NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/22


住吉の火祭り Sumiyoshi-no-hi-matsuri Sumiyoshi Shrine Fire Festival

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 住吉の火祭り(すみよしのひまつり)は、毎年1月の第2土曜に、勝部(かつべ)の火祭りとともに開催される祭りで、滋賀県の無形民族文化財に指定されている。
 今から約800年前、土御門天皇(つちみかどてんのう)が危篤となり、原因が三上山の大ムカデの危害によるとされた。そこで藤原秀郷が三本の弓矢を一度に放ち、大ムカデは頭が住吉神社に、胴体は勝部神社に、そして尾部は瀬田の唐橋近くまで飛び散った。この遺骸はそれぞれの地で供養され、焼き払われたことから、両社に分かれて祭りが行われるようになった。
 午前中に神社境内で神事が行われ、年寄衆の弓射式で祭りが開始される。夜には白と赤のふんどし姿の若者たちが蛇の頭に似せた約6メートル、重量約400キロの大松明をかつぎ込み、無病息災を祈願して奉火する。
 若者たちのかけ声は勝部では「御脳平癒」を意味する「ごーよ ひょーよ」なのに対して、住吉では「平癒」を意味する「へーゆ へーゆ」とそれぞれ違うのも特徴である。
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2007/6/19


新潟まつり Niigata-matsuri Niigata Festival

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 新潟まつりは、新潟県新潟市にて毎年8月最初の金、土、日に行われる祭りである。
 昭和三〇(1955)年、4つの祭りが一つとなり、「新潟まつり」ははじまった。
 住吉祭は、廻船問屋が大阪の住吉神社から神体を受け、享保一一(1726)年、港の安全を祈り、行列を組んだのがはじまり。
 川開きは、明治四三(1910)年、大火に見舞われた新潟の復興を期して、萬代橋下流の中州で花火が打ち上げられたのが起源。
 商工祭は、昭和四(1929)年の秋、商業振興を目的に広告パレードをしたのが始まり。
 開港記念祭は、昭和五(1930)年、新潟港開港60周年として資料展や物産展などが賑やかに開かれ、始まった。
 特に「民謡流し」は、市内の通りが3万人の参加者で埋め尽くされる、日本一の民謡流しとされる。
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えりも町 住吉神社 Erimo-cho Sumiyoshi-jinja Erimo-cho Sumiyoshi Shrine

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 えりも町の住吉神社(すみよしじんじゃ)は、北海道幌泉郡えりも町本町にある神社である。祭神は表筒男命、中筒男命、底筒男命。
 文化一一(1814)年、漁場の安全豊漁を祈念するために、現在地より北方にある住吉山に社殿を建立したのが始まりとされる。
 明治三一(1898)年、風害によって社殿が倒壊し、現在地に移転した後、流れ破風造の社殿を建立した。
 昭和一二(1937)年、現在ある社殿に改築される。
 境内には嘉永三(1850)年建立の手水鉢と、嘉永四(1851)年建立の石灯籠脚台が残る。
 毎年9月15日の例祭日には、特殊神事・海上神輿渡御が1時間半に渡り行なわれている。
 えりも町の住吉神社は、昆布採取、鮭建網など漁業の神として今も篤く崇敬されている社である。
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2007/6/13


宮崎 巨田神社 Miyazaki kota-jinja Kota Shrine

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 宮崎県宮崎市佐土原町にある神社。その歴史は831年の鎮座といわれ、応神天皇と住吉四社の神を祀っている。
 古くは巨田八幡と称し。江戸時代、佐土原藩主の島津氏から藩内7社の一つとして敬愛を受け、藩主の参拝なども行われた。境内には、島津惟久が奉納した石灯籠を見ることができる。
 本殿は朱色の柱が目を引く三間社流造り、宮崎県では唯一室町時代の建築様式を残す建物。国の重要文化財に指定されている。
 毎年11月に行われる巨田神楽は、約400年の伝統があるといわれる。この祭りでは、全33番の中から、20番の舞が見られる。神楽面で舞う姿、大太鼓、横笛の音色などが周囲の自然の景色に溶け込むような感覚を楽しむことができる。
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2007/5/25


