名胡桃城跡 Nagurumi-jyou-ato Nagurumi Castle Ruins
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名胡桃(なぐるみ)城は、安土桃山時代の天正六(1578)年、武田氏の家臣真田昌幸が 沼田城奪取の拠点として築いた。
天正十七(1589)年、豊臣秀吉が沼田地方を北条氏に明け渡したが、名胡桃城だけは真田氏の要望により所領として残された。北条方の沼田城代となった猪俣邦憲がこれに激怒し、同年11月に名胡桃城を攻略。秀吉はこの事件を不服として北条氏を攻め滅ぼした、俗に言う名胡桃城事件。小田原征伐勃発の口火を切り、秀吉の天下統一のきっかけともなった出来事である。
遺構としては、三の郭、ささ郭、袖郭、物見郭など、それぞれの郭が堀切によって区画されており、往時の縄張形態をよくとどめている。その他、般若郭や丸山と呼ぶ水の手郭の遺構が残っている。
天正十七(1589)年、豊臣秀吉が沼田地方を北条氏に明け渡したが、名胡桃城だけは真田氏の要望により所領として残された。北条方の沼田城代となった猪俣邦憲がこれに激怒し、同年11月に名胡桃城を攻略。秀吉はこの事件を不服として北条氏を攻め滅ぼした、俗に言う名胡桃城事件。小田原征伐勃発の口火を切り、秀吉の天下統一のきっかけともなった出来事である。
遺構としては、三の郭、ささ郭、袖郭、物見郭など、それぞれの郭が堀切によって区画されており、往時の縄張形態をよくとどめている。その他、般若郭や丸山と呼ぶ水の手郭の遺構が残っている。
- 住所
- 379-1314 群馬県利根郡みなかみ町下津
- 名前
- 名胡桃城跡