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2008/9/5


滝原の顕拝 Takihara-no-kenbai 

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 滝原の顕拝(たきはらのけんばい)は、宮城県仙台市太白区に伝わる県指定の民俗芸能で民俗文化財でもある。室町時代に広まった念仏踊をルーツとした、古態の念仏剣舞である。仙台では剣舞は多いが顕拝と記されているものは他にはなく、いわれは不明である。
 現在は伝教大師の弟子である慈覚大師によって建立された、秋保大滝不動尊の春祭に演じられている。
 踊りの装束(しょうぞく)は、日天役と月天役の踊手がその「建物」を、他の者は幣束(へいそく)を立てたざんぎりをかぶり、面を付け、長袖、裁著、襷、手甲脚絆、白足袋、切緒の草鞋をはき、剣を振り回しながら踊る。
 笠回しは長袖、腰帯、広帯、白足袋、切緒草鞋の女装で、紅白それぞれの幕を垂らした笠をかぶる。二つの笠には能で演じられる松浦小夜姫の人形と大蛇の作りものが乗せられている。
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2007/9/18


津貫豊祭太鼓踊り Tsunuki-hoze-taiko-odori 

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 津貫豊祭太鼓踊り(つぬきほぜたいこおどり)は、鹿児島県南さつま市加世田津貫の天御中主神社(あまのみなかぬしじんじゃ)にて、毎年一〇月二七日に奉納されている踊りである。県の無形民俗文化財に指定されている。
 天御中主神社は、延宝八(1680)年に清木場から現在地に移された神社で、祭神は天御中主神。
 踊りは、天御中主神社の秋の例祭として奉納されているほか、豊年・五穀豊饒を祈願し、各地で秋祭りとして踊られている。
 起源は、神話や源頼朝の鎌倉幕府開設の祝いにあるとも言われており、念仏踊りや雨乞い、虫追いの踊りが農民の間に行われ、発展したものと考えられている。
 小太鼓2人、鐘2人、大太鼓16人で演じられ、小太鼓と鐘は女装した男の子で、大太鼓は大きな音を立てないように打つのが特徴的とされる。
 津貫豊祭太鼓踊りは、加世田に伝わる神秘的な郷土芸能である。
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2007/8/16


上谷刈の鹿踊・剣舞 Kamiyagari-no-shishi-odori Ken-bai The Deer Dance and the Sward Dance in Kamiyagari

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 上谷刈の鹿踊・剣舞(かみやがりのししまい・けんばい)は、宮城県仙台市で伝承される念仏踊り。祖先供養の踊りであり、併せて災禍や病虫害を除き、五穀豊穣を祈願するとされる。毎年5月と10月に賀茂神社で行われる例祭である。
 この芸能の起源は江戸時代に遡る。慶安年間(1648~1651)に、八幡町龍宝寺門前の籐九郎が祖と伝えられる。
 鹿踊は太鼓を持ちながら踊る、歌う、叩くという動作をひとりで行う大変難易度の高いもの。剣舞では、演者が鳥羽毛や毛ザイ、仮面を着け、剣を振り回しながら踊りを舞う。「鹿踊」と「剣舞」は不即不離の関係にあり、一対として受け継がれている。
 上谷刈の鹿踊・剣舞は、県の無形民俗文化財に指定されているという。
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2007/8/7


水上温泉おいで祭り Minakami-onsen-oide-matsuri 

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 群馬の水上温泉で7月下旬に行われる「水上温泉(みなかみおんせん)おいで祭り」は、「おいで踊り」をはじめとして花火大会やふるさとみこしパレードなど多彩なイベントが3日間行われ、地元の人々と水上を訪れた人々が一緒になって祭りを楽しんでいる。
 水上温泉は、室町時代に建明寺を開山した海翁文寿和尚(かいおうもんじゅおしょう)により発見されたと伝えられており、利根川沿いの崖の洞穴から立ち上る湯煙を見て、村人の為に露天風呂を作ったという。村人たちは喜び、和尚の徳を讃え念仏踊りを奉納したのが「おいで祭り」の起源となっている。
 「おいで」はお湯が出るという意味と、「水上においでください」という町民の願いが込められていて、水上温泉おいで祭りは親近感があり、もてなしの心がこもった水上の夏の風物詩である。
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2007/7/23


