NIPPON Kichi - 日本吉

記事数15件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/3/7


宝福寺 三重塔 Houfuku-ji Sanjuu-no-tou 

Jp

 総社市の北西、秋葉山の山すそにたたずむ宝福寺(ほうふくじ)は、この地に生まれ後に画聖と称えられた雪舟が、少年時代に修行した寺。絵ばかり好んで経を読もうとしないので、寺の僧は雪舟を仏堂の柱にしばりつけた。しかし床に落ちた涙を足の親指につけ、床にねずみを描いたところ、僧はその見事さに感心し、雪舟が絵を描くことを許したという。山門近くには、柱に縛られた姿の雪舟のブロンズ像が置かれている。
 境内に立つ三重塔(国指定重要文化財)は、墨書銘から南北朝時代の永和二(1376)年に建てられたものであることが判明。岡山県下では二番目に古い三重塔である。高さ18・47m、本瓦葺、丹塗りで、軒の出が深く、室町時代初期の寺院建築の風格を備えている。
 塔内初層には須弥壇(しゅみだん)が設けられ、大日如来と脇侍四天王が安置され、天井には天女の絵が描かれている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/12/21


錦織寺 Kinshoku-ji Kinshoku-ji Temple

Jp En

 錦織寺(きんしょくじ)は、比叡山延暦寺の三代座主であった慈覚大師が、夢のお告げに従って松の霊木を探し出し、御堂を建て、毘沙門天王像を安置したのが始まりとされている。
 それから三百数十年後の文暦二(1235)年、親鸞(しんらん)が本尊に阿弥陀像を安置し再興した。言い伝えでは、再興中に天女が下ってきて、蓮糸で織った錦を仏前に献じたという。このことから朝廷より「天神護法錦織之寺」という寺号を賜り、錦織寺の名となった。
 広い境内には、県指定文化財である本尊を安置する阿弥陀堂、親鸞の真影のある御影堂、他重厚な宝蔵・書院・講堂・鐘楼がある。
 火災も多かったが、東山天皇から大宮御所の一部を下賜されたという宮御殿は当時のままであり、親鸞が大著「顕浄土教行証文類」を書き終えた様子の絵像「満足の御影」など貴重な寺宝類が数多く残されている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/12/6


赤野観音堂 Akeno-kannon-dou Akeno Kannondo Hall

Jp En

 赤野観音堂(あけのかんのんどう)は、静岡県沼津市柳沢赤野にある真言宗の寺である。本尊は十一面観音像で、堂と本尊は共に市の有形文化財に指定されている。
 天平三(732)年、行基菩薩一刀三礼の作と伝わる十一面観音菩薩を本尊として開山された。
 江戸時代より、駿河一国三十番札所及び横道十五番札所として知られている。
 現在の堂は寛永一三(1637)年に左甚五郎が再建したものと伝えられる。
 建物は唐様式の鏡天井で、天井には竜、正面の壁には天女の舞姿が描かれている。
 境内には目通り3・9mのカヤと、3・72mのナギの大木があり、それぞれ市指定天然記念物とされ、樹勢も盛んである。
 赤野観音堂は、現在は広大寺により管理されている、古寺である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




東福寺 五百羅漢 Toufuku-ji Gohyaku-rakan The Frescos of Five Hundred Rakan at Tofukuji Temple

Jp En

 東福寺(とうふくじ)は、静岡県賀茂郡西伊豆町中にある臨済宗の寺である。本尊は、阿弥陀如来。
 天福年間(1233~1234)に建立され、天福寺と称されていたが、嘉元年間(1303~1305)に、現在地に再建され、東福寺となったと伝えられている。
 五百羅漢は、東福寺本堂の天井に描かれている漆喰画で、仏師・田村利光により四年八ヶ月の歳月をかけて作製された。
 羅漢とは、仏道の修業者又は悟りを開くために修業中の修業僧の意で、中央に描かれた龍とそれを取り巻く五百羅漢、四方に配した天女からなる天上界の図は迫力満点である。
 田村利光は通称・のんべえやす、とも言われた酒飲みで、五百羅漢は大正末期に完成させている。
 東福寺の五百羅漢は、現代でも立体的で綺麗な色彩に驚嘆する、漆喰の天井絵である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/10/24


