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東京都小金井市「江戸東京たてもの園」の三井八郎右衛門邸は、昭和二七(1952)年に麻布笄(こうがい)町(現在の港区西麻布三丁目付近)に建てられた。
一階に客間、食堂、厨房、配膳室など、そして二階に夫婦の寝室、浴室、仏間などがある間取りとなっている。
戦火で焼失した三井総領家の邸宅建設にあたり、各地の三井家の建物から部屋が移築され、建築部材や石材が集められた。京都にあった客間は明治三〇(1897)年頃、そして食堂、土蔵なども明治期のものである。
和室の客間はカーペット、テーブルに椅子というスタイルで、天井には剪綵(せんさい)と呼ばれる色糸や絹布などで作った細工物が施されている。階段上には、今では珍しいチェコガラスの豪華なシャンデリアがあり、すぐ隣の仏間の襖の引手にはターコイズカラーの七宝焼がはめ込まれている。
この建物は、和と洋を拮抗させた空間に満ち溢れ、まさに江戸から明治、昭和の三井家のエッセンスがいたるところに凝縮されている。
一階に客間、食堂、厨房、配膳室など、そして二階に夫婦の寝室、浴室、仏間などがある間取りとなっている。
戦火で焼失した三井総領家の邸宅建設にあたり、各地の三井家の建物から部屋が移築され、建築部材や石材が集められた。京都にあった客間は明治三〇(1897)年頃、そして食堂、土蔵なども明治期のものである。
和室の客間はカーペット、テーブルに椅子というスタイルで、天井には剪綵(せんさい)と呼ばれる色糸や絹布などで作った細工物が施されている。階段上には、今では珍しいチェコガラスの豪華なシャンデリアがあり、すぐ隣の仏間の襖の引手にはターコイズカラーの七宝焼がはめ込まれている。
この建物は、和と洋を拮抗させた空間に満ち溢れ、まさに江戸から明治、昭和の三井家のエッセンスがいたるところに凝縮されている。
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