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2008/11/25


大仙陵古墳 daisenryo-kohun 

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 大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)とは、大阪府大仙町にある日本最大の前方後円墳である。上空から見ると円と四角が合体した形をしていて、これは日本独自の形である。
 正式には百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)と呼ばれ、仁徳陵古墳として宮内庁が管理している。
 この古墳は、五世紀中頃、約二〇年の歳月をかけて築造されたと推定される。墳丘は全長約486メートルあり、後円部の径は約249メートル、高さ約35メートル、また前方部の幅は約305メートルで高さ約33メートルの三段築成となっている。
 外を廻る三重の外濠は、明治時代に掘り直されたものである。全周は2.8キロメートルで、現在は周遊路として整備されている。
 墳丘には、古墳の盛り土の上を覆うため敷きつめられた葺石(ふきいし)があり、巫女や水鳥、犬、馬、などの埴輪が出土している。
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2008/11/21


鶴岡八幡宮 流鏑馬 tsurugaoka-hachimangu-yabusame 

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 鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)は、神奈川県鎌倉市雪ノ下にある神社である。祭神は応神天皇(おうじんてんのう)、比売神(ひめがみ)、神功皇后(じんぐうこうごう)。
 康平六(1063)年、源頼義が奥州を平定して鎌倉に帰り、京都の石清水八幡宮を由比ヶ浜辺に祀ったのが始まりで、鎌倉八幡宮とも呼ばれる。
 流鏑馬(やぶさめ)は、文治三(1187)年八月一五日に鶴岡八幡宮放生会に際し、源頼朝が流鏑馬を催行した事に始まるといわれる神事で、現在は鶴岡八幡宮にて毎年九月一六日に行われている。
 鎌倉武士の狩装束に身を包んだ射手が、馬で駆けながら馬場に配された3つの的を射抜く勇壮な行事で、弓馬術礼法小笠原教場宗家の協力により、鎌倉時代さながらに執り行われている。
 鶴岡八幡宮の流鏑馬は、800年間続いている伝統的神事である。
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2008/10/1


あげ馬 Age-uma 

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 あげ馬は宮崎県都城市山之口町花木や高木町で行われる祭り。諏訪神社祭典の一環として行われる。
 天正二〇(1592)年、豊臣秀吉の朝鮮出兵において、島津藩主以久が諏訪神社へ出陣祈願し、そして凱旋後に馬を献上し、神楽を奉納したことから始ったとされている。
 その後、農民たちが豊作を願うために毎年7月に行われていたが、第2次世界大戦後途絶えた。昭和五九(1984)年に復活、現在は4年に1度行われている。
 諏訪神社に向かい、行列が練り歩く。先頭は鎧兜に太刀姿の「棒つき」で、その後に「弓」「鉄砲」が続く。7歳の稚児が乗る馬と、荷駄馬が中心となる。総勢70名ほどが神社に着くと、歌にあわせて参拝、拝礼する。
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2008/9/1


春日町 おまんと Kasuga-chou Omanto Omanto Festival at Kasuga-cho

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 春日町のおまんとは、愛知県高浜市の春日神社と八剣神社にて、毎年10月の第1土曜日と日曜日に行われる祭りである。
 1800年代の初め頃、雨乞いのために春日神社と八剣社に馬を奉納したのが起源という説があるが、定かではない。
 はっぴに地下足袋姿の若者が、木材で組んだ1周100mほどの馬場に放たれ、鈴飾りや造花を背負い疾走する馬めがけて、口綱を取って走り回る。西三河地域では最も盛大な祭りとも言われている。
 春日神の境内には、おまんとのためだけに使われる円形広場があり、当日は7町内から集められた40~50頭の馬が、馬場の中に入れられる。参加者が人馬一体となって駆け回る勇壮な風景が繰り広げられる。
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2008/8/15


やんさんま祭り Yansanma-matsuri Yansanma Festival

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 やんさんま祭りは富山県射水市(いみずし)にある下村加茂神社の春の大祭である。祭礼では走馬(そうめ)の儀、神幸式、牛乗式、獅子舞、流鏑馬などの神事が四時間以上に渡り繰り広げられる。
 この祭では馬と牛が象徴的に登場し、特に牛乗式は全国でもここでしか見られない珍しい神事である。
 走馬の儀では、神の乗りものである馬を駆けさせて神の馬を定め、それを献じて五穀豊穣を祈願する。
 そして牛乗式では赤面の大鼻の形相に扮した若武者が牛に乗って登場し、青竹の大矢で矢を拝殿の屋根に向けて放ち天下太平・五穀成就を願う。牛は農耕の神の化身で、火事を除け疫病を退散させてくれる力があると信じられている。若者たちは力を合わせ、なんとか牛をこの地にとどめようと悪戦苦闘の末、牛を座らせる。
 最後に、武者が馬にまたがり参道を走る流鏑馬が行われて祭が終わる。
 やんさんま祭りは富山県の無形民族文化財に指定されている。
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2008/7/11


山水屏風 Senzui-byoubu 

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京都国立博物館に収蔵される山水屏風(さんずいびょうぶ)は、現存する平安時代の屏風絵としては、唯一の品であり、国宝として指定されている。
 平安時代、中国的風俗が描かれた唐絵屏風は、東寺や、醍醐寺などの真言寺院で、頭頂に水を灌ぎ、正統な継承者とする為の灌頂(かんじょう)儀式を受ける際に、調度品として高位の人物の座所に立てられていた。山水屏風の名称は、そうして水を用いる灌頂儀式を行うときに用いる屏風であることからつけられた。
「山水屏風」は、縁取りのある6面の扇から構成され、山、花、木などの春の風景、人物、小鳥、馬などが、生き生きと描かれている。
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2008/6/6


八幡馬 Yawatauma 

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 八戸をはじめ南部地方に伝わる、木彫り馬の郷土玩具が「八幡馬(やわたうま)」といわれる。仙台の「木ノ下駒」、福島の「三春駒」と共に日本三駒と呼ばれている。
 八幡(やわた)の一ノ宮である櫛引八幡宮(くしひきはちまんぐう)で、年に一度「流鏑馬」の祭礼が行われた際、参詣者のお土産として境内で売り始めたのが、約七百年前だと言われている。
 もともとは、農家の人たちが農閑期に副業として、八幡馬を作り始めたのが始まりとされる。当時は、親子馬が乗る台に四つ車がついており、引いて遊べる男の子用のおもちゃも売っていたという。
 胴体は、黒(鹿毛)・赤(栗毛)・白(芦毛)などの原色を使って鮮明に彩られており、馬の模様は八戸名産である「食用菊」や、八戸の名所である「蕪島(かぶしま)のうみねこ」などが使われており、八戸の特色を馬体に表しているという。昔から変わらず、ひとつひとつ丁寧に手作業で作られている。
 八幡馬は縁起物として、また記念品やお祝いの品として幅広く知られている。
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2008/6/5


乗鞍岳 Norikura 

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 飛騨山脈の南に位置し、岐阜県と長野県に跨る、標高三〇二六mの剣ヶ峰(けんがみね)を主峰とする二三の山々を総称して乗鞍岳(のりくらだけ)と呼ぶ。乗鞍岳の名は、馬の鞍に似ている姿から由来しているという。
 乗鞍岳は約一〇〇万年前の噴火によって形成されたと伝えられており、七つの火山湖をもつ。特に火口付近の権現池は高い位置にある池として有名である。池の周りは遊歩道も数多くあり、天上の世界のような自然が人々を魅了する。
 特別天然記念物であるライチョウをはじめ、貴重な高山植物の宝庫でもあるため、国立公園の特別保護地域に指定されており、また日本百名山のひとつにもなっている。
 標高は高いが、二七〇〇m辺りまで登山道が整備されているため比較的登りやすい。初夏には色とりどりの高山植物、秋は目が染まるほどの紅葉、冬はスキー、と一年を通して壮大な自然を満喫できる山である。
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