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2007/9/10


ソラヨイ Sorayoi Sorayoi

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 ソラヨイ(十五夜そらよい)は、鹿児島県南九州市知覧町(旧・川辺郡知覧町)に伝わる伝統風習であり、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 五穀豊穣を祈り、土地の神と月に感謝する祭りであるが、発祥については、よく判っていない。
 また、名前の由来は「空が良い」「それは良い」と言われているが、はっきりしていない。
 ソラヨイは、月が出る頃に始まる。田圃に積み上げられたワラ造りの「ワラコズン」の中に人が2人入り、右回りに回し出す。
 中学生までの男の子が「ソラヨイ・ソラヨイ」と囃しながら、ワラみの笠、腰みの、ふんどし姿で、逆方向に廻りながら、素朴で神秘的な踊りを見せる。
 ソラヨイ終了後は、大人・子供にわかれて、3回綱引きをし、その後、ワラを崩して土俵を作り、相撲をとる。
 ソラヨイは、素朴で珍しい、一五夜の伝統行事である。
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2007/9/7


秋保の田植踊 Akiu-no-taue-odori Taue Odori in Akiu

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 秋保の田植踊(あきうのたうえおどり)は、宮城県仙台市太白区秋保町に伝わる郷土芸能である。国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 この田植踊は、長袋に落ち延びた平家の落人たちが昔を慕って始めたものといわれている。昔から大規模な構成で、総勢50~60人から、多い時には100人を越えたという。
 毎年4月中旬~5月はじめにかけて長袋神明社、馬場大滝不動堂、湯元薬師堂で演じられている。
 五穀豊穣を祈願し、年少の男の子2人の「鈴振り」を従えた、2人の男の子扮する「弥十郎」の前口上に続いて、小中学生の女の子の扮する「早乙女」(8~14人)の「田植振り」が演じられる。
 秋保の田植踊は、秋保町の湯元、長袋、馬場に受け継がれ続けている神聖な伝統芸能である。
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2007/7/26


えんずのわり Enzu-no-wari Enzu-no-Wari

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 えんずのわりは、宮城県東松島市宮戸の月浜地区に古くから伝わる「鳥追い」を行い、豊作や豊漁、家内安全を祈願する小正月の伝統行事であり、受け継がれてきた行事を今に残す貴重な例として、国の重要無形民俗文化財にも指定されている。
 毎年一月十一日から十六日までの七日間、月浜地区の小学二年生から中学二年生までの男子が、同地区内にある五十鈴神社の下にある岩屋にこもり、寝食をともにし、学校へも通い、この間は子供達だけでの生活が岩屋で営まれる。
 そして十四日の夜に全員で月浜地区の全戸をまわり、松の棒で地面を突きながら「えんずのわり、とうりょうば、かすらわって、すおつけて、えんぞがしまさながせ」(意地の悪い鳥を追えば、頭割って塩つけて、蝦夷島さ流せ)と、唱え歩く。
 翌日には、各戸で早起きをし、薪などで火を起こして「ホーイ、ホイ」と鳥を追いながらその煙で腹をあぶり、一年の健康を祈る。
 昔から伝えられてきた伝統は、未来を担う子供達の手で今も大切に語り継がれている。
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2007/7/19


加茂神社 稚児舞 Kamo-jinja Chigo-mai Chigo-mai Dance at Kamo Shrine

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 加茂神社稚児舞(かもじんじゃちごまい)は、現在の富山県射水市にあたる旧下村加茂に伝わる、古くは奈良時代に創作された民俗芸能である。
 舞台となる下村加茂神社は、京都の賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)の荘園であった倉垣荘の荘家跡に勧請された神社である。
 同社で行われる稚児舞は、毎年九月四日の秋祭りの日に演じられ、一〇才から一一才の男の子からなる四人の稚児が拝殿前に設けられた仮舞台の上で「鉾の舞」「林歌」「胡蝶の舞」「天の舞」などの九曲を五穀豊穣を感謝すると同時に、国の平安と氏子の安寧を祈願して舞い、奉納する。
 まだあどけなさの残る顔立ちの男の子達が、真剣な面持ちで王朝時代の雅な衣装をまとい、舞台袖で奏でられる雅楽の音色に合わせて舞う様は、古来からの伝統の格式の高さと共に、優美で煌びやかな世界へと観るものを導いてくれる。
 耳を澄ませば、悠久の昔からの息使いが、その舞の中から聞こえてくるようだ。
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2007/7/12


博多張子 Hakata-hariko 

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 博多張子は、福岡県福岡市にて造られる玩具工芸品である。
 張子は全国各地に生産地があるが、他が木型を使うところを、粘土で型を作っているところが博多張子の特徴となっている。
 博多張子は、江戸時代中期、上方から来た人形師によって始められたといわれる。
 作り方は、木や人形土で造った型に八女手漉和紙(やめてすきわし)を張り、天日で乾かし、二つに割った型を取り出す。その後、ニカワで溶いた顔料を手描きで彩色して仕上げる。
 博多では、男の子が生まれたら端午の節句には張子の虎が、また大晦日には姫だるまが、庶民の暮らしの中で愛されてきた。
 正月、十日恵比須神社で開かれるお祭りにて、縁起物である福笹を多くの人が買い求める。その福笹の飾り物も博多張子である。
 博多張子は、地元の人々に親しまれている、伝統工芸品である。
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2007/6/28


長浜曳山まつり Nagahama-hikiyama-matsuri 

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 毎年四月の一四日から三日間に渡って行なわれる長浜曳山(ながはまひきやま)まつりは、京都祇園、飛騨高山とともに代表的な山車祭りの一つである。
 歴代の名工が漆や金銀の彫刻などの装飾を施した曳山は、動く美術館と言われるほど絢爛豪華で、見応えがある。祭りの一番の見どころは、五歳から一二歳くらいの男の子が演じる「子ども歌舞伎」。「出番山」と呼ばれる四基の曳山の舞台で演じられるが、夜ともなれば提灯に灯が入り、一層艶やかさを増す。
 また、一四日の夜七時に長浜八幡宮を出発し、それぞれ役に応じた歩き方で練り歩く子ども役者の行列「夕渡り」も、歌舞伎に劣らぬ見どころである。
 戦国時代、豊臣秀吉が初めての男子誕生を喜んで城下の人々に砂金を贈り、町民がこれを元にして一二基の山車を作って八幡宮の祭礼に曳き回したのが、長浜曳山まつりの始まりとされている。昭和五四年、国の重要無形民俗文化財に指定された。
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2007/6/12


七五三 Shichigosan 

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 三歳、五歳、七歳に行う子供の成長を祝い、一一月一五日に氏神様に参拝する年中行事で、元々は関東で行われていた行事だが、現在は全国で行っている。
 現在は満年齢で行う場合が多いが、本来は数え年で祝っていた。
 かつて乳幼児の死亡率が高かった時代には、七歳になって社会に出ることが認められたとされた。
 三歳で髪ののばし始める「髪置き」、五歳の男の子がはじめて袴をつける「袴着」、七歳の女の子が帯をつかいはじめる「帯解き」の三つのお祝いを行った。
 また、一五日は何事をするにも吉とされており、一一月一五日は、収穫の感謝と共に子供の成長を感謝を行った。
 七五三は、千歳飴を食べて祝う。千歳飴は長寿を願う飴で、細く長い形状をしており、白や赤などの縁起が良い色で着色されている。江戸時代に、浅草の飴屋「七兵衛」が売り出したとされている。
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2007/5/7


フラフ Furafu Furafu

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 高知では、端午の節句に鯉のぼりや幟(のぼり)とともに「フラフ」と呼ばれる大旗を揚げて祝う。
 「フラフ」とは、旗の意味であるオランダ語の「VLAG(フラフ)」という呼び名が語源であるといわれる。
 フラフは全工程が手作りで作られ、大きさは大きい物で、縦約4メートル×横約7メートル、小さい物でも縦約2メートル×横約3メートルあり、実に豪快で美しい。
 絵は、おとぎ話の金太郎、桃太郎などの元気のよい男の子を描いたものや太閤秀吉や川中島の決戦などの勇ましい武者絵、七福神や宝船などのおめでたい図柄などがあり、いずれも、親や親族からの贈り物として活躍し、五月晴れの土佐路を豪快に賑わせている。
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