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隈府城(わいふじょう)は熊本県菊池市にあった城である。
正平年間(1346~1369年)、南北朝時代に九州で南朝の中心的存在であった菊地氏が築城したものである。そのため、菊池城ともいわれている。後に菊地家の家老であった隈部親永(くまべちかなが)が城主となった。羽柴秀吉が九州を平定してから、隈部親永は佐々成政(ささなりまさ)の配下となったが、検地に反抗し一揆を企てたため、佐々成政に攻めこまれ城は落城、隈府城は廃城となった。
現在は、空堀や土塁を残すだけで、本丸跡には明治時代に菊地氏を祀る菊地神社が建立されている。
境内には資料館が設けられ、この地の歴史を知ることが出来る。また、記念碑も設けられ、広場には菊地武光公の像も建てられている。地元では桜やツツジの名所としても有名な場所である。
正平年間(1346~1369年)、南北朝時代に九州で南朝の中心的存在であった菊地氏が築城したものである。そのため、菊池城ともいわれている。後に菊地家の家老であった隈部親永(くまべちかなが)が城主となった。羽柴秀吉が九州を平定してから、隈部親永は佐々成政(ささなりまさ)の配下となったが、検地に反抗し一揆を企てたため、佐々成政に攻めこまれ城は落城、隈府城は廃城となった。
現在は、空堀や土塁を残すだけで、本丸跡には明治時代に菊地氏を祀る菊地神社が建立されている。
境内には資料館が設けられ、この地の歴史を知ることが出来る。また、記念碑も設けられ、広場には菊地武光公の像も建てられている。地元では桜やツツジの名所としても有名な場所である。
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