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廃寺の名前は伝わっておらず、所在する地域名が舞木町であることから、舞木廃寺塔址(まいぎはいじとうし)で呼ばれている。
出土遺物から奈良時代に建立されたと推測されているが、境内の建物の配置などを含め、実際にどのような寺であったのかはまだ不明だ。ただ残っている塔の礎石(そせき)を見る限り、当時この地方では最大の寺院だったと考えられている。
塔の心礎は直径1.6mのほぼ円形の花崗岩(かこうがん)。中央には舎利容器を安置する直径15cm、深さ4cmの舎利孔が彫られている。その周囲には幅35cmの柱座が環状に彫られており、複雑で精美な加工となっている。
採集されている資料は、瓦製の蓮弁・瓦塔片・軒丸瓦・丸瓦・平瓦などの出土遺物だけである
遺跡として、昭和四(1929)年に国重要文化財に指定された。
出土遺物から奈良時代に建立されたと推測されているが、境内の建物の配置などを含め、実際にどのような寺であったのかはまだ不明だ。ただ残っている塔の礎石(そせき)を見る限り、当時この地方では最大の寺院だったと考えられている。
塔の心礎は直径1.6mのほぼ円形の花崗岩(かこうがん)。中央には舎利容器を安置する直径15cm、深さ4cmの舎利孔が彫られている。その周囲には幅35cmの柱座が環状に彫られており、複雑で精美な加工となっている。
採集されている資料は、瓦製の蓮弁・瓦塔片・軒丸瓦・丸瓦・平瓦などの出土遺物だけである
遺跡として、昭和四(1929)年に国重要文化財に指定された。
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