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2008/8/1


鎌田流棒の手 Kamata-ryuu-bou-no-te Kamata-ryu Bo-no-te

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 天正の時代、岩崎城主丹羽勘助氏次(にわかんすけうじつぐ)が領民達の武術の指南役として鎌田兵太寛信(かまたへいたひろのぶ)を家臣として迎えた。寛信は武術の達人で特に棒術を得意としていた浪人であった。
 後に「小牧・長久手の戦い(こまき・ながくてのたたかい)」においては勇戦した寛信であったが、戦後は戦没者の供養のため仏門に入り諸国を行脚した。
 郷里尾張を訪れた際、村民の懇願で、当地に鎌田流の道場を開設。やがて「鎌田流棒の手(かまたりゅうぼうのて)」は三河地方にも広まっていった。
 その後、農民の戦力であった棒の手は長い歴史を経て、農村の若者が演ずる農民芸能として神社の祭礼に奉納される行事となっていった。
 独特の掛け声で一・一メートルの棒を操る勇壮な姿は見物である。県の無形文化財に指定され、次の代に伝えるべく熱意を持つ人々によって今もなお技が磨かれ受け継がれている。
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2008/6/27


魚魚あわせ Toto-awase Toto-Awase (Fish Card Memory Game)

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 魚魚あわせ(ととあわせ)は、日本人に馴染みの深い魚を地域別に集め、魚偏の漢字と色とりどりの千代紙・色紙の切り絵を使って生まれたユニークな絵あわせカルタ。企画・製作は、京都府宮津市の「丹後魚っ知館(うおっちかん)」の魚魚(とと)工房。
 2003年春の発売以降、絵柄の美しさと魚の種類や漢字の勉強になることからファミリー層を中心に人気を集め、販売合計個数は十万個を突破。2005年にグッドデザイン賞、2006年にグッド・トイ賞を受賞。現在、地方別に一一種類が販売されている。朱色や群青色など日本の伝統色を用いた箱、千代紙の繊細な模様を取り込んだカルタは、和のテイストに貫かれており、札には魚のミニ知識が添えられている。英語版の「Sushi Bar」は、海外へのお土産として好評。
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2007/11/16


【清】 Sei Clean, Pure, Clear

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 清は氵(さんずい)と青をあわせた字で、篆文(てんぶん)ではじめてみられます。文字学では部首は必ずしもいつも概念を示すものではないのですが、これは部首が示すとおり、 本来も水の清さをいいます。その意味の根本は「青」にあり、そしてこの色は漢字成立当時の美意識を表しています。青の下部の要素は丹で、丹(硫黄を含む土石で顔料となった)を掘るための井戸(丹井)のなかに丹があることを意味します。青色の丹もその井戸から採取されました。上部の要素は生であり青々と生えている草をあらわします。
 漢字を作り出したのは中国古代王朝の殷の聖職者ですが、その後の周と違って殷の民族は沿岸民族または沿海に近い地域の民族です。現代でも船乗りは入れ墨をすることがありますが、特に沿海の民族には入れ墨、文身などが多く、それは当時の宗教観を表現するものでした。
 青は「聖なる色」として儀式で清めのためにつかわれていました。青銅器という呪器の青も偶然ではありません。青と合わせて朱も呪鎮の意味をこめて使われました。文身や祭器に飾られた色には悪霊を払う呪禁の力が宿っているとされていました。漢字の世界は呪術の世界でもあるのです。
 フォン・ゲーテやショーペンハウアーなどの色彩論でもあきらかにされていますが、聖なる色としての青・朱は強く視覚にうったえることは確かです。中でも、青は特に穏やかな、鎮めと清めの効果のある、呪鎮に最もふさわしい色と考えられました。
 
