NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/17


一遍 Ippen 

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 一遍(いっぺん)は、鎌倉時代中期の僧。時宗の開祖。
 延応元(1239)年、伊予国(現・愛媛県)に誕生。10才で出家。法然の孫弟子にあたる聖達に師事。還俗し武士となり、再度出家し、専修念仏の生活へ。3年後、「十一不二」(全ての人が必ず極楽往生できるの意)を感得。
 その後、家族を連れて遊行の旅へ出る。念仏札や踊り念仏など、独特な布教活動が流行り、一躍カリスマの人となる。日本浄土教の系譜において、一際異質な存在と呼ばれる所以である。
 「信・不信は問わず、念仏さえ唱えれば往生できる」という絶対他力が時宗の教理である。大勢の念仏行者を率いた遊行は困難を極め、徐々に縮小し、他宗派に浸食された。しかし、一遍の高潔な人格と庶民教化への姿勢は、時代を超えて評価されている。1940年に国家より証誠大師号を贈られた。
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2007/11/5


麟鳳閣 Rinpou-kaku 

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 伊予国大洲(おおず)を中心に広く支配した大洲藩。
 初代藩主・加藤貞泰の死後、二代目藩主泰興(やすおき)の弟・直泰は一万石を相続し新谷藩(にいやはん)を成立。そこに評議所、謁見所(えっけんじょ)として陣屋を置いた。寛永一九(1642)年のことである。以来九代二三〇年にわたって存続したという。
 その陣屋跡が現存する「麟鳳閣(りんぽうかく)」は、明治以降は学校の敷地となり、建物は校舎としても利用された。
 長い歴史を感じさせる建物は、現在では県指定文化財となっており、新谷小学校の施設として管理されている。
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河後森城跡 Kagomori-jo-seki 

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 「河後森城跡(かわごもりしろあと)」と書かれた大きな石碑が立つ登山道入り口。そこから自然散策をしつつ、中世の歴史を残す城跡を見てまわることができる。また山頂からの素晴らしい展望も見物である。
 河後森城跡は伊予と土佐の国境におかれ、1997年に国の史跡に指定された、指定面積二〇二・〇三八平方メートルという県下最大級の中世城郭跡である。
 鎌倉時代から江戸時代初期まで、約四〇〇年あまりに渡ってこの地域を支配した宇和郡領主・西園寺氏の旗本、河原淵(かわらぶち)氏の豪壮な居城跡。戦国時代には長宗我部(ちょうそかべ)軍勢と戦った古戦場でもあるという。
 城郭内からは当時の面影を残す沢山の貴重な遺構や、当時中国から運ばれた陶磁器、国産の備前焼の壷、多くの瓦など、遺物が多数出土しており、現在も発掘調査や整備が続けられている。
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2007/10/24


青陰城 Aokage-jyou Aokage Castle

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 青陰城は、広島県尾道市因島田熊町にあった山城である。
 南北朝時代、北朝の小早川氏と南朝の河野氏が因島で激突したとき、北朝方である小早川氏に対抗する伊予衆が、東にある堂崎山城の防御の一環として築いたのではないかと言われている。
 村上水軍の地であった瀬戸内海に浮ぶ因島には、たくさんの中世の城跡があるが、この青陰城は、因島の中西部、標高277mの青影山の山頂にあり、因島村上水軍の本城となった。築城は村上三郎左衛門義弘と伝えられる。
 以後、270年間、因島村上氏によって支配されたが、関ヶ原の合戦の後、慶長五(1600)年頃に廃城となった。
 現在、平坦な本丸跡や館跡、石垣の一部などが残っている。また、青影山の北方にある金連寺は、因島村上氏の菩提寺で歴代の墓塔が残されている。
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2007/10/15


水ヶ滝 Mizu-ga-taki 

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 JR伊予三島駅から金砂(きんしゃ)湖へと抜ける国道319号線の法皇(ほうおう)トンネル出口すぐ左側に、一条の滝がある。「水ヶ滝(みずがたき)」は「法皇の滝」とも呼ばれ、辺りは法皇の滝小公園として整備されている。
 落差はかなりあり、流れ落ちる水は黒い岩肌のところどころにぶつかりながら飛沫を散らす。滝壺は浅く近くまで寄れるので、下から見上げると、この滝の高さを実感できる。条件が良ければ、滝水は斜光線に照らされ浮き上がって見える。流れ落ちた水は銅山川を経て金砂湖に注ぎ込む。国道沿いにあるため、多くの見物人が涼を求めて次から次へと立ち寄り、カメラマンも多い。六月頃には滝周辺に紫陽花が咲き、水量も豊かで、色とりどりの紫陽花に飾られて滝は一層魅力を増す。
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2007/10/11


金剛山大隆寺 Kongouzan-dairyuu-ji 

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 宇和津町の金剛山大隆寺(こんごうざんだいりゅうじ)は、野川の龍華山等覚寺、今は廃寺となった安国山大通寺とともに、宇和島藩伊達家の菩提寺であった。
 慶長一三(1608)年、伊勢国の武将富田信高(とみたのぶたか)が、関ヶ原の戦いでの功績を徳川家康に認められ、伊予国宇和島藩一二万石に加増移封された。信高は父・一白の菩提を弔うために禅寺を建立。後に宇和島藩第五代藩主・伊達村候(だてむらとき)がこの寺を再興し、簾方大和尚を招いて金剛山大隆寺と改めた。
 墓には五代村候、七代宗紀(むねただ)、九代宗徳(むねえ)の藩主のほか、藩主夫人や多くの重臣も葬られている。境内には市の名勝に指定された庭園があり、経蔵や茶室、書院と見事な調和が図られ、訪れる人々の目を楽しませている。
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宇和島 西江寺 Uwajima Seigou-ji 

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 西江寺(せいごうじ)は臨済宗の禅寺で、宇和島では「えんま様」と呼ばれ親しまれている。貞治四(1365)年、京都東福寺開山聖一国師(しょういちこくし)の法孫和尚によって開山された。寛永二(1625)年には宇和島藩初代藩主の伊達秀宗(だてひでむね)により現在地に移され、今日に至っている。
 本堂内には、伊予生まれの天才芸術家・村上天心(むらかみてんしん)作の「閻魔大王木彫座像」「閻魔大王画彫像」「地獄極楽絵図」などがあり、広々とした堂内に迫力を添えている。年に数回、一般公開される。
 寺の庭園は県の名勝に指定。三尊石を中心に左右対象に鶴亀を配し 枯山水の様式を用い、バランスよく仕上げられている。桃山式より江戸初期の作庭といわれ、時代の特色を取り入れようと苦心した跡が見られる。清水を使わない枯山水の美的効果がよく生かされている点では、四国一との呼び声も高い。
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2007/8/13


御田植まつり(どろんこ祭り) Onda-matsuri(Doronko-matsuri) 

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 御田植まつり(おんだまつり)は、愛媛県西予市城川町土居の土居三嶋神社にて、毎年七月の第一日曜日に開かれている祭りである。別名、どろんこ祭りとも言われ、県の無形文化財に指定されている。
 まつりは、田植えが終わった喜びを神々に感謝し、五穀豊穣、無病息災を祈る素朴でユーモラスな田休み行事である。
 明治一四(1881)年頃から三嶋神社のお田植え祭りとして行われていたものを、村おこしの目的もあって、盛大に行われるようになったと言われる。
 ハプニング、動きのある祭りであり、普段はのどかな山村であるが、この日は5000人余りが訪れ、にぎやかな一日となる。
 また、毎年、写真コンクールも行われ、大勢のアマチュアカメラマンで賑わう。
 御田植まつり(どろんこ祭り)は、愉快な奥伊予の奇祭である。
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