NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/19


奥石神社 Oiso-jinja Oiso Shrine

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 奥石神社(おいそじんじゃ)の創建年は不明であり、もともと繖山(きぬがさやま)山頂の磐座(いわくら)を遠拝する祭祀場として営まれたものとされている。
 祭神は、藤原氏の祖である天津児屋根命(あまつこやねのみこと)である。
 日本神話によると、日本武尊(やまとたけるのみこと)が受けた海神の怒りを解くため、后である弟橘媛(おとたちばなひめのみこと)が海に身を投じた。
 このとき懐妊していた妃は、「自分は老蘇(おいそ)の森に留まって女人安産を守る」と言い残した。このことからこの神社は安産の神といわれて、広く信仰されている。
 老樹の茂る参道を進んでいくと、神域である老蘇の森が神社を護るように広がっている。
 本殿は三間社流造で重要文化財である。棟札より天正九(1581)年の建立とされている。
 境内の一隅には「夜半ならば老蘇の森の郭公今もなかまし忍び音のころ」という本居宣長(もとおりのりなが)の歌碑も立っている。
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2007/7/27


宮城 諏訪神社 Miyagi Suwa-jinja 

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 宮城の諏訪神社(すわじんじゃ)は、宮城県仙台市青葉区上愛子宮下にある神社である。祭神は、健御名方命。
 延暦年間(782~806)の創建と伝えられる。
 かつては国分一の宮と呼ばれ、国分荘の総鎮守であった。古くから武神として名高く、狩猟の神徳があるとされる。
 鎌倉時代の初めには源頼朝が藤原泰衡との戦の前に戦勝を祈願し、戦勝後、家臣の伊沢家影に命じて社殿の改修・改築をしたと伝わる。
 宝永二(1705)年、現在の社殿が再建された。三間社流造、素木造、屋根はこけら葺で、三社造といわれ、中宮、左右宮に分かれている。
 本殿は大きな覆堂に保護されて、よく原形を保っており、県の有形文化財に指定されている。
 宮城の諏訪神社は、長い歴史を誇る古社である。
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2007/7/20


弘前八幡宮 Hirosaki-hachimanguu 

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 弘前八幡宮(ひろさきはちまんぐう)は、元々、岩木町に建てられていたが、二代藩主弘前信枚が築城の後、陰陽道で鬼が出入するとされている方角「鬼門」をおさえるために移転を行った。
 門は、唐風と呼ばれている屋根のカーブや、四辺の反りなど、屋根の形態が特徴的であるため、唐門と呼ばれている。また、天井は細かい格子の組み合わせで作られており、小組格天井(こぐみこうてんじょう)と呼ばれ、弘前では珍しい造り方となっている。
 本殿は正面が三間社流造(さんげんしゃながれづくり)となっており、屋根の側面の妻が、左右非対称であり、片方の軒が前方に延びており、アシメトリックなデザインとなっている。
 本殿及び唐門は、桃山時代の様式として貴重な資料となっており、重要文化財建造物に指定されている。
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2007/6/13


宮崎 巨田神社 Miyazaki kota-jinja Kota Shrine

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 宮崎県宮崎市佐土原町にある神社。その歴史は831年の鎮座といわれ、応神天皇と住吉四社の神を祀っている。
 古くは巨田八幡と称し。江戸時代、佐土原藩主の島津氏から藩内7社の一つとして敬愛を受け、藩主の参拝なども行われた。境内には、島津惟久が奉納した石灯籠を見ることができる。
 本殿は朱色の柱が目を引く三間社流造り、宮崎県では唯一室町時代の建築様式を残す建物。国の重要文化財に指定されている。
 毎年11月に行われる巨田神楽は、約400年の伝統があるといわれる。この祭りでは、全33番の中から、20番の舞が見られる。神楽面で舞う姿、大太鼓、横笛の音色などが周囲の自然の景色に溶け込むような感覚を楽しむことができる。
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2007/5/22


武田八幡神社 Takeda -Hachiman-jinja Takeda Hachiman Shrine

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 武田八幡神社は山梨県韮崎市神山町に位置する寺社である。
 弘仁十三(822)年、嵯峨天皇の勅令により宇佐八幡を勧請して、武田八幡宮と称したのが始まりとされる。
 武田家初代、信義はこの地で元服を行い、以降武田家を名乗り当社を氏神として崇拝したことから、甲斐武田家の発祥の地とも言われる。祭神は武田武大神(たけだたけのおおかみ)、誉田別命など四柱。
 本殿は天文十(1541)年に武田信玄により再建された。三間社流造、桧皮葺、各所に意匠が施されたもので、国の重要文化財に指定されている。
 総門から真っ直ぐに続く参道に位置する山間の古社であり、往時の武田家が偲ばれる。
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2007/5/7


高知 不破八幡宮 Kouchi Fuwa-hachimanguu Fuwa Hachimangu Shrine

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 高知県四万十市にある八幡宮。今から520年前、摂関家の一条公が応仁の乱を避け荘園経営のため中村に開府したとき、幡多の総鎮守として、一条家守護神として山城国石清水八幡宮を勧請したものである。正八幡、広幡八幡といわれる。
 三間社流造(さんげんしゃながれづくり)の柿葺(こけらぶき)の本殿は永禄元(1558)年の再建で、重要文化財となっている。
 不破八幡宮神社の神事は、庶民大衆の生活指導を目的としたものが多く、やぶさめは武勇の指導を、そして当時盛んに行われた「嫁かつぎ」の風習を矯正するため八幡宮と一宮神社の神様の結婚式を祭典神事に折り込んで行った。また、祭典運営にあたっては、その土地々々の産物を利用して、産地の興隆と質素倹約をはたしつつ盛大な祭りに仕立てていった。
 祭りの様々な意義と美意識が融合した姿を見ることができる神社である。
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2007/4/20


上賀茂神社(世界遺産) Kamigamo-jinja(Sekai-isan) 

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 上賀茂神社とは、京都府京都市北区にある賀茂別雷(かものわけいかづち)神社の通称である。祭神は賀茂別雷大神とされ、世界文化遺産に登録されている。
 創建は、神武天皇の頃、賀茂山に賀茂別雷命が降臨したとか、玉依日売が加茂川で懐妊し、賀茂別雷命が生誕した、など諸説ある。
 国史では、文武天皇2(698)年、賀茂祭の日の騎射を禁じたという記事が初出である。
 賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに古代の賀茂氏の氏神を祀る神社であり、毎年5月15日に行われる京都三大祭の一つである葵祭は、両社が合同で行う例祭として有名で、欽明天皇5(545)年に始められたとされている。 一の鳥居から二の鳥居まで一面に芝生がひかれ、社殿60棟が並び、国宝の本殿と権殿は三間社流造りの雅やかな姿を見せている。
 上賀茂神社は、様々な伝承を持つ京都最古の神社である。
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2007/3/27


岩手 日高神社 Iwate Hidaka-jinjya 

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 約千二百年の歴史を持つ古刹。岩手県水沢市に所在する。
 創建は平安時代。弘仁元(810)年に嵯峨天皇が建立したとされ、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)他七柱を祀る。
 天喜年間(1053〜1058年)前九年の役で、源頼義が安倍貞任討伐を日高神社に祈願し、日が高く登った未の刻(午後2時ごろ)に遂に目的を果たしたことから、「日高未の妙見宮」として篤く尊崇したという。また、この謂れからこの日高神社を「日高妙見宮」と呼ぶこともある。
 現社殿は、寛永九(1632)年に初代水沢城主の伊達宗利が改築したもの。三間社流造り(さんげんしゃながれづくり)と独特の虹梁(こりょう)、蛙股などが室町時代の手法を表している。平成二年には国の重要文化財に指定された。
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