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2007/9/19


秋目浦 Akime-ura 

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 秋目浦(あきめうら)は、鹿児島県南さつま市坊津町秋目にある景勝地である。
 正面岬と呼ばれる岩山が北方より海上に突き出しており、その付け根に向かって南よりえぐり込む様に湾を形成する、こぢんまりとした入江である。
 天平勝宝五(753)年、唐の高僧・鑑真和上が、盲人となりながらも6度目の挑戦でやっと日国への上陸を果たした地として知られる。
 近隣の秋目浦を見下ろす斜面には、鑑真記念館と上陸記念碑が建っている。
 鑑真記念館では、当時の様子を伝える「東征伝絵巻」の代表的場面の電照パネルや、秋目上陸を再現したスライドやジオラマ模型、中国で作製された鑑真大和上座像の複製などが展示されている。
 秋目浦は、箱庭のような美しい景観を誇るリアス式海岸である。
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2007/9/13


秀麓斎 Shuuroku-sai Shurokusai Temple

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 名取市にある高舘山は標高二〇四メートルで高い山ではないが、平坦な名取平野に浮き出ているため、山頂からの見晴らしはよく、市街地をはじめ太平洋、金華山を眺めることができる。
 この高舘山の山麓に曹洞宗の寺である秀麓斎(しゅうろくさい)がある。熊野新宮社の別当寺で、奥州三十三観音霊場の第二番札所として知られる。
 坂上田村麻呂が東征の際に戦勝を祈願し、観音菩薩を勧請したのが始まりといわれ、本尊の聖観世音菩薩は運慶作といわれている。
 この寺は仙台藩主伊達政宗の書斎でもあったために、寺号の秀麓寺を秀麓齋と改め、現在もその名で呼ばれる。寺号を「斎」とするのは全国でも珍しい。 
 また、境内には立派なもみじで知られている「利勝(りしょう)の紅枝垂」がある。
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2007/8/13


千万町神楽 Zemanjou-kagura Zemanjo Kagura Dance

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 千万町神楽(ぜまんじょうかぐら)は、愛知県岡崎市千万町町に伝わる伝統民芸である。県の重要無形文化財に指定されている。
 起源は、日本武尊東征の際、海が荒れて一行が対岸に渡れなくなったので、弟橘姫尊(おとたちばなひめのみこと)が波の静まるのを祈願、舞を踊り海に身を投じた故事によるものといわれている。
 文永三(1266)年、藤原弘真によって創祠された八剣神社(やつるぎじんじゃ)では、祭神として日本武尊を祀っており、宝歴元(1751)年には祭礼余興として千万町神楽を拝殿で舞ったという記録が残されている。
 神楽では、女装の獅子と才蔵が演者となる。実際の演技では、才蔵が面白い所作で悪魔を喜ばせて鎮魂退散させる「獅子の舞」からはじまり、慎ましい「鈴の舞」の後に場所を移し、歌舞伎外題が次々と演じられる。
 千万町神楽は、神話より連なる伝統の郷土芸能である。
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2007/8/9


佐倍乃神社 Saeno-jinja Saeno Shrine

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 佐倍乃神社(さえのじんじゃ)は、宮城県名取市にある旧号・笠島道祖神社(かさじまどうそじんじゃ)といわれた、由緒ある神社だ。
 社伝によれば、景行天皇四十(110)年に天皇より東征を命ぜられた日本武尊がこの地に勧請したのがその始まりとされ、この際、道祖神としても崇められる猿田彦が道案内として随行していたことから、道祖神を祀り、創建されたと伝えられている。
 大永二(1522)年に本殿が造営されて以降は、伊達政宗公ら仙台藩の歴代藩主達に篤く尊崇され、政宗公直筆の神額や古刀剣などが収蔵されている。
 祭神である猿田彦神(さるたひこ)は道の神として、また一緒に祀られている天鈿女命(あめのうずめ)は夫婦の神であり、二神が共に生活の道を守ることから縁結びや夫婦和合の神として崇められ、毎年四月二十日の例祭日には県の無形文化財に指定されている出雲流の「道祖神神楽」が奉納される。
 歴史の重みあるこの神社で拍手を打てば、ひょっとしたらなにか道が開けるかもしれない。
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2007/7/27


