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2008/10/17


北風原 羯鼓舞  Narai-hara Kakkomai 

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 北風原の羯鼓舞(かっこまい)は、千葉県鴨川市北風原(ならいはら)で伝承されている伝統芸能である。
 毎年七月の第四日曜日に、北風原地区の春日神社の例祭として、請雨山(しょううさん)の愛宕神社の獅子神楽と一年交代で奉納されており、どちらも愛宕神社境内で行なわれている。
 その起源は定かではないが、一説には室町時代の天文年間(1532~1554)、安房国主であった里見義実(さとみよしざね)の命により、雨乞いと豊作を祈念して始められたと伝えられている。
 雄獅子と雌獅子、中獅子からなる三匹の獅子が、腹につけた雅楽や能楽用の鼓である羯鼓を軽快な調子で打ちながら舞い踊られる、三匹獅子舞の形態をとっている。
 恵みの雨が降ることを天に託した、農民たちの切なる願いが込められたその舞いは、県の無形民俗文化財にも指定されており、今も保存会の人々により、脈々と受け継がれている。
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2007/12/28


棚沢獅子舞 Tanazawa-shishi-mai 

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 獅子舞は奥多摩地方に古くから多くの地域に伝承されている伝統芸能である。棚沢獅子舞(たなざわししまい)は毎年八月、熊野神社の祭礼に奉納されるものである。
 時期は定かでないが、文政年間(1819~1829)に、奥氷川神社の獅子舞から伝わったものが始まりといわれている。
 祭礼当日は早朝より、村内の拝所巡りが行われる。まず熊野神社で社殿を七周する「宮詣り」が奉納された後、山の神、愛宕神社、獅子宿、将門神社、不動堂、正法院などの舞を各地で披露し、熊野神社に戻ってくるという。
 構成は三匹獅子に花笠四名、囃子方三名、笛方、唄方各数人名ずつとなっている。唐草模様の衣装を身につけた獅子舞達の、躍動感のある舞は、勇壮で美しいものである。
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2007/12/11


青梅 愛宕神社 Oume Atago-jinja 

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 青梅市柚木町ある愛宕神社(あたごじんじゃ)は、標高五八四メートルの愛宕山にある。多摩川の上流域にあたる奥多摩を支配していた三田氏の居城、辛垣城(からかいじょう)の鎮護のために創建された神社である。
 三田氏はもともと青梅の勝沼城が本城だったが、北条氏が滝山城に進出したとき辛垣城に退いている。のちに北条氏に攻められ、三田氏は永禄六(1563)年に滅んでしまう。
 境内には桜とつつじが植えられており、花の名所として知られている。境内の長い石段の両側には、四月中旬頃から朱色の山つつじが咲き乱れ、別名「つつじが丘」とも呼ばれ親しまれている。石段を昇ると社殿があり、青梅市内を見渡すことができる。
 また、奥宮にあたる本社は愛宕山の頂上にあり、ご神体は勝軍地蔵である。火難除けの信仰が厚く、江戸時代には社領二〇石を付与された。
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2007/11/5


野村乙亥大相撲 Nomura-otoi-oozumou 

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 四国カルストの急峻な山々に囲まれた愛媛県西与市野村町に、百五十余年の伝統を誇る野村乙亥大相撲(のむらおといおおずもう)がある。地域の一大行事で、開催中は町中が興奮と熱気に包まれる。
 相撲の歴史は大火災から始まった。江戸時代の嘉永五(1852)年、出火した炎は町の東地区を中心に数百棟を焼き尽くした。町民は愛宕山に火除けの神様として愛宕神社を祀り、旧暦十月の乙亥の日を選んで、三十三結びの火鎮祈願相撲を行ったという。
 現在は大相撲幕内力士、幕下上位力士、アマチュア相撲界の有名大学選手、実業団選手を招待し、各地区代表の一般選手や町内の小中高生が参加して、二日間にわたり熱戦が繰り広げられる。個人戦・団体戦のほか、稚児の土俵入り、関取の相撲指導、初切(しょっきり)などが行われる。
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2007/8/7


仙台 愛宕神社 Sendai Atago-jinja Atago Shrine in Sendai

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 宮城県の仙台総鎮守にあたる神社が愛宕神社(あたごじんじゃ)である。
 元々は山形県米沢に鎮座していたが、天正十九(1591)年に仙台藩祖・伊達政宗の移動に伴い、岩出山を経てかつては天狗山とも呼ばれた現在の愛宕山に遷座されることとなった。
 その名残か、境内にある楼門の両脇には愛宕大神の使いといわれる大天狗とからす天狗の座像が今も訪れる人を出迎えてくれる。これら両座像は、日本でも最大の天狗の座像だといわれている。
 現在の社殿は慶長八(1603)年に伊達政宗が造営したもので、市指定の文化財にもなっている。
 祭神は火の神である軻遇土神(かぐつちのかみ)で、この神社で行われた火防の祭は、城下を挙げてとくに盛大に行われたという。
 境内には展望台も設けられており、眼下に清流広瀬川を望め、訪れる人に杜の都の景勝をもたらしてくれる。
 ここを訪れた正宗公も、同じように仙台の町を見下ろし眺めていたのかもしれない。
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2007/7/31


田林神楽 Tabayashi-kagura Tabayashi Kagura

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 宮城県丸森町に存在した丸森城。
 その、今は亡き城の本丸跡にある田林愛宕神社に伝わる伝統芸能が、田林神楽(たばやしかぐら)である。
 現在の島根県にあたる出雲国でいち早く始まったとされる十二神楽が伝えられたものとされており、演目や演舞の方法なども、典型的な十二神楽である。
 舞いは、舞台の清めと神の降臨のために、素面で榊や太刀などの採物をもって舞う採物舞(とりものまい)と、神話などを題材として面をつけ、舞踊劇風に舞う神楽能の二つに分けられる。
 演目は猿田彦から始まり、「猿田彦」や「うずめ」、「田の神」など、須佐之男命の「出雲切り」までの十二座の神々の功績を称える舞が行われ、国や自然の平穏と作物の豊穣を祈り、災厄を払って幸福を祈願する神楽として舞われる。
 日本を創りし神々の演舞は、荘厳さと優美さが混在した古来の信仰を今に伝えている。
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2007/4/23


愛宕神社 Atago-jinja 

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 地元民には「あたごさん」の名で親しまれている愛宕神社(あたごじんじゃ)は京都市右京区、愛宕山の山頂に位置する神社である。
 大宝年間(701〜704)に役小角と僧泰澄により開基されたと伝わる。神仏習合の社寺であり、修験道の修行の地としても信仰を受けた。
 祭神は伊弉冉尊(いざなみのみこと)、全国900余の愛宕神社の総本社でもある。
 古来より防火、鎮火に霊験あらたかと言われ、「火廼要慎(ひのようじん)」のお札は京都では多くの家庭に祀られている。また、3歳までにお参りをすると一生火難に遭わないという言い伝えがあり、多くの親子連れも参拝に訪れている。
 山頂から京都市内を一望できる隠れた眺望の地としても知られる。春には一月遅れの桜が咲き誇り、訪れる参拝客を楽しませている。
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2007/4/5


一條大祭 Ichijou-taisai Ichijo Taisai Festival

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 土佐の小京都、中村の祭りで高知県下三大祭の1つ。
 応仁の乱を逃れて中村に下向し町を築いた一條家(一条家)の遺徳を偲ぶ盛大な祭りで、市民には、「一条公さん(いちじょこさん)」と親しまれている。
 祭りの中心となる一條神社(中村御所跡)は市街地の中央に盛り上がった小森山にあるが、この丘にもともとあった愛宕神社を一条教房が中村下向のとき他へ移し、この丘を中心に御所を構えた。
 天正年間に土佐一条氏は中村を追われたが、慶長一二年(1607)、遺臣により一条氏数代の霊をまつる祠が建てられ、その後文久二(1862)年、中村御所跡にあった一条家御廟所跡に、一條神社が建立された。一條大祭はそのとき以来盛大に行われるようになった。
 境内には藤見の御殿跡や化粧の井戸など一条氏ゆかりの旧跡が残る。
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