NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/6/20


金石城 Kaneishi-jou 

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 金石城(かねいしじょう)は長崎県対馬市に建つ城である。
 享禄年間(1528~1531)この地を治めていた宗将盛(そうまさもり)が清水山の山麓に建てたのが金石城である。建てられた当時は金石館と呼ばれていた。当時、諸大名が争って豪華絢爛な城造りをしていたのとは対照的に、天守閣を持たない質素な城作りであった。
 寛文五(1665)年、二一代当主の宗義真(そうよしざね)により大手櫓門(おおてやぐらもん)などが作られ、城としての風格を持つようになり金石城と呼ばれるようになった。
 文化一〇(1813)年、大手櫓門は火事で焼失したが、幕府から多額の貸与を得て再建された。明治以後も大手櫓門のみが残されていたが、大正時代になると解体されてしまった。
 その後、平成二(1990)年に大手櫓門は、資料に基づき復元されるに至った。現在、当時の威風を残す城壁や庭園の池とともに、かつての金石城を偲ばしてくれている。平成七(1995)年に国史跡に指定されている。
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2008/3/18


松前小島 Matsumae-kojima 

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 北海道で唯一の城、松前城の城下町として知られている松前町に「松前小島(まつまえこじま)」はある。沖合24キロメートルにあるこの島は、周囲4キロメートルの無人島である。
 松前小島は北海道の最南端で、国指定の天然記念物となっているため、島内には許可なく立ち入ることはできない。しかし海が荒れた時は避難港として使用するため、灯台と港が設置されている。
 島の海岸は断崖で、ケイマフリ、ウトウ、ウミウ、ウミガラス、ウミネコなど、海鳥の繁殖地となっており、島内の大部分は草原となっている。
 松前小島周辺は大ヒヤク島、小ヒヤク島、天神島、サザエ島などの島が点在してり、また島の周りの海は、対馬海流の影響により温暖なため、様々な生物が生態している。大マグロやブリの群を見るのは稀だが、コブダイ、コウイカ、メバル、カサゴ、ナベカ、リュウグウハゼ、アイナメ、クロソイなどは定番である。潮通しがとてもいいので、透明度は抜群である。
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2007/7/12


奥尻島 Okushiri-tou Okushiri Island

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 奥尻島(おくしりとう)は、北海道奥尻郡にある北海道最西端の離島であり、一島で奥尻町をなす道内で2番目に大きな島である。
 島名はアイヌ語で向こうの島を意味する「イクシリ」に由来する。
 島の全域が花崗岩の段丘で形成されており、その段丘を横切って河川が流れるため、滝が多い。
 対馬海流の影響で四季を通じて寒暖の差は少なく、自然美豊かで、どこからでも眺められる美しい夕日は一見の価値有り。
 また、かつて硫黄が採鉱されたため温泉が湧出している。
 島内最高峰は、標高584mの神威山で、日本海に浮かぶ海の幸の宝庫として知られる。ウニやアワビ、イカのほか、季節ごとに旬の魚介類が捕れる。
 平成五(1993)年に発生した北海道南西沖地震では深刻な被害が出たが、見事な復興を遂げた。
 奥尻島は、他にも海水浴や奇岩など見所の多い観光地である。
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2007/7/3


瑞楽園 Zuiraku-en 

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 瑞楽園(ずいらくえん)は、津軽地方で流行した大石武学流(おおいしぶがくりゅう)の枯山水式庭園で、宮舘(みやだて)地区の豪農であった対馬家の庭園として作られたものである。
 大石武学流三代宗匠・高橋亭山(たかはしていざん)が 明治二三(1890)年から一五年の歳月をかけ築庭し、後に高橋亭山の門弟にあたる池田亭月が昭和三(1928)年から昭和一一(1936)に増庭した。
 人工的な山を築き、枯滝(かれたき)や枯池(かれいけ)、大きな石、石橋等を配置するなど、大石武学流の特徴的な造庭技法が用いられており、その美しさを際立たせている。
 昭和五四(1979)年に国指定名勝に指定された。
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2007/3/22


石屋根倉庫 Ishiyane-souko 

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 長崎県椎根(しいね)地区にある石屋根倉庫は、対馬でしか見られない珍しい建物。
 最大の特徴は、板状の頁岩(けつがん)と呼ばれる、シルトや粘土の堆積岩で屋根を葺いていること。これは、海風の強いこの地方ならではの知恵で、風に吹き飛ばされないように工夫したものとされる。
 高床式で、柱は丈夫なシイ材。壁や床、天井には松材が使用されている。石屋根倉庫は、秋に収穫した穀類や食糧を貯蔵する倉庫としてだけではなく、家の調度品を収納する蔵としての役割も果たしてきた。平成の今も、収納庫として使用されているという。
 昔はなくてはならない生活の一部だったが、近年は減少の一途をたどっている。昭和五三年には245戸あったものの、現在は63戸にまで激減。そのため、貴重な建造物として県の有形文化財に指定、その保存に力を入れているという。
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対馬藩お船江跡 Tsushima-han-ofunae-ato 

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 「対馬藩お船江跡」は、長崎県を流れる久田川河口にある船着場跡。県指定記念物にもなっている。
 現在の遺構は、江戸時代の万治三(1660)年の造成と言われている。堤の石積みや正門、倉庫、休憩の建物などが、昔日の名残を今もとどめ、往時の壮大な規模を窺うことができる。
 江戸時代、水辺の藩は藩船を格納する「お船屋」を設けていたが、ここ対馬藩お船屋のように遺構が残っている例は珍しい。日本近世上類まれな遺構として、島内外から多くの観光客が訪れている。
 江戸期に日本が鎖国下にあった時代も、日朝外交史上大きな役割を果たした対馬藩のひとつのシンボルとも言える遺跡である。
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2007/3/5


万松院 Banshou-in 

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 天台宗、鐘碧山。対馬藩主宗家の菩提寺で元和元 (1615) 年 宗家20代義成が建立。ここには宗家10代〜32代まで墓が並ぶ。その墓所の手前に樹齢1200年と言われる大杉があり、杉では対馬一の樹齢を誇る。
 元和8年義智の法号に因み、万松院と改め、天保4(1647)年現在地に移転し、宗家累代の菩提寺として特別の崇敬を受けてきた。
 歴代の藩主並びに夫人、側室等の立派な墓石が後山に荘厳に並び、オタマヤと呼ばれている。
 元禄・享保の大火で山門を残し、伽藍は焼失し、現在の堂、庫裡は明治12年の建物である。
 内庭は寛文年間、京都の風流人西川嘉長の作で、山門は対馬最古の桃山様式の建造物である。
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