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相国寺(しょうこくじ)は、金閣寺や銀閣寺をはじめとして、約一〇〇の末寺を擁する臨済宗相国寺派の大本山である。
室町幕府三代将軍の足利義満が、後小松天皇の勅命をうけて、明徳三(1392)年に完成した広大な寺院で、夢窓疎石(むそうそせき)を開祖として建立された。約一〇年をかけて建立されたが、応仁の乱の戦火により焼失してしまう。度重なる災難にも関わらず、幾度も再建され多くの高僧を輩出した。
わが国最古の法堂は、入母屋造りの唐様建築で、本尊の釈迦如来は運慶の作といわれている。仏殿や金堂は存在せず、この法堂が仏殿を兼ねている。
天井に描かれた「蟠龍図」は狩野永徳(かのうえいとく)の嫡男である狩野光信(かのうみつのぶ)の作である。見る角度により、龍の顔や眼が動くように見えるのが特徴で、この絵の下で手をたたくと、堂内にその音が響き渡り、その音がまるで龍が泣いているかのような声に聞こえたことから、通称「泣き龍」とも呼ばれている。
室町幕府三代将軍の足利義満が、後小松天皇の勅命をうけて、明徳三(1392)年に完成した広大な寺院で、夢窓疎石(むそうそせき)を開祖として建立された。約一〇年をかけて建立されたが、応仁の乱の戦火により焼失してしまう。度重なる災難にも関わらず、幾度も再建され多くの高僧を輩出した。
わが国最古の法堂は、入母屋造りの唐様建築で、本尊の釈迦如来は運慶の作といわれている。仏殿や金堂は存在せず、この法堂が仏殿を兼ねている。
天井に描かれた「蟠龍図」は狩野永徳(かのうえいとく)の嫡男である狩野光信(かのうみつのぶ)の作である。見る角度により、龍の顔や眼が動くように見えるのが特徴で、この絵の下で手をたたくと、堂内にその音が響き渡り、その音がまるで龍が泣いているかのような声に聞こえたことから、通称「泣き龍」とも呼ばれている。
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