NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/10


鏡蓋根付 Kagamibuta-netsuke 

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 鏡蓋根付(かがみぶたねつけ)とは、根付のうち、蓋と皿を組み合わせて作られたものをいう。蓋はほとんどが金属製で円盤状になっており、浮き彫りなどの彫刻が施されている。皿の部分は象牙や堅い木が使われている。
 根付は、江戸時代にお金を入れるための巾着(きんちゃく)や煙草入れ、矢立て、印籠(いんろう)などの提げ物(さげもの)が帯から落ちないよう、紐で留めるために用いた留め具のこと。おおむね一九世紀半ばまでのものを古根付(こねつけ)、それ以降のものを現代根付(げんだいねつけ)と呼んで区別している。
 江戸時代初期は実用性を重視した簡素なものが多く、時代と共に装飾性も重視されるようになり、江戸時代中期に入って爆発的に流行した。明治時代に入ると海外から高い評価を得て輸出が盛んになり、その後、一時衰退に向かうが、近年になって様々な分野から技術者や多種多様な素材が参入。再び注目されつつある。
 今日は古根付・現代根付ともに日本独特の文化を伝える美術品として扱われ、海外での評価が高い。
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2007/11/19


【吉】 Kitsu,Kichi Luck, Good Luck

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 小さな鉞(まさかり)つまり「士」を祝詞の器「口」の上に置く形です。今から50年前に、「口」が人体の口ではなく、祝詞の器をあらわすことが白川文字学ではじめて証明されました。
 大きな鉞の頭部を象る「王」という字体からもわかるように、武器である鉞には大変な霊力が宿っていると一般に考えられていました。そして祝詞の器「口」の上に物を置くことは二重の蓋をしていることを表す悟(吾)と同じです。ここでは武士階級の小さな鉞ですが、さらに祈りの効果を上げるために広く人々の行った行動と思われます。そのため、これは軍事のことをも含めて、一般に祝禱(しゅくとう)に用いられます。
 一神教でも神様にお願い事をすることはありますが、東洋の宗教のように願い事の現実化の可能性を問う吉凶判断はありません。神社で御神籤(おみくじ)をひくことがよくありますが、一神教ではそれはまったく考えられません。吉凶判断で人々に人生を反省させるという宗教観は、東洋には本来自分の祈りごとをはっきりとさせるという基本伝統があることを示しているのではないでしょうか。
 
■ 吉・金文(きんぶん)左
■ 吉・甲骨文(こうこつぶん)右
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2007/10/23


聞香炉 Monkouro 

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 聞香炉(もんこうろ)は、香道で用いる、香木を加熱し、香気を発散させる目的で用いる、蓋を持たない器である。
 火気を使用する関係上、材質には不燃性、耐熱性が求められる。そのため、陶磁器や金属、石材などで作られていることが多い。
 香道は、室町時代におきた日本の伝統文化であり、仏教と共に日本に伝えられた香は、平安時代には個人の趣好・知的感覚により薫物が作られ、室町時代・東山文化隆盛の頃に、香木を使用する聞香形式が整え出された。
 通常一対で用いられ、青磁、染付等の少し大きめの蕎麦猪口のようなもので、高さは6~8cm、直径は6~7cm、底には3つの高台が付いている。
 聞香炉は、香道において、自然を感じ、四季を想い起こさせる香りの世界を堪能するための、優雅で高尚な香道具である。
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2007/10/15


【仁】 Nin,Jin Humaneness, Benevolence

Jp En

 昔から、中国・越南(現在のベトナム)・韓国・日本などに、広く伝わる東洋思想の代表的な倫理概念です。それは孔子の教えや儒教が広がったからです。この字がまったくの抽象的な概念になる前の経緯が気になります。確かに孔子の時代にはすでに漢字の原点についての詳しい知識が失われていたので、そういう意味では操作・利用しやすい字でもありました。
 「にんべんと二という数字の組み合わせではないか」という俗説がよく聞かれます。「二人の間」から「人間の間の倫理」という意味にまで抽象化され、仁義礼智信という儒教の根本概念の一つになったという説があります。確かに、旧字体はにんべんですが、右の部分の解釈が大事になってきます。
 実は漢字の中に数字がそのままの意味で要素として表現されることはありません。旧字体でない常用漢字の字形に見えても、抽象的なものが漢字の中の要素として表現されるという考えは俗説の特徴です。
 例えば、「悟」に出てくる「五」の部分も数字とは関係がなく、その下の「口」が表す祝詞の器をしっかりと閉めている木製の二重蓋を表しています。また人間二人を示すのには「比」という字などがほかにあります。
 基本的に漢字に出てくる要素は人・物です。古代社会にあったものですから、にんべんの形は人間が座ろうとする時の姿、そして右の部分はその敷物だと考えられます。東洋なので、椅子ではなく、敷物・古代の座布団のようなものです。そのことから仁という抽象倫理概念までのちょっと違う道筋があきらかになります。つまり人に敷物をすすめるという心です。
 まさにホスピタリティー、お客さん・たずねびとへの配慮のような心構えではないでしょうか。本来はそういう温かい気持ちをあらわす概念なのです。
 
