NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/9/9


登米薪能 Toyoma-takigi-nou 

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 毎年九月中旬、宮城県登米町の伝統芸能伝承館森舞台で、二三〇年の歴史を持つ登米薪能(とよまたきぎのう)が上演される。
 午後五時頃に火入りの儀が行われると、白砂の上にかがり火に囲まれた舞台が現れ、朗々とした格調高い演目がおよそ三時間上演される。薪の燃える音や香りが心地よく、日常生活とかけ離れた美しさに観客は魅了される。
 登米薪能は、伊達政宗が能を愛したことから、伊達一門である登米伊達家も能楽を公の儀式の式楽として取り入れたことにはじまった。その後武士の作法として伝承され、明治以降は地域住民に浸透し守られていく。登米薪能を現在まで伝承している登米謡曲会は明治四一(1908)年に発足、プロの域にまで届く高いレベルで伝統を守り続けている。
 宮城県無形民俗文化財に指定されており、チケットはすぐに売り切れとなる、人気の薪能だ。
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2008/3/24


囲炉裏 Irori 

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 囲炉裏(いろり)とは、家屋の床を四角く切り、内部に灰を敷き詰めて薪や炭火などを熾すためのもののことである。
 囲炉裏は主に暖房や調理目的に用いられ、昔からかまどや火鉢とともに、生活に欠かせないものとして発展してきた。
 それぞれの地方で特有の形態を持つものも多く、呼び名も炉やヒジロ、ユルリ、ヘンナカ、イリリなど様々なものがある。
 囲炉裏の中央には天井から吊るされた自在鉤や五徳が設けられており、これに鍋を掛けて炊飯をはじめとしてあらゆる煮炊きを行なった。また、敷き詰められている灰も、中に食材を埋めて蒸したり、食材を通した竹串を挿したりなど、調理に良く利用された。
 調理だけでなく、照明としても用いられ、その他にも衣類の乾燥や各種の火種など、生活のあらゆる場面で活用されていた。
 揺らめく炎に体を温められながら、火箸で薪や灰を何とはなしにつつく。それは、囲炉裏だけがもたらしてくれる緩やかな一時かもしれない。
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2008/1/30


登米新緑薪能 Toyoma-shinryoku-takigi-nou Toyoma Shinryoku Takigi-Noh

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 毎年六月中旬、宮城県登米町の伝統芸能伝承館森舞台で、二三〇年の歴史を持つ登米薪能(とよまたきぎのう)が上演される。
 午後五時頃に火入りの儀が行われると、白砂の上にかがり火に囲まれた舞台が現れ、朗々とした格調高い演目がおよそ三時間上演される。薪の燃える音や香りが心地よく、日常生活とかけ離れた美しさに観客は魅了される。
 登米薪能は伊達政宗が能を愛したことから、伊達一門である登米伊達家も能楽を公の儀式の際の式楽として取り入れたことにはじまった。その後武士の作法として伝承され、明治以降は地域住民に浸透し守られていく。登米薪能を現在まで伝承している登米謡曲会は明治四一(1908)年に発足、プロの域にまで届く高いレベルで伝統を守り続けている。
 宮城県無形民俗文化財に指定されており、今でも広く愛され続ける人気の薪能だ。
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2007/7/26


えんずのわり Enzu-no-wari Enzu-no-Wari

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 えんずのわりは、宮城県東松島市宮戸の月浜地区に古くから伝わる「鳥追い」を行い、豊作や豊漁、家内安全を祈願する小正月の伝統行事であり、受け継がれてきた行事を今に残す貴重な例として、国の重要無形民俗文化財にも指定されている。
 毎年一月十一日から十六日までの七日間、月浜地区の小学二年生から中学二年生までの男子が、同地区内にある五十鈴神社の下にある岩屋にこもり、寝食をともにし、学校へも通い、この間は子供達だけでの生活が岩屋で営まれる。
 そして十四日の夜に全員で月浜地区の全戸をまわり、松の棒で地面を突きながら「えんずのわり、とうりょうば、かすらわって、すおつけて、えんぞがしまさながせ」(意地の悪い鳥を追えば、頭割って塩つけて、蝦夷島さ流せ)と、唱え歩く。
 翌日には、各戸で早起きをし、薪などで火を起こして「ホーイ、ホイ」と鳥を追いながらその煙で腹をあぶり、一年の健康を祈る。
 昔から伝えられてきた伝統は、未来を担う子供達の手で今も大切に語り継がれている。
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2007/1/25


小鹿田焼 Onta-yaki Onta-Yaki Ceramic Ware

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 小鹿田焼(おんたやき)は、大分県日田市の山あい、小鹿田地区にて焼かれる陶器である。
 小鹿田焼は江戸時代中期に、筑前の国・小石原焼きから陶工・柳瀬三右衛門を招き、大鶴村の黒木十兵衛によって開窯された李朝系登り窯である。
 小鹿田焼は開窯から300年、代表的な技法として、飛びかんな・刷毛目・櫛描き・打ち掛け・流しなどがあり、色調も青磁、黒、白飴、黄など多彩である。
 1954年、及び64年、世界的に著名な英国のバーナード・リーチが日田に滞在し、作陶したのは有名である。
 今も集落の谷川でのんびりと陶土をつき続ける唐臼のように、永い歴史と伝統を守りながら、小鹿田焼10軒の窯元がじっくりと手仕事に取り組んでいる。
 1995年、国の重要無形文化財保持団体の指定を受ける。
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