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2008/9/8


阿久比谷虫供養 Agui-dani-musi-kuyou 

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 阿久比(あぐい)谷虫供養は、愛知県知多郡阿久比町にて毎年9月23日の秋分の日に開催されている行事である。県指定の無形民俗文化財とされる。
 虫供養は、農作物を収穫するために殺生した虫の供養のため念仏を授ける行事で、融通念仏の始祖・良人上人(1072~1132)の教えにより、平安時代から始まったとされている。
 現在、阿久比谷では町内13地区の持ち回りで当番を受け持ち、当番になる地区では寒干しや土用干しを行いながら1年の準備をかけ、虫供養当日を迎える。
 会場には7つの番小屋と大道場が建てられ、午後1時頃になると道場から「南無阿弥陀仏」の念仏が聞こえ、百万遍念仏が始まる。訪れる者は、小屋の前で静かに手を合わせ、虫供養と豊作の感謝をする。
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2008/8/1


鎌田流棒の手 Kamata-ryuu-bou-no-te Kamata-ryu Bo-no-te

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 天正の時代、岩崎城主丹羽勘助氏次(にわかんすけうじつぐ)が領民達の武術の指南役として鎌田兵太寛信(かまたへいたひろのぶ)を家臣として迎えた。寛信は武術の達人で特に棒術を得意としていた浪人であった。
 後に「小牧・長久手の戦い(こまき・ながくてのたたかい)」においては勇戦した寛信であったが、戦後は戦没者の供養のため仏門に入り諸国を行脚した。
 郷里尾張を訪れた際、村民の懇願で、当地に鎌田流の道場を開設。やがて「鎌田流棒の手(かまたりゅうぼうのて)」は三河地方にも広まっていった。
 その後、農民の戦力であった棒の手は長い歴史を経て、農村の若者が演ずる農民芸能として神社の祭礼に奉納される行事となっていった。
 独特の掛け声で一・一メートルの棒を操る勇壮な姿は見物である。県の無形文化財に指定され、次の代に伝えるべく熱意を持つ人々によって今もなお技が磨かれ受け継がれている。
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2008/2/8


壬生寺 Mibu-dera 

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 京都府京都市中京区にある寺。
 奈良時代の創建と伝えられ、正暦二(991)年、大津にある三井寺(園城寺)の僧・快賢が再興して「小三井寺」と呼ばれた古刹である。中世には円覚上人が寺を再興し壬生狂言(壬生大念仏狂言)を興した。壬生寺は京都三大狂言の一つである壬生狂言を伝える寺として、今も京の庶民に親しまれている。また幕末には、新撰組がこの寺を「兵法鍛錬場」として使用したことから、新撰組のゆかりの寺としても有名である。境内の壬生塚には、近藤勇の銅像や隊士の供養搭などが残っている。
 壬生狂言が演じられる「大念佛堂」、秘仏である辧財天が祀られている「弁天堂」をはじめ、五仏錫杖頭(ごぶつしゃくじょうとう)(重要文化財)や列仙図屏風(れっせんずびょうぶ)(長谷川等伯筆・重要文化財)などや、室町時代の作を含む190点もの狂言の面を今に伝えている。
 今も、壬生の地の人々の中にある寺である。
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2007/10/23


一迫町鹿踊 Ichihazama-chou-shishi-odori Ichihasama Shishi-Odori (Deer Dance)

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 一迫町鹿踊(いちはざまちょうししおどり)は、宮城県・一迫町で毎年7月に行われる、東北固有の文化・郷土芸能である。鹿の面を付けた演者が踊る、祖先供養を主とした魔よけの儀式で、400年以上昔から伝わる伝統芸能である。
 伝説によると、伊達政宗の時代、一迫町付近でひとりの猟師が岩倉山麓(いわくらさんれい)で、腹を叩きながら面白おかしく踊り狂う鹿の群れを目にし、あまりの楽しさにその輪に入って一緒に踊ったという。
 鹿踊では、雄鹿と雌鹿に扮した演者が、お互いの愛情を確認するシナリオに沿って狂喜乱舞数する踊りが披露される。
 一迫町鹿踊は、郷土色豊かな格調の高い神事。宮城県の無形民俗文化財にも指定されている。
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2007/10/5


