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2008/9/1


岩滑新田 神明社の祭礼 Yanabe-shinden Shinmei-sha-no-sairei 

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 岩滑新田(やなべしんでん)神明社の祭礼は、愛知県半田市岩滑の神明社にて毎年4月中旬の土日に行われている神事である。
 神明社は、元禄四(1691)年、天照大神を祭祀としたのが始まりとされる。
 山車祭りは大正初期に始まったが、祭りの担い手である青年会の解散により昭和二九(1954)年、一時は途絶えた。しかし昭和五二(1977)年、再び復活した。
 祭礼では、前日の夕方から提灯で飾った岩滑新田の山車、平井組神明車と奥組旭車が引き出される。山車の彫刻は新美常次郎の手によるものであり、丁寧で美しい。本祭りの日は神明社から秋葉社、津島社を経て、神子、三番叟、神楽が奉納される。
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2008/8/14


福井 お水送り Fkui Omizu-Okuri 

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 福井のお水送りは、福井県小浜市の若狭神宮寺にて行われる神事である。
 若狭神宮寺は天台宗の寺で、本尊は阿弥陀如来。和銅7(714)年、泰澄大師の弟子、沙門滑元が創建したと伝えられる。
 天平勝宝四(752)年、インドの渡来僧・実忠和尚が国家安泰を祈願してお水送りを創始した。お水送りが始まった年は東大寺の大仏造営の翌年であり、大仏造営にあたって大量の水銀などを使用した鉱物汚染を若狭の清らかな水で清浄化したとも推定される。
 毎年3月2日、この鵜の瀬で行われる「お水送り」は、鵜の瀬で大護摩に火を灯し、炎が遠敷川の川面に燃え広がるなか、鵜の瀬の水が奈良へ送られる。若狭地方では「お水送り」が終ると春が来るとされている。
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神幸祭 Shinkousai 

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 神幸祭(しんこうさい)とは神社の祭礼のことで、神社に祀られている神霊が宿っているとされる神体を神輿などに移し、集落の御旅所(おたびしょ)を回ったり、元の鎮座地に行幸したりする神事である。
 神霊を神輿に移し、巡幸のために境内から出すことを宮出し、戻って来ることを宮入りという。
 御神体を乗せて宮出しされた神輿は、氏子達も大勢繰り出し勇壮豪快に、あるいは雅やかに渡御行列が行われる。神職や稚児、巫女が加わり、お囃子や太鼓などの音楽が奏でられる中の大行列になる神事もある。夜間に行われたり、海の中で行われたりと様々である。
 御旅所に着くと御神体の前で、獅子舞などの神事が奉納され、神社へ戻ってきたり、さらに次の御旅所へ進んだりする。
 神社に戻ってくると御神体を還す還御祭が行われ、神事が終わりとなる。
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2008/7/31


伊勢大神楽 Ise-ookagura Ise Ookagura

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 伊勢大神楽(いせおおかぐら)は伊勢神宮への参拝ができない地域の人々のために各地を廻り、神楽を奉納するという神事で、約六〇〇年もの歴史をもつという。
  伊勢大神楽は、獅子舞の「舞」と放下芸(ほうかげい)とよばれる「曲」の二つの構成から成るという。放下とは、現在でいう大道芸を指す。
 大神楽はゆっくりとした優美な、鈴の舞で始まる。「神来舞(しぐるま)」や、猿田彦が眠る獅子の周りを跳び回るユーモラスな「跳の舞」などが披露される。
 曲と呼ばれる放下芸は、木の棒を自由自在に操る「綾採の曲(あやとりのきょく)」、五穀豊穣を祈願し長い棒で皿を回す「皿の曲」など多種多彩である。放下芸師と道化師の掛け合いを楽しむものなどもあり、最後は「魁曲(らんきょく)」で締めくくられる。
 昭和五八(1983)年に、国の重要無形民俗文化財に指定され、一二の社中からはじまった伊勢大神楽は、歴史ある文化を後世に残すために、現在でも数組の社中が日本各地を訪れているという。
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2008/7/30


鵜祭 U-matsuri 

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 鵜祭(うまつり)は、石川県羽咋市(はくいし)にある気多大社(けたたいしゃ)にて一二月一六日に行われる神事である。
 厳冬の深夜に鵜をもってして吉凶を占うという珍しい祭りで、平成一二(2000)年二月に国重要無形民俗文化材の指定を受けた。
 毎年一二月一〇日頃、七尾市鵜浦町の鹿渡島で鵜を一羽だけ生け捕りにする。この瞬間から鵜は神として崇められ「鵜様」と呼ばれる。葦で編まれた籠に丁重に納められた鵜様は、三人の鵜捕部(うとりべ)に交代で背負われ、気多大社まで約四〇キロメートルの距離を運ばれる。一行は、路上に出て賽銭をおとし手を合わせる人々に見送られながら、一歩一歩を踏みしめつつ、ゆっくりと大社を目指す。実に三日間の旅路である。
 一二月一六日の午前三時、いよいよ神社で神事が営まれる。二本のロウソクの灯りだけで神職と鵜捕部の問答がおこなわれた後、鵜を神前に向けて放つ。この鵜の跳躍によって翌年の吉凶が占われるという。大役を終えた選ばれし鵜は、その後一ノ宮海岸へ運ばれて、闇の空へと放たれる。 
 
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2008/7/23


綾広の滝 Ayahiro-no-taki 

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 綾広の滝(あやひろのたき)は、御岳山のすぐ西の懐を流れる御岳沢にある滝のことで、落差10メートル、滝壺の深さ1・2メートルある。
 古来より武蔵御嶽神社の禊(みそぎ)の神事がおこなわれる神聖な滝で、「修行みそぎの滝」とも言われている。
 滝の手前には中里介山(なかざとかいざん)著書の「大菩薩峠」の登場人物・お浜にちなんだ「お浜の桂」の木がひっそりとたたずんでいる。大菩薩峠は幕末が舞台で、剣士である主人公・机竜之助が、甲州大菩薩峠に始まる彼の旅の遍歴と、周囲の人々の様々な生き様を描く話である。
 この滝周辺は、御岳ロックガーデンと呼ぶ岩石園である。養沢川の源流である七代の滝(ななよのたき)から綾広の滝までの道を整備して公園にしたもので、奥御岳の奥入瀬といわれている。
 この道は約1・5キロメートルあり、苔むした岩が多く点在する渓流沿いを歩きながら、東京とは思えないほどの自然を間近に感じとることができる。
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2008/7/17


諏訪湖 お神渡り Suwako Omi-watari  Omiwatari (Passage of the Gods) at Lake Suwa-ko

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 諏訪湖のお神渡り(すわこのおみわたり)は、長野県諏訪市にある諏訪湖にて、冬期に見られる自然現象であり、同時に古くより続く伝統の神事でもある。
 お神渡りとは、諏訪湖が全面凍結する際に、湖の中央部の氷がせり上がって氷の山が走る現象で、昔から、諏訪の人々はそれを神々が湖を渡った跡だと信じて「お神渡り」と呼んできた。
 というのも、諏訪には諏訪大社があるが、その上社本宮と下社が諏訪湖を挟んで南北に分かれている為、この時期、神々が氷結した湖上を渡って行き来をするのだと考えられていたからである。
 お神渡りが観測されると、八剱神社(やつるぎじんじゃ)の神主により、御神渡りの亀裂の入り方などを過去の記録と照らし合わせ、その年の天候、豊作・凶作、世相などを占う神事が執り行われる。
 諏訪湖のお神渡りは、自然が織り成す神事である。
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2008/6/18


廣瀬大社 Hirose-taisha 

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 奈良県北葛城郡河合町にある廣瀬大社(ひろせたいしゃ)は、水の守り神として知られている。ご主神は、若宇加能売命(わかうかのめのみこと)で、佐保川・初瀬川・飛鳥川など、大和盆地を流れる全ての川がひとつに合流する地に祀られている。
 創建は、崇神天皇九(前89)年といわれ、廣瀬の河合の里長に御神託があり、一夜で沼地が陸地に変化し、橘が数多く生えたことが天皇に伝わり、この地に社殿を建て祀られるようになったという。
 生駒郡三郷町に鎮座する龍田大社の龍田風神と深い縁があるとされ、廣瀬神社と龍田大社にて、風水を治め、国家安泰を祈願したといわれている。
 境内入口にある朱色の鳥居から参道を歩くと、正面に拝殿があり、後方に春日造の朱色の本殿がある。
 拝殿前は一面砂で覆われている。これは毎年二月一一日に催される御田植祭「砂かけ祭」によるもので、拝殿前の広場を田圃に見立て、田植の所作を行なう神事である。五穀豊穣と雨水の多量を願い、牛の面を被った牛役、お百姓と早乙女が登場し、神事がおこなわれる。
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