じゃんがら念仏踊り Jangara-nenbutsu-odori Jangara Nenbutsu-odori (Buddhist invocation dance)

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 じゃんがら念仏踊り(じゃんがらねんぶつおどり)は、福島県いわき市に伝わる、8月の旧盆時期に行われる伝統芸能である。市の無形民俗文化財に指定されている。
 江戸時代、いわき四倉出身の名僧・祐天上人(1637~1718)が、信仰心の薄いこの地方の庶民に誰でもわかりやすく念仏を唱えさせようと「南無阿弥陀仏」の言葉を歌の節にあわせて唱えさせたのが始まりといわれている。
 この1年間に亡くなった新盆の家庭を廻り、鐘や太鼓でにぎやかに仏様を供養し家族を慰めるもので、浴衣姿にたすき掛けの若者らが、新盆の家々を回り、独特のリズムと踊りで霊を慰める。
 市内には約100の団体があり、地域に根ざして活動している。基本的な動きは共通だが、細部についてはそれぞれに違いがある。
 じゃんがら念仏踊りは、いわきの風物詩といえる伝統芸能である。
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2007/6/18


能面 小喝食 Noumen Kokasshiki Noh Mask Ko-kasshiki

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 能で少年をあらわす面の一つ。
 年が若く、剃髪をしていない半僧半俗の十二から十七歳の僧。禅宗の寺で食事の時間や献立を知らせる役目の僧のことを喝食と呼び、特に前髪の大きさが小さく、年齢が若いものを小喝食と呼ぶ。
 全体にやさしい顔に描かれており、頬にはえくぼがあるかわいい子供の面相で、健全な若者のため表情に曇りがないのが特徴。
 遊狂物で使用されることが多く花月(かげつ)では父との再会を待つ半俗半僧の少年花月、自然居士(じねんこじ)では説法を行う半俗の少年僧、東岸居士(とうがんこじ)では念仏踊りをしながら、馬で諸国を説法して回ったとされる僧として使われる。
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2007/4/10


毛馬内盆踊り Kemanai-bon-odori Kemanai Bon Dances

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 毛馬内(けまない)盆踊りは秋田県鹿角市、十和田毛馬内で毎年8月21〜23日に行われる祭りである。
 秋田県三大盆踊りの一つ、国指定の重要無形民族文化財でもある。
 各町内の路上にかがり火を焚いて、その周囲を輪になり、呼び太鼓、大の坂踊り、甚句踊りの順番で舞い踊る。
 踊り手は男は黒紋付き、女は襦袢に鴇色の蹴出し、または江戸褄、そして訪問着などの晴れ着を着て、手ぬぐいで頬かむりという独自の装束が特徴である。
 踊りの起源は古く、大の坂踊りは江戸時代初期、毛馬内領主桜庭光秀が入封した際には既に存在していたとも言われ、京の念仏踊りの流れを汲むともされる。
 甚句踊りは戦国時代末期、南部氏が秋田氏を領外へ追い出した際に歌われたものと伝えられる。
 地方独自の優美な踊りとして伝わる夏の風物詩である。
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2007/1/31


アヤ踊り Aya-odori Aya Odori (Aya Dance)

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 大分県、東国東郡姫島で毎年8月15日から17日に開催される「姫島盆踊り」で踊られる「伝統踊り」の一つ。
 姫島盆踊りは鎌倉時代の「念仏踊り」が元であるとされる。盆坪と呼ばれる踊り場が各地に作られ、踊り手たちは島内を踊り廻る。
 踊りには「キツネ踊り」「猿丸太夫」「銭太鼓」などの昔から伝わる「伝統踊り」と、毎年新たに作られる「新作踊り」があり、アヤ踊りは伝統踊りの一つ。
 北浦地区の青年男女により踊られる。男女一組で行なう組踊りであり、男子はアヤ棒と呼ばれる青竹を持ち激しく踊り、女子は何も持たないしなやかな手踊りを行なう。
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