■ 清・篆文(てんぶん)
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2007/11/9


牡丹色(ボタンイロ) Botan-iro 

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 元は薬用として栽培されていた中国原産の牡丹。その美しく妖艶な花は「花の王」として愛好され、そして多くの歌に詠まれ、絵に描かれてきた。日本国内で文学に登場したのは枕草子が最初だとされている。
 その牡丹の花の色に因んで名づけられた日本の伝統色が、濃い紫紅色を指す牡丹色(ぼたんいろ)である。
 平安時代、宮廷の女官達は着物を何枚も重ね着し、その表に表れる衣色の配列を「重ねの色目」として、草や花に見立て季節などを表現していた。牡丹色はその頃より装束に取り上げられるようになったとされている。明治時代に入り、少しずつ化学染料が使われるようになってから、牡丹色は更に濃く鮮やかな赤紫色に染め上げられた。
 紅とは異なる、紫がかった華やかな色合いの着物は、多くの女性に爆発的な支持を得、愛されたのだと伝えられている。
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2007/11/1


丹藤川渓流 Tandougawakeiryu The Tando River

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 渓流には鮎、ヤマメ、イワナが豊富に生息しており、渓流釣りの宝庫となっている。
 秋の紅葉はもちろんのこと、季節ごとに情緒あふれる風景を見せ、澄んだ水のやさしいせせらぎはどの季節でも変わることなく、心にやすらぎを与えてくれる。
 ただ誰も歩く気配のないこの渓流に独りで入るのは、異様な雰囲気と、危険箇所の多い歩道のため、注意が必要である。
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2007/10/23


福知山城 Fukuchiyama-jou 

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 福知山城(ふくちやまじょう)は、京都府福知山市内記にあった城である。
 天正八(1580)年ごろ、丹波平定に成功した明智光秀が城を築いたのが始まりとされている。
 以来、戦国の中、城主が交代しても順次整備が進められ、慶長五(1600)年ごろに完成した。
 明治五(1872)年、廃城令で取り壊され、石垣と銅門番所だけが残されていたのだが、昭和六一(1986)年、3層4階の天守閣が再建された。
 天守閣内部は郷土資料館として公開され、城や福知山にかかわる歴史資料を展示している。
 城跡は、現在城址公園となっており、ほぼ本の丸部分が残されている。天守台を含む各郭の石垣は野面積みで、明智光秀の築城当時のままの姿を留めている。
 福知山城は、戦乱の世が偲ばれる明智光秀ゆかりの史跡である。
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2007/10/19


蛭ヶ岳 Hiru-ga-take Mt. Hirugatake

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 蛭ヶ岳(ひるがたけ)は、神奈川県相模原市と足柄上郡山北町の境界線上にそびえる標高1673mの山である。
 丹沢大山国定公園に属し、丹沢山塊の最高峰であるとともに、神奈川県の最高峰でもある。
 かつて蛭ヶ岳の山頂には薬師如来や毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)、八海山大神などの仏像が祀られていて、別名、薬師岳とか毘盧ヶ岳(びるがたけ)と呼ばれる。
 名前の由来は、毘盧ヶ岳が転じて蛭ヶ岳になったとも、山に蛭が多いからとも言われている。
 丹沢登山の基地である大倉からのアプローチは相当な時間を要し、その頂上に達するまでにはかなりの体力を必要とするが、天気が良ければ頂上から富士山や南アルプス、八ヶ岳、奥秩父などの山々を一望することができる絶景の地となっている。
 蛭ヶ岳は、丹沢山地を代表する景色の良い山である。
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2007/10/17


安土城跡 Azuchi-jou-ato Azuchi Castle Ruins

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 安土城跡(あづちじょうあと)は標高一九九mの安土山の裾野一帯に残る、歴史上に名を残す、織田信長の居城跡である。
 安土城は安土・桃山時代の幕開けとして、天正四(1576)年から三年の歳月をかけて、織田信長に命じられた丹羽長秀によって築城されたとされる。
 当時の最高の建築技術を駆使して造られたといわれ、また贅を尽くした壮麗な天守閣を持つ、非常に豪華な城郭であったといわれている。その僅か三年後、信長が倒れた本能寺の変の後に焼失して廃城となったという。焼失の原因は定かではない。
 城主の地位を感じさせる奥行きのある石垣、あちこちに建つ礎石、道の縁側に使われている石仏、焼失を免れた仁王門など、随所に長い歴史のロマンを感じさせる名城跡である。
 国特別史跡に指定され、城内石段の改修や天主(天守)・本丸跡の発掘調査、学術調査などが現在も行われている。
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