多賀神社 Taga-jinja Taga-jinjya Shrine

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 多賀神社(たがじんじゃ)は宮城県仙台市にある、仙台でも最古の神社である。
 その興りは、今からおよそ千八百年以上も前の景行天皇四十(110)年、天皇より東征の命を賜った日本武尊が、この地に勧請したのが始まりとされている。
 その後は、この地方の守護神として崇められ、この地を収めた領主や武将にも篤く祭祀されていくこととなる。
 仙台に居城を構えた仙台藩祖・伊達政宗公も例外ではなく、仙台藩の歴代藩主達に篤く尊ばれ、第七代藩主重村公により安永四(1775)年には社殿造営の普請が行われている。
 また、古くから延命の神として「お多賀様」の愛称でも親しまれ、境内に植えられている桜などが、シーズンになると訪れる人々を華やいだ雰囲気で迎えてくれる。
 参道は通学路にもなっており、登下校する子供たちの姿も見られる。
 勧請から千八百有余年。歴史のロマン漂うその神社は人々の生活に溶け込み、そして今も親しまれ、大事にされている。
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2007/5/29


上州武尊山 Joushuu-hotaka-yama 

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 上州武尊山(じょうしゅうほたかやま)は、群馬県利根郡みなかみ町、川場村、片品村の境にある標高2158mの火山である。日本百名山の一つに選ばれている。
 武尊山は、沖武尊を主峰とし、前武尊山、剣ヶ峰、獅子ヶ鼻山など2000m級の峰が山頂部を形成する火山である。
 名前の由来は、日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際に登ったという伝説に基づいている。また、山頂近くには日本武尊の像が建っている。
 ブナの原生林は景観も素晴らしく、その奥に点在する湿原と笹原には、登山道を埋め尽くすかのようにマイヅルソウやイワカガミが群落し、大自然があふれんばかりに息づいている。
 上州武尊山は、荒廃が少なく自然がそのままに残されている、貴重な山である。
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2007/5/7


五太堂 Godaidou 

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 五太堂(五大堂、ごだいどう)は、宮城県の松島の小島にある。本尊は、五大明王(大聖不動明王・東方降三世・西方大威徳・南方軍荼利・北方金剛夜叉)で、大同二(807)年、坂上田村麻呂が東征のおり、毘沙門堂を建立したのが開創である。
 後に、慈覚大師が延福寺(瑞巌寺の前身)を開いた際、五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれるようになった。
 五大堂の正面に掲げられる額に「五太堂」とあるが、筆の遊びで「大」が「太」になったといわれ、故に、五太堂とも称される。
 現在の建物は、慶長九(1604)年に伊達政宗が再建したもので、桃山式建築手法の粋をつくして完工されたものである。国の重要文化財に指定されている
 五太堂は、東北三十六不動28番にも数えられる古刹である。
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2007/4/11


湯之宮座論梅 Yunomiya-Zaronbai Yunomiya Zaronbai Plum Garden

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 湯之宮座論梅(ゆのみやざろんばい)は、宮崎県児湯郡新富町新田湯之宮に広がる梅林である。国の天然記念物となっている。
 座論梅という名前は「ザロミ」という梅の種類から名づけられたとも、佐土原・高鍋両藩の間に梅林の所有争いが起こった時、この地で座して論議したからとも伝えられる。
 伝承によると、神武天皇東征のとき、、この地で湯を浴びて休憩した神武天皇は梅の枝を突きたてたまま発った。その後それが芽をふき元木となって成長して、今日のようになったという。
 神話とは別に、元は1株の梅が四方に枝を這わせ、その枝が幾度か地をくぐって増えたと言われており、約80株の梅林となった。
 花は白色一重の小輪で、2月の上旬から中旬にかけて開花する。春には梅祭りも行われている。
 湯之宮座論梅は、神武天皇ゆかりの神話に連なる名所である。
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