綾渡の夜念仏と盆踊り Ayado-no-yoru-nenbutsu-to-bon-odori 

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 綾渡(あやど)は足助(あすけ)の東方に位置し、小さな集落は民話の里として知られる。この地に数多くの文化財を有する古刹、平勝寺(へいしょうじ)がある。毎年八月一〇日と一五日には、境内で「夜念仏(よねんぶつ)と盆踊り」が行われる。
 夜念仏は、新仏と呼ばれる一年内に亡くなった人の霊を慰めるために回向(えこう)を手向ける行事のことで、一方の盆踊りは、新仏供養の後、故人をしのんで楽器を使わずに歌い踊る手踊りのことをいう。かつては広範囲で行われていたが、今では綾渡の里だけとなった。その綾渡も過疎化によって担い手の青年の数が減り、継続が危ぶまれたことから、昭和三五(1960)年に保存会を結成。以前は新仏のある家々を回っていたものが、現在は平勝寺境内でのみ行っている。
 綾渡の夜念仏と盆踊りは、「盆に行われる芸能の古風な姿を伺わせ、芸能の変遷の過程と地域的特色を示すものとして特に重要である」ことから、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
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2007/9/7


福岡の鹿踊・剣舞 Fukuoka-no-shishi-odori Ken-bai The Deer Dance and the Sword Dance in Fukuoka

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 福岡の鹿踊・剣舞(ふくおかのししおどり・けんばい)は、宮城県仙台市泉区に伝わる民俗芸能。
 剣舞は慶安ニ(1649)年に、鹿踊は寛政四(1792)年に、それぞれこの地の福岡村、現在の白石市に伝えられたといわれている。
 両者は一対の踊りである。当初は両方とも祖先供養のためのものであったが、後に、鹿踊は天災や自然からの難を逃れ五穀豊饒を願うため、剣舞は悪霊を退散させ、天下泰平を祈り演じられるものなった。
 装束、唯子、踊歌、舞振等の様式や慣行は古い修験道の信仰の形を色濃く残している。
 岩手県の南部から宮城県北部にまで広く分布する鹿踊の流祖ともされている。
 元和元(1615)年に伊達秀宗が四国宇和島藩主に任した時に伝えたといわれる鹿踊も、この踊りの特色を強く伝承している。
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2007/9/6


耕龍寺 Kouryuu-ji Koryuji Temple

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 耕龍寺(こうりゅうじ)は、宮城県名取市増田北谷にある曹洞宗の寺である。
 応仁元(1467)年、室町時代前・中期の守護大名である伊達家第十一代・天海持宗によって開創された、伊達家ゆかりの古寺である。
 初代住職は持宗の第五男で、新潟県村上市の耕雲寺からやって来たという。
 山門は、伊達藩家老職・片倉家の居城であった白石城の門の一つを明治の初めに移築したもので、総ケヤキの素木造、屋根は切妻造の瓦葺で、薬医門類似形式の雄大な構えをしている。
 境内には、伊達家持宗夫妻の供養塔と言われる五輪塔2基がひっそりと佇んでおり、春には紅白の花桃三本が咲き誇る。
 耕龍寺は、立派な山門を持つ、長い歴史を誇る寺である。
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2007/8/31


清水目 八ッ鹿踊 Suzunome Yatsushika-odori 

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 清水目八ッ鹿踊(しずのめやつしかおどり)は、一迫(いちはさま)に伝わる伝統芸能で、長い「ささら」をつけて踊るのが特徴である。「ささら」とは、竹や木などを束ねて作製される道具のことをいい、舞踊などの時、装身具の一部としても用いられる。
 大変迫力のある踊りで祖霊供養を主とし、魔除の踊りでも知られている。伊達政宗の時代から一門の白河家より「おかかえじし」として保護育成された。
 古典的で勇壮な踊りとして、昭和四六(1971)年に県の民族芸能文化財に指定された。
 牡鹿の背には「行参」と書かれた文字が書いてある。仙台の藩祖伊達政宗がこの踊りを大変気に入り、毎年青葉城に来て踊るようにと「行参」という二字を賜ったからだ。また、伊達一門の九曜の星の紋を許され、格式の高い郷土芸能として受け継がれている。
 鹿踊(ししおどり)は福島・宮城・岩手・山形県に共通し、盆の祖霊供養に集落の各戸を巡ったという。
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