■ 仁・金文(きんぶん)
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2007/5/10


金沢漆器 Kanazawa-shikki 

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 漆塗りの上に、金や銀で絵模様を描いたものを蒔絵という。石川県に伝承されている金沢漆器には、この蒔絵の中でも加賀蒔絵と呼ばれる蒔絵が施されている。
 江戸時代、加賀藩三代藩主・前田利常が、京都から蒔絵の名工・五十嵐道甫を招いたことから金沢漆器の歴史が始まったとされる。。
 金沢漆器は茶の湯の文化とともに栄え、現在も茶道具を中心に日常の食器や調度品として人々の心を魅了している。
 黒や朱色の漆器に金箔や螺鈿(らでん)を使用して絢爛豪華な模様が施される金沢漆器。華麗で品のある重厚な存在感がきわだつ。棗の蓋を開けたときに優美な蒔絵が現れる、小さな幸せ。金沢漆器は、茶の湯文化に欠かせない大切な茶器である。
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2007/4/9


岐阜和傘 Gifu-Wagasa 

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 岐阜和傘は岐阜県に古くから伝わる工芸品である。
 和傘は、中国から伝わったのが始まりとされ、当初は貴人に用いる携帯型の天蓋である「おおがさ」として用いられていた。その後、室町時代に入り和紙の防水加工や竹細工などの技術が向上し、現在の折り畳みが可能な形状に変化した。
 岐阜で和傘造りが行われ始めたのは江戸時代中期、加納藩藩主、永井尚陳が藩財政の建て直しと下級武士の窮状打破として和傘造りの内職を奨励したのが始まりとされている。
 武家は骨削りやろくろ、町人は紙張りなどの分業により確立した技法は現在にもしっかりと伝わり、多くの工程と職人の手を渡り一本の傘として作り上げられる。
 現在も野点傘、舞踊傘、番傘などの様々な種類が作られ、華やぎを失わない伝統工芸品である。
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2007/3/6


岡寺 Oka-dera 

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 岡寺は奈良県高市郡明日香村、岡山の中腹に位置する真言宗豊山派の寺院。正しくは龍蓋寺(りゅうがいじ)であり、岡寺は通称。山号は東光山、西国三十三ヶ所、第七番札所。
 天武天皇の勅願により、早世した草壁皇子の宮である岡宮を与えられた義淵僧正が開基したと伝えられる。
 本尊は如意輪観音坐像、奈良時代の作で塑像としては日本最大の4・6メートルの高さを誇り、重要文化財に指定。日本三大仏の一体でもある。
 境内には寺名の由来である、義淵僧正が法力により池に龍を封じた龍蓋池がある。この故事から日本最初の厄除け寺と言われ、鎌倉時代の水鏡にも記述がある。
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伝飛鳥板蓋宮跡 Den-asuka-itabuki-no-miya-ato 

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 伝飛鳥板蓋宮跡(でんあすかいたぶきのみやあと)は奈良県高市郡明日香村から出土した、飛鳥時代の遺構を指す。
 皇極天皇の宮であり、皇極四(645)年、中大兄皇子が中臣鎌足と共に蘇我入鹿を殺害して、大化の改新の場となった土地である。その後、斉明天皇として再び即位した際にも宮としている。
 板蓋宮跡の名が付くが、これは古代から板蓋宮の遺構があるとして付けられたもので、出土したものは飛鳥浄御原宮(あすかきよみはら)の遺構と言われる。板蓋宮は更に下層に埋まっていると言われており、現在も発掘、調査が行なわれている。
 史跡公園として当時の形に広場や井戸を石敷きで復元し、飛鳥の都を今に伝えている。
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