雅だが激しい、角館のお祭りは平成三(1991)年に国の重要無形民俗文化財に指定されている。
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2008/7/11


送り盆祭り Okuri-bon-matsuri Okuri-bon Festival

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 秋田県横手市で八月一五日と一六日の二日間おこなわれる夏の風物詩が「送り盆祭り(おくりぼんまつり)」である。
 江戸時代中期の享保の大飢饉のとき、亡くなった人々の霊を慰めるために供養したのが始まりである。以前柳町だった、現中央町の町内で屋形舟を作り、柳を添えて枝に法名などを書いた短冊を吊るし、川原に繰り出すものであった。
 この祭りは、各町内から屋形舟が出発し、町を流れる蛇の崎川原まで目指して御霊を送り、その後各町内まで戻るしくみになっている。しかし御霊を送ったあと、町内に早く引き返さなければならないのに、蛇の崎橋の上で互いに道を譲らず、舟同士をぶつけ合うという、迫力あるクライマックスが待っている。
 屋形舟の寸法は約七メートル、幅が二メートル、高さ四メートル程で、重さが六〇〇~八〇〇キログラムある。担ぎ手は、一度に二〇~三〇人でおこなわれ、ひとつの町内で総勢四〇~五〇人の担ぎ手は必要である。
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西馬音内盆踊り Nishimonai-bon-odori Nishimonai Bon Dancing

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 西馬音内盆踊り(にしもないぼんおどり)は、五穀豊穣や先祖供養を願い、秋田県羽後町の西馬音内地区に伝わる伝統行事。起原は定かではないが、一説によると約七〇〇年前に西馬音に御嶽神社を勧請した折に豊年踊りを踊らせたのが始まりともいわれている。
 昭和五六(1981)年に盆踊りとしては全国で初めて、国の重要無形民俗文化財に指定された。
 笛や太鼓、三味線の囃子が櫓の上で鳴り響く中、未成年の女子は彦三頭巾をかぶり、成人の女性は鳥追い笠という編み笠をかぶって顔を隠し、亡者に変して優雅に舞う。女装した男性の踊り子もいる。
 明るいテンポの「音頭」と、静かなリズムの「がんけ」の二種類の踊り方がある。複雑で難しい足の動きにあわせた手の動きが、なんとも美しい踊りである。
 衣装は代々母から受け継がれてきた端縫いの衣装と決まっていて、衣装の柄やデザインは各自違っている。そこには古い絹や呉服を貰い受けて娘のために作ってきた、母達の長い歴史も物語られている。
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古樺細工 Furukaba-saiku 

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 古樺細工(ふるかばさいく)とは、秋田県仙北市角館町に伝わる伝統民芸である。県の有形民俗文化財に指定されている。
 樺細工は、天明年間(1781~89年)に佐竹北家により、秋田県北部から角館に技法が伝えられたのが始まりとされる。
 佐竹北家の城主に手厚く保護を受けた樺細工は、下級武士の副業として広まり、明治時代に入ると禄を失った武士が本格的に取り組み、盛んとなった。
 樺細工はヤマザクラの木の皮を用いて作られる、国内では他に見る事のできないもので、あめ皮、ちらし皮、ひび皮等12種類の木の皮を使用し、用途に応じて使い分けられている。また、仕上げられた作品に同一の物はない。
 藩政期の古樺細工12点は県指定有形民俗文化財であり、角館樺細工伝承館にて展示されている。
 古樺細工は、郷土に伝わる貴重な伝統工芸品である。
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2008/7/10


秋田八丈 Akita-hachijou 

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 秋田八丈(あきたはちじょう)は、秋田県秋田市に伝わる染織物である。県の無形文化財に指定されている。
 寛政期(1789~1804)に、現在の福島県である奥州伊達郡保原から養蚕や織物技術に秀でた石川瀧右衛門が移住し、竜門織・秋田平と呼ぶ袴地を製織したことに始まる。
 瀧右衛門はその技術を広め、当時殖産興業を奨励していた佐竹藩が養蚕・製糸・織物を指導奨励し、後に奥州伊達式のはた道具と織技法、桐生の縞織物と色彩が渾然一体となり、秋田独特のハマナスによる染色法が融合して秋田八丈が生まれたと言われている。
 八丈という名前だが、八丈島の黄八丈(きはちじょう)とは違った独自の染織物で、はまなすの根皮を染料に用いて染めた糸で、主に黄色と茶色の縞柄などを織り上げ、光沢があり、独特の渋みがあるのが特徴とされる。
 秋田八丈は、全国唯一の草木染絹織物でもある伝統の織物である。
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2008/6/23


茶釜の滝 Chagama-no-taki 

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 秋田県角館市を流れる夜明島川(よあけじまがわ)の源流部に、日本の滝一〇〇選にも選ばれた、落差一〇〇mの茶釜の滝(ちゃがまのたき)がある。
 茶釜の滝へ行くには、大場谷地からの山ルートと、夜明島渓谷からの沢登りルートがある。かなりの難所としても有名で、どちらのルートも道なき道のため、危険を伴う。特に沢登りルートは、川を渡ったり、ロープ・鎖・梯子伝いに沢を越えるため、軽装では難しい。それを乗り越え、標高約七五〇mの地点にたどり着くと壮大な眺めが広がってくる。一〇〇mの高さから飛び出す水が途中の岩にぶつかり、流れを変えながら滝壺に勢いよく飛び込む姿は見るものを飽きさせない。茶釜に注がれる水のように見えることからその名がついたという。
 人を寄せ付けない自然の厳しさと神秘性を感じさせる滝。到着した達成感もひとしおである。
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