函館八幡宮 Hakodate-Hachimanguu 

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 函館八幡宮(はこだてはちまんぐう)は、北海道函館市谷地頭町にある神社である。祭神は、品陀和気命、住吉大神、金刀比羅大神。
 文安二(1445)年、領主河野加賀守政道が築城した際、館の東南の隅に八幡社を建立し、創祀したのがはじまりと伝えられる。
 やがて河野氏が蝦夷に追われた後、霊告を受けて元町の河野館跡地に八幡宮を移した。
 文化元(1804)年、社地に幕府が函館奉行所を置く事になったため、会所町に遷座した。
 大正四(1913)年、現在の社殿が竣成した。聖帝造と八棟造を併せた聖帝八棟造りで、大正式八幡造の代表作と言われる実に優雅な建物である。
 毎年お盆の8月15日には勇壮な例大祭が行われ、大神輿を担いで134段の石段をかけのぼる。
 函館八幡宮は、壮麗で優美な、趣のある神社である。
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2007/5/9


岐阜 住吉灯台 Gifu sumiyoshitoudai Sumiyoshi Lighthouse

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 住吉灯台は、かつて桑名までの重要な水路となっていた水門川の船町港跡に建つ川の灯台。元禄年間(1688〜1704年)の建造と伝えられる。
 俳聖・松尾芭蕉の「奥の細道」の旅を終えた地としても有名だ。江戸深川から六百里(2400キロ)、140日をかけた芭蕉46歳の旅はここで終わった。住吉灯台に立つ碑には、「蛤(はまぐり)の
 ふたみにわかれ行く
 秋ぞ」と刻まれている。そして、伊勢の遷宮を拝むために二見(伊勢)へ旅立っていった。このときの芭蕉の心情はいかばかりであったろうか。
 灯台のすぐ下の川面に浮かぶ船と、赤い橋は風情があり、当時の面影を偲ばせる。桜の季節には川沿いにある桜並木の作り出すアーチが見事で、多くの市民が花見に訪れるという。
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2007/4/9


お船謡 Ofuna-uta Ofuna-uta Chanting

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 お船謡は毎年8月、山口県萩市、住吉神社の御神幸祭で行われる行事である。
 神輿のお供として、山車に乗せられた「お船」が市内を巡航し、乗船した囃手、歌手らの「地謡組」による「お船謡」が歌われる。
 お船謡は弘治元(1555)年、毛利元就が厳島の戦いに勝利した時の戦勝の歌とされ、歴代の藩主の乗船、新造船進水などの際に、船と海上での安全を祈願して謡われた。
 江戸時代には、「浜崎歌舸子(はまさきうたかこ)」という歌い手の一族のみが謡うことを許されたが、近年は浜崎町内から歌い手が選ばれるようになった。
 西国随一の戦国大名の遺風を残す夏の風物詩として、人々に親しまれている。
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2007/4/4


豊島石灯籠 Teshima-ishidourou 

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 香川県小豆島の西にある豊島(てしま)で採掘される、「豊島石」で作る灯籠。県の伝統工芸品に指定されている。
 豊島では明治時代頃から、島の中心にある「壇山(だんやま)」という山から、「角礫凝灰石」という、やわらかく加工しやすい石が採掘されていた。その石は主に灯籠や石彫刻に利用され、全国各地から注文があったという。京都の桂離宮、二条城、大阪の住吉大社などの石灯籠は、これら豊島石灯篭である。
 加工がたやすいこともあり、今でも石職人たちがノミを使った手作業で加工を施し、さまざまな石灯籠が作られている。また、最近では一般家庭用の、灯篭や石の彫刻の注文もあり、日本の石文化を今に伝える逸品として重宝されている。
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