NIPPON Kichi - 日本吉

記事数4件: 1~4 件表示          

2008/9/10


京印章 Kyou-inshou 

Jp

 京印章(きょういんしょう)は京都で作られる印章(判子)のことである。
 印章は、聖徳太子の飛鳥時代に中国から伝わったといわれ、大宝律令で国の制度に印章が取り入れられた。
 京都では平安時代になると天皇の印などが作られるようになり、時代とともに印章は天皇、公家、武士、豪商と使われるようになっていった。
 江戸時代に日本最初の印半師が京都三条に住んでいたといわれる。その後、京都では数多くの印半師が活躍し、京印章は芸術的にも優れた文化として現在に受け継がれている。
 京印象は中国の漢の時代の作風を引き、当初は、書体が中心であったが、平安時代後期には風雅を好む花印(かおう)も多様されるようになった。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/7/10


束帯 Sokutai Sokutai

Jp En

 束帯(そくたい)とは、平安時代以降の天皇以下、公家男子の正装である。昼装束(ひのしょうぞく)ともいわれる。
 「論語」公治長篇の「束帯して朝に立ち」という言葉から取った名称で、帯で束ねた衣服の意があり、装束一揃いをさす。
 構成は、冠を被り、下着の上に単(ひとえ)を着、紅の大口袴と表袴(うえのはかま)をはいて衵(あこめ)、下襲(したがさね)、長い裾(きょ)を引き上に袍(ほう)を着て、更に石帯という石飾りのある革ベルトで留める。
 令制における官人の勤務服である朝服が変化したもので、宮中における正装で、武官や中務省の官人、勅許を得た参議以上の公卿は帯剣し、時代の変遷と共に儀式に用いる儀礼的な服となっていった。
 文官の着る縫腋(ほうえき)の袍と、武官の着る活動しやすい闕腋(けってき)の袍に大別される。
 束帯は、伝統ある、日本の天皇・公家・武官が用いる正装である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/11/22


浅沓 Asagutsu 

Jp

 浅沓(あさぐつとは)屋外で執り行われる神事の際に神官が履く靴のことをいう。
 浅沓の歴史は古く、奈良時代の書物にその存在が記されている。もともとは公家や貴族の履物であったと言われている。
 その独特の光沢と重量感から木製であるように思われているが、実は和紙を幾重にも重ねて作られたものであり、内部には布が敷き詰められ、足の甲の部分には絹製の綿が詰められている。靴の表面には漆が何重にも塗られ、見事な光沢が品格すら感じさせる。製造には職人の巧みな技と精神が注がれており、和紙で作られているにもかかわらず、非常に硬く、しっかりした靴となっている。威厳と品格を重んじる神官の靴として独特の趣を醸し出している。
 江戸時代に入ると、伊勢神宮のある伊勢地方でも江戸時代から浅沓の製造がはじまり、現在でも昔ながらの技法を守り作られ続けているという。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/11/12


烏帽子 Eboshi 

Jp

 烏帽子(えぼし)とは、平安時代から近代にかけて被られた、長くて黒い帽子の事である。
 古代の帽子で、平安時代には公家は円筒状の立烏帽子、武家は少し先が折れた折烏帽子を着用した。
 冠から派生していると考えられ、文字どおり烏の羽根のように黒い漆が塗布されている。
 平安時代以降になると、身分の貴賤にかかわらず成人男性が被った帽子を指し、被り物をしていない頭を人前に晒す事は恥辱とされていた。
 当初は布で作られていたが、15世紀頃より紙に漆を馴染ませて強度を持たせた紙製の烏帽子が出現し、江戸期にかけて一般化するとともに、烏帽子の大型化に伴って頭頂を剃り上げる月代(さかやき)が普及し、一般民衆に烏帽子を被らない事が定着していった。
 烏帽子は、中世日本の成人男子にとって、基本となる服飾である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数4件: 1~4 件表示          
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter