NIPPON Kichi - 日本吉

記事数4件: 1~4 件表示          

2008/8/1


棗 Natsume 

Jp

 棗(なつめ)は、茶器の一種で抹茶を入れるのに用いる木製の漆塗りの蓋物容器であり、植物の棗の実に形が似ていることからその名が付いたとされる。
 足利時代後期の塗師、羽田五郎により茶人、村田珠光に納めたものが最初とされるが、詳しい由来は定かではない。
 江戸時代初期までは棗が茶器に限らず用いられていたようで、元来は薬などを入れていた黒漆塗りの器の一種だと考えられており、茶器として一般に定着したのは千利休が好んだことも理由の一つとされている。
 こうした経緯もあって、単純な黒漆塗りのものだけでなく、茶室の趣ある書院飾りでも映えるように豪華な蒔絵が施されるようになり、今のような華やいだ茶器へと至ったとされている。
 その形も「利休型」と称される大棗・中棗・小棗を基本形として多くの種類が存在し、今も茶室の亭主座の傍らで、侘び・寂びの演出に一役買っている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/1/28


信楽焼 Sigaraki-yaki Shigaraki Pottery

Jp En

 信楽焼は、滋賀県甲賀市信楽町で焼かれる伝統陶磁器である。
 天平時代に聖武天皇が紫香楽宮(しがらきのみや)を造るにあたり、瓦を焼いたのが始まりで、日本六古窯の1つに数えられる。
 鎌倉時代から始まり、室町・安土桃山時代には茶道具の生産が盛んに行われた。江戸時代には登り窯によって、茶壷をはじめ多種多様な生活雑器が作られた。
 現在では生活に根ざした、土の持つ味わいを生かした製品が多く作られている。
 信楽焼の特徴は、信楽特有の土味を発揮して、登窯、穴窯の焼成によって得られる温かみのある火色(緋色)の発色と、自然釉によるビードロ釉と焦げの味わいに特色づけられ、土と炎が織りなす芸術として「わびさび」の趣を今に伝えている。
 昭和51(1976)年、国から伝統的工芸品の指定を受ける。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/1/26


笹ヶ尾石仏群 Sasagao-sekibutugun Sasagao Stone Buddhas

Jp En

 笹ヶ尾石仏群は、大分県日田市天瀬町に存在する、石仏群の総称である。
 ここには、高さ30cmから等身大までの立像や座像が、合わせて100体程も存在し、大師堂を中心に小高い岩山に巧みに配置されている。
 岩山には石の階段が設けられており、すぐそばには疲れたものがしばし休息を取れるように水のみ場も設置されている。
 石仏は、大小それぞれ岩山のあちらこちらに散らばり、その顔は様々な表情を刻んでいる。
 地蔵たちは、それぞれ苔むしており、雪に覆われた冬景色などでは、ぽつねんとした日本の詫び・寂びを感じさせてくれる。
 笹ヶ尾石仏群は、広く人々に知られていない穴場であり、厳しい風情に心打たれる場所である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/1/12


江戸くみひも Edokumihimo Edo Braiding

Jp En

 江戸くみひも(東京くみひも)は、渋い味わいと気品の高さが特徴の、東京の名産品である。
 日本は世界でも珍しいくらい紐の発達した国だと言われる。単に物を縛ったり継いだりするだけでなく、結び方、結ぶ紐の色、結びの配置などにより吉凶・性別・身分までを表現するものであった。
 起源は江戸時代以前に遡る。中国や朝鮮を経て伝えられ、幕府の開設で武具の需要が高まり、生産が盛んとなった。やがて、わび・さびの要素を加えて精緻なものへと発展していく。
 その用途は広く、現代帯締めや羽織ひもなど、今でも日常生活には欠かせないものとして広く使われている。
 江戸くみひもは、お経の巻き物や袈裟、貴族の礼服の添帯、兜や鎧のおどし糸や刀の柄巻など、多方面に活用される、わび・さびを感じさせてくれる工芸品である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数4件: 1~4 件表示          
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter