NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/1/8


彩絵檜扇 Saiehiougi Saie-Hiogi Fans

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 彩絵檜扇(さいえひおうぎ)は、平安時代に誕生した美術品。檜の薄板で作られた扇で、豪華絢爛な彩色が美しい。
 主に宮中においての儀式に際し、公家の男女が正装する際に装身具のひとつとして用いられた。位により板の枚数が異なる。現在は熱田神社に1握、厳島神社に5握、熊野の阿須賀神社に1握を残すのみとなっている。
 糸巻の檜の薄板の表裏に、胡粉(ごふん)の下地を施し、雲母(きら)を塗る。上に金銀箔、野毛砂子(のげすなご)を贅沢に散らし、濃厚な岩絵具を使って絵柄を施す。花鳥風月や公達(きんだち)、女房などの人物をモチーフに軽妙な筆致で彩色、絵巻物のような実に華やかな趣をかもし出している。
 彩絵檜扇は国の国宝および重要文化財に指定されている。
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2007/4/10


榎原神社 Yowara-Jinja Yowara Shrine

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 榎原神社(よわらじんじゃ)は、宮崎県南那珂郡南郷町にある神社である。祭神は、天照大神。宮崎県指定の有形文化財とされる。
 万治元(1658)年、飫肥藩主伊東祐久によって、鵜戸神宮の分霊を祀ったのが創建である。
 榎原山大権現と称されて歴代藩主の崇敬も篤く、社録神領の寄進を受け、東部の鵜戸神宮と並び称せられてきた。
 宝永四(1707)年、現在の社殿が建てられた。当時は八幡造りであったが、寛政一〇(1798)年、権現造りに改装された。
 榎原神社鐘楼も貴重な遺構であり、県文化財に指定されている。
 かつては縁結びや豊作を願う若い男女などが近郷近在から押しかけ、参道は終日賑わったという。「榎原まいり」は、この風習を歌った民謡である。
 榎原神社は、霊験あらたかな、人気の衰えない神社である。
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2007/3/6


高松塚古墳 Takamatsu-zuka-kofun 

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 高松塚古墳は奈良県高市郡明日香村に位置する古墳。飛鳥時代末期のもので、直径約20メートル、高さ5メートルの二段式の円墳。内部の石室は横口式石槨(せきかく)。
 昭和四十七(1972)年の調査により発見され、石槨内部の壁面に極彩色の壁画が確認されたことで全国的に有名になった。
 壁画は天井に星宿、四方に青竜、白虎、玄武の四神と日月像、男女群像が描かれており、南壁のみ鎌倉時代の盗掘で破損している。
 現地で保存管理を行っていたが、カビや地震による石室への漏水などから、現在は古墳全体を覆屋で囲んで保護している状態である。
 内部の壁画は、隣接する高松塚壁画館で再現されたものを鑑賞することが可能で、古代の美を堪能できる。
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2007/3/1


村松虚空蔵尊 Muramatsu-kokuzouson Muramatsu-san Kokuzo-do

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 平城天皇の勅額により、平安初期大同2(807)年、弘法大師によって創建された。
 平安末期より、約500年の間、領主佐竹氏の保護を受け、近世には徳川家康公より朱印五十石を寄進され、光圀公の庇護のもと朱印寺として栄えてきた。
 本道の奥には村松大神宮があり、大神宮は桓武天皇の時代、伊勢神宮の御分霊を奉斎したと伝えられている。
 古くから13才の男女がここに参拝し災難を払い、1代の開運を祈る「十三詣り」で有名である。
 現在は真言宗豊山派に属し、伊勢の朝熊虚空蔵尊、会津の柳津虚空蔵尊とともに日本三体のひとつとして、厄払い・出世開運を祈願する多くの参拝者が訪れとぃる。
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2007/2/28


伊佐部の祇園祭 Isabu-no-gion-matsuri Gion Festival in Usabe

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 茨城県稲敷市伊佐部で7月第3土曜日に行われる祇園祭は、約300年にわたり地元の人々に受け継がれ守られている。
 この祭が行われる須賀神社は素盞嗚尊(牛頭天王)を主祭神とし、古くからこの地域の五穀豊饒と疫病退散の鎮守の神として信仰を集めてきた。
 この伊佐部の祇園祭は家廻りに年番が決まり、地区の若衆や、集落役員、神社総代が中心となって老若男女皆総出で行われる。山車は「天王さま」を先頭に、唐傘、大太刀とつづき、その山車の巡行にあわせて下座囃子と下座踊りがにぎやかに繰り広げられる。
 平成10年には、土浦出身の里美の工匠による念願の立派な山車が完成した。今では毎年この山車を中心に、伊佐部の伝統である下座の囃子と踊りを継承し、より地域の人々が集う夏祭となっている。
 また各家々では饅頭を蒸かし来客を迎えることから、饅頭祇園とも呼ばれている。
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2007/1/31


アヤ踊り Aya-odori Aya Odori (Aya Dance)

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 大分県、東国東郡姫島で毎年8月15日から17日に開催される「姫島盆踊り」で踊られる「伝統踊り」の一つ。
 姫島盆踊りは鎌倉時代の「念仏踊り」が元であるとされる。盆坪と呼ばれる踊り場が各地に作られ、踊り手たちは島内を踊り廻る。
 踊りには「キツネ踊り」「猿丸太夫」「銭太鼓」などの昔から伝わる「伝統踊り」と、毎年新たに作られる「新作踊り」があり、アヤ踊りは伝統踊りの一つ。
 北浦地区の青年男女により踊られる。男女一組で行なう組踊りであり、男子はアヤ棒と呼ばれる青竹を持ち激しく踊り、女子は何も持たないしなやかな手踊りを行なう。
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2007/1/12


下駄 Geta Geta

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 下駄(げた)は、日本の伝統的な履物の一つ。その起源は奈良平安に始まり、江戸時代、とりわけ駒下駄の現れた元禄以降に著しく発達した。江戸では、高いのを足駄(あしだ)といい、低いのを下駄といったが、二つとも差し歯である。江戸では男性用は角形、女性用は丸形である。京都、大阪は高低ともに下駄といい、男女ともに丸形であった。江戸時代では下駄もかなりの奢好品だったようだ。
 下駄は和服と合わせるのが通常だが、これは正装ではなく、普段着のものと合わせる。明治維新後しばらくは、洋装に合わせることもしばしばあったが、アスファルトの舗装が一般に広まると、和装の機会が少なくなるのと同様、履く機会が減っていった。
 ここ十年来は浴衣の人気回復や、女性を中心に和装への見直しがされ、街角で見られることも多くなった。鼻緒が痛くないよう改良されたものも出回るなど、時代に合わせた改良も見られる。
 主な生産地としては、広島県福山市松永地区があり、ここで日本の総生産量の6割が出荷されている
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