北海道 羽衣の滝 Hokkaidou Hagoromo-no-taki Hagoromo Falls

Jp En

 羽衣の滝は、北海道上川郡東川町、大雪山の天人峡に流れ落ちる、北海道を代表する名瀑だ。日本の滝百選にも選ばれている。
 高さ270mから水が滑り落ち、日本第3位の落差を誇る、迫力ある滝だ。断崖を7段に渡って岩肌を伝い落ちるきめ細やかな滝の流れは、その名の通り天女の羽衣を思わせる。
 この滝は、明治三四年頃発見され、当時は夫婦滝と呼ばれていたが、大正時代の文人・大町桂月が天女が羽衣を翻して舞っているような滝の美しさに感銘を受け、「羽衣の滝」と命名したと言われている。
 階段を登れば、上の段の滝を間近で見ることができる展望台がある。優美な水流は、涼感たっぷりである。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/9/11


鳳鳴四十八滝 Houmei-shijuuhattaki The Homei Shijuhattaki Falls

Jp En

 鳳鳴四十八滝(ほうめいしじゅうはったき)は宮城県仙台市青葉区を流れる広瀬川上流、国道48号沿いにある滝である。
 大小様々な滝が折り重なるように流れる鳳鳴四十八滝。その一番大きな部分の滝は、かつて棒目木(ぼうめき)の滝と呼ばれたこともあった。鳳凰の名の由来は「滝の音が重なりあい、それが伝説の鳥である鳳凰の鳴き声に似ているから」といわれているが、諸説あり、明確なことは不明である。
 周辺は鬱蒼とした木々に囲まれ、滝の涼やかな音だけが響き渡る。滝は絶壁部分を流れ落ちていくため、体を乗り出して覗きこまねば全体像を見ることが出来ない。見るのには少し勇気がいる滝である。
 滝の上部は大きな釜がいくつもつながったように見える。水流が釜から釜へ連続して滑り落ち、岩に砕け散りったものが白い泡のように見える様はいつまでも飽きさせない。
 その昔、天女が降りて舞を踊ったという伝説が残されているが、それがまるで真実であるかのように思える地である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/8/10


勝手神社 Katte-jinjya Katte Shrine

Jp En

 勝手神社(かってじんじゃ)は、奈良県吉野町吉野山にある神社である。祭神は、大山祇神・木花咲耶姫命ほか3神。
 吉野八社明神の一つとされる。
 672年、壬申の乱の折、吉野に兵を挙げた大海人皇子(天武天皇)が、この神前で琴を奏でていると天女が舞い、吉兆を示したという伝説がある。
 1185年には、雪の吉野山で源義経と別れた静御前が追手に捕らえられた際、この社殿の前で雅な姿で法楽の舞いをまい、居並ぶ荒法師たちを感嘆させたという話が伝えられている。
 社殿は火災による焼失後、安永5(1776)年に再建されたものであったが、2005年、不審火により再び焼失してしまった。
 現在は一部に当初の木肌を残すのみで、有形文化財としての復興は難しいと言われている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/6/29


天人峡 Tennin-kyou 

Jp

 天人峡(てんにんきょう)は、北海道旭川市から北上して1時間の山間部に位置する。外界と完全に隔絶された場所にある天人峡は、「秘境」の名にふさわしい美しい渓谷美が楽しめる場所である。
 天人峡といえば忠別川に落ちる「羽衣の滝」が有名である。落差270mの、豊富な水量を誇る荒々しい流れの滝である。羽衣の滝から徒歩で20分ほどのところには「敷島の滝」がある。高さはさほどないが、本流にかかるだけあって圧倒される水量だ。
 また、天人峡には、数々の奇岩があることでも知られる。天津岩(あまついわ)」は、大雪山の火山群が噴火した軽石・火山灰などが高温のまま溶け合って凝固した柱状の柱状節理の岩である。そのほか天女が羽衣を失くし、泣いていた涙がいまだに岩に流れているという羽衣伝説の残る「涙岩」など、見どころは豊富だ。
 天人峡は、自然の作り出した造形の不思議に心癒される「やすらぎ」の場所である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数15件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter