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2007/10/24


献上博多織 Kenjou-hakataori Kenjo Hakata Textiles

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 博多織物は、鎌倉時代に端を発する七〇〇年の歴史を持つ伝統工芸品。
 「献上博多織」は、博多織を代表する柄だ。江戸時代に筑前藩主・黒田長政が幕府に博多織を毎年献上した際に用いられた柄を総称してこう呼ばれ、現在も受け継がれている。献上柄は3つの柄で構成され、仏具として使用する「独鈷」と「華皿」をモチーフにそれぞれを意匠化した柄と縞柄が特徴だ。
 博多織は固く締まって、しかもしなやかな地合が持ち味。織り機による伝統芸能は貴重であるが、現在後継者問題が懸念されている。  
 献上博多織の第一人者の小川規三郎氏は平成15年に「献上博多織」の重要無形文化財の保持者に認定。九州産業大学の芸術工芸学科の客員教授を務めるほか、「博多織工業組合」に属し、全国のシンポジウムや講演会のパネリストとして伝統芸能の再生と発展に力を注いでいるという。
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2007/8/17


内田敏郎 Tosirou Utida Toshiro Uchida

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 1925年、東京都台東区生まれ。東京銀器の伝統工芸士。
 古くから独特の光沢と趣で珍重されてきた銀製品。現在、それらの九割が東京でつくられている。
 東京銀器は、絵柄の部分を切り抜き、銅や赤銅などの別の金属をはめ込む切嵌(きりばめ)の他、鍛金、彫金など、江戸時代に培われた技術・技法で、渋い艶と輝きの品々を生み出している。
 1946年より父・宇三郎氏のもとで鍛金技法を、さらに小川友衛氏のところで切嵌技法を修行。現在、鍛金の切嵌作家として活躍。切嵌を得意とする現代の銀師(しろがねし)である。
 1984年、通商産業大臣指定伝統的工芸品「東京銀器」伝統工芸士認定(鍛金部門)。
 1988年、東京都伝統工芸士に認定(東京銀器)。同年、東京都優秀技能者として表彰される。
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2007/5/11


若桜町 カリヤ通り Wakasacho kariyatoori 

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 鳥取県の南東の県境にある若桜町は、鎌倉時代の初めに開かれた鶴尾山にある山城「若桜鬼ケ城」を中心として発展してきた城下町である。江戸時代には、鳥取から播州に通じる若桜往来の宿場町として栄えた。
 この町の中心部に残る「カリヤ通り」。古くからある通りであるが、「カリヤ」とは、家から道路につき出した長いひさしのこと。西日本といえども、この地域は日本海側の山沿いで冬は雪深い。雨や雪が降っても歩けるようにとの生活の知恵である。
 通りを歩くと、水の流れる心地よい音がする。道路に沿って流れる用水と流雪用の小川のせせらぎが聞こえる。
 ゆっくり歩いて、15分ほど。その時間は、ゆったりと濃い。
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2007/4/26


夏越の祓 Nagoshi-no-harae 

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 夏越の祓(なごしのはらえ)とは、毎年六月末日に行なわれる禊の行事であり、十二月末日の年越の祓とあわせて大祓(おおはらえ)と呼ばれる。
 半年分の穢(けが)れや罪を祓うとされ、飛鳥時代に宮中行事として定められ、国民の穢れを祓った。
 現在でも各地の神社で行なわれており、境内に作られた茅の輪(ちのわ)を神主を先頭に八の字にくぐり、小川に人形(ひとがた)に息を吹きかけ、罪や穢れを託し海や川に流すなどして、残り半年の無病息災を願う。
 この日、京都では宮中の暑気払いで食べられる氷の代わりに考案された「水無月」と呼ばれる、白いういろうに小豆を載せて三角に切られた和菓子を食す。邪気を払うものとされ、親しまれている。
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2007/4/24


金剛能楽堂 Kongou-nougakudou 

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 金剛能楽堂とは、京都府京都市にある能舞台である。
 室町時代に創建した旧金剛能楽堂が移築され、現在の場所(京都御所付近)に平成15年に開館した。新金剛能楽堂には小川治平衛氏の庭園も移築され、かつての姿を残している。
 能は江戸時代までは「猿楽」と呼ばれていた。「金剛流」は能楽5流派のひとつであり、奈良の法隆寺に奉納した猿楽座の坂戸座を源流としている。5流派のうち4流派の宗家は東京を本拠地としているが、金剛流は唯一関西を宗家としている。
 その芸風は豪快で華やか、その中に凛とした優美さを供えたもので「舞金剛(まいこんごう)」といわれている。
 古きよき能舞台が、時代を超えて21世紀の建築物の中で蘇り、今の時代を生きている。
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2007/4/18


カッパ淵 Kappa-buchi Kappa Buchi

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 カッパ淵は、岩手県遠野市土淵町にある小川の淵である。
 幅2〜3メートルの川に向かってナナメに伸びている木々と、多くの大きな岩や石コロの間を、さらさらと静かに水が流れている。
 カッパ伝説が多く残る遠野の中でも、一番知られている場所がここといえる。
 「遠野物語」のカッパ伝説の舞台であるこの場所には、カッパが人々を驚かし、いたずらをしていたという伝説が数多く存在する。
 すぐ近くにはカッパ狛犬(頭に皿がある狛犬)を奉った常堅寺という寺があり、川原にある夫婦のカッパが鎮座する小さな祠は、子供のいる母親が願を掛けるとお乳が出るようになるとか、拝むと胸が大きくなるといわれている。
 カッパ淵は、今にもカッパが出てきそうな、神秘的な雰囲気を持つ場所である。
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2007/4/3


小川和紙 Ogawa-washi 

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 和紙の歴史は古く、1300年も前から和紙づくりは行なわれていた。当時、武蔵国には高麗の帰化人が多く、彼らによって武蔵の紙は広められ、手漉きの技術をもたらされたのが小川和紙の始まりだともいわれている。
 江戸の町で需要が増すに従い、遠隔な紀州の地から取り寄せるより近在ですかせることの利便性から、小川地方に技術が導入された。和紙は、厳しい寒さと水が冷たいほどいいものができるという。
 「細川紙」は未晒の楮(みさらしのこうぞ)100%のため、丈夫で素朴な紙質が特徴で、他の紙にはみられない白の素朴な風合いのものから、染紙、もみ紙、工芸紙、美術紙と色鮮やかなものまである。
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2007/3/29


毛越寺曲水の宴 Moutsuu-ji-gokusui-no-en 

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 毛越寺曲水の宴は岩手県西磐井郡平泉町に位置する毛越寺で行なわれる古式の宴席である。
 毎年五月の第四日曜に国の特別史跡である平安時代の遺構、浄土庭園で行なわれる行事。
 参加者は平安時代の衣装を身にまとい、龍頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)の船で岸に渡り、歌会を行なう。
 山水に作られた小川を流れる小船に杯が置かれ、歌人は自分の前に小船が来るまでに歌を詠み、杯を飲み干す。
 宴席には古代の楽である催馬楽(さいばら)が流れ、重要無形文化財である延年舞が舞われる。
 平安の歌会を再現する雅やかな行事として、多くの人々が訪れている。
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