NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/2/7


ラルフ・キゲル Ralph Kiggell Ralph Kiggell

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 ラルフ・キゲル、英国出身。1960年、ザンビア生まれ。その作品において、東アジアからの影響を強く受けている木版画作家である。
 子供の頃から日本の木版画に興味を持ち、ロンドンの大英博物館で定期的に開催される浮世絵の特別展で、葛飾北斎や喜多川歌麿などの作品に触れる。1990年、木版画の勉強のために来日。木版画家の吉田遠志が設立した東京の吉田版画アカデミーで、遠志の息子で吉田博の孫でもある吉田司のもとで学ぶ。後に京都精華大学、そして多摩美術大学で現代木版画の技術を学ぶ。
 日本の木版画は、手作りの天然の素材を用いてすべての制作過程を手作業で行う。その繊細さがキゲル氏にぴったりとくるようだ。「手から木へ」そして「木から紙へ」という一連の流れには有機的な関係がある。まさに今私たちが生きているデジタル時代において、木版画は現代の芸術表現の中で特別な力を持つ重要な媒体であるとキゲル氏は考えている。
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2007/8/27


伊勢崎銘仙 Isezaki-meisen Isezaki Ikat

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 伊勢崎銘仙(いせさきめいせん)は、群馬県伊勢崎市に伝わる織物である。別名、伊勢崎絣。
 伊勢崎では古くから養蚕が盛んで、絹織物の始まりは紀元前とも言い伝えられるが、産地が形づくられたのは、17世紀後半になってからである。
 江戸時代に、緻密な織物を「目専」と言ったが、これが語源となって、その後「銘仙」と呼ばれ、明治時代に東京でも売り出した。
 以後、昭和の時代に大繁盛し、2度ピークを迎えるが、現在は大分落ち着いている。
 その特色は括り絣、板締絣、捺染加工の技法にあり、単純な絣柄から精密な絣模様まで、絹の風合いを生かした手作りの絣として、色々なものが作られている。
 布地は丈夫で柄が多種多様、値段が手頃というのが特徴である。
 伊勢崎銘仙は、今も昔も手作業で造る丁寧・緻密な織物である。
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2007/5/31


江戸切子 Edokiriko Edo Kiriko

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 江戸切子(えどきりこ)は、江戸末期にはじまるガラス細工(カットグラス)工芸品である。
 天保5(1834)年、ビードロ屋の加賀屋久兵衛が、江戸大伝馬町で金剛砂を用いてガラスを彫刻し、切子細工の法を工夫したのが始まりと伝えられる。
 江戸末期に生産された江戸切子は、手作業による手摺り工程によって透明な鉛ガラス(クリスタルガラス)に細工を施して制作されたものと考えられている。文様としては、矢来・菊・麻の葉模様など、着物にも見られる身近な文様の繊細な切子であった。
 現在は、色被せガラスを素材に用いたものが好まれ、多く生産されている。色ガラスの層は薄く鮮やかなのが特徴である。
 2002年、経済産業省伝統的工芸品に認定される。
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2007/1/12


本場黄八丈 Honba-Kihatijou Honba-kihachijo Fabric

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 本場黄八丈は、東京都の八丈島八丈町にて織られる優雅な黄色・茶色・黒が特色の織物である。
八丈島は昔から都からの流人によって絹織物の技術がもたらされていたため、絹織物の生産に優れ、室町時代から貢納品として八丈の絹を納めていたとされる。
 寛永年間にはタブノキの樹皮を使った鳶色の織物が織られるようになり、寛政年間ごろに現在の黄八丈に使われる染色技術が完成されたといわれる。
 黄八丈の特徴は、八丈固有の風土から生まれた「染め」と「織り」である。黄・茶・黒の三色が主体で、全て八丈島で自生する草木を原料とする天然染料である。
 黄八丈は、長い年月を経ても変色することがなく、洗えば洗うほど鮮やかな色のさえを見せるという、素晴らしい特色を持つ織物である。
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多摩織 Tamaori Tama Woven Fabric

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 多摩織は、東京都の八王子市、あきる野市で織られる実用的な織物である。
 多摩織とは、多摩結城、紬織、風通織、変わり綴、捩り織の5種類の織物の総称で、八王子織物の歴史と技術の結晶と言える。
 八王子では、平安時代末頃から滝山紬や横山紬といった絹織物があった。室町時代後期、多摩川にきた北条氏が、領民に奨励したことで産地として形が整った。
 明治以降は文明開化によって技術が急速に発展し、さらに独自に技術を開発したことで、今日の多摩織の基盤が築かれた。
 伝統的に渋い実用的な作品が多く作られてきたが、最近では洗練されたデザイン、新しい感覚、優れた技術をとり入れつつ、伝統的な手作業により特色のある優れた製品を産み続けている。
 1980年、通産省から伝統工芸品に指定される。
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東京染小紋 Toukyousomekomon Tokyo Dyed Komon

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東京染小紋は、東京にて染められた微妙な幾何学模様の、粋で格調高い染物である。
 江戸で広く小紋が染められるようになったのは、江戸時代になってからである。
 初めは武士だけの裃小紋だったが、江戸時代中期には町人文化の自由で粋な感覚を受け、庶民の間でも親しまれ、発展した。
 小紋とは、型染の文様の種類で、細かい模様染めの事である。旗指物や天幕等の「大紋」、浴衣や手拭い等の「中紋」がある。
 小紋染めの着物は遠目には柄が無いように見えるが、近くで見ると微細な幾何学模様である。その模様は裃の柄から鮫柄行儀や通しという代表的な風格と気品に溢れる柄や、身の周りの道具、文字づくし、動物など多彩である。
1974年、経済産業大臣から伝統的工芸品として指定された。
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白石敏道 Toshimithu Siraishi Toshimichi Shiraishi

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 1937年、葛飾区堀切生まれ。江戸漆器の伝統工芸士。
 父の代からの漆職人。1953年、16歳で千住の漆職人に弟子入り。63年、26歳で独立。
 江戸時代初期、徳川家康が京都から漆職人を連れてきたのが江戸漆器の始まりである。以来、すしの飯台、そばのせいろなど丈夫一点張りの業務用を柱に発達した。
 氏が作る漆器は、その質やできばえから考えると驚くほどに安価である。
 今、修理にも力を入れていると言う。「欠けていようと割れていようと、木製のものなら何でも、何度でも直るし、いっぺん直したらまた何十年も使えるんです。漆製品、漆器でしたら何でも修理します」とのこと。
 東京都伝統工芸士、葛飾区伝統工芸士、国家検定試験一級技能士。
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