NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/15


桂川渓谷 Katsuragawa-keikoku 

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 愛媛県松山自動車道大洲インターから国道441号を野村ダム方面へ車で35キロほどのところ、愛媛県西予市野村町にあるのが桂川渓谷(かつらがわけいこく)である。標高897メートル、北宇和郡境にまたがる吉森山から谷々の水を集めて宇和川に注ぐ桂川の中ほどにある。
 入り口付近には「蝶の楽園」があり40種類ほどの蝶を見ることが出来る。渓谷にはキャンプ場や遊歩道が整備され、奇岩、絶壁、清流、滝の風景を鑑賞することが出来る。渓谷の最深部にある乙御前の滝は落差約10メートルある。
 この地には城主と結婚の約束をしたが、いつまでたっても迎えが来ないので、剃髪して尼になり、その後、迎えが来て、かつらをかぶり嫁入りしたが、剃髪が発覚し、追い出され、悲しみのあまり滝に身を投げた、乙姫御前にまつわる悲しい伝説が残っている。
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2007/8/22


家串 荒獅子 Iekushi Ara-shishi 

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 勇壮な大太鼓の音が宇和海に響き渡る。獅子は蝶を捕らえようとするが、逆に蝶に翻弄され荒れ狂う。その様子を表現したとされる家串の荒獅子(いえくしのあらしし)は、愛媛県南端に位置する愛南町に古くから伝わる郷土芸能である。天正年間(1573~1595)に大漁・豊作を願う祭礼として始まったと伝えられる。
 荒獅子は、毎年11月3日に行われる家串地区最大の行事、若宮神社の秋祭りに欠かせない出し物として今に伝えられている。蝶に扮するのは3人の少年で、化粧を施し華やかな衣装を身にまとい、ばちを器用に操りながら大太鼓を叩く。獅子には成年男子が扮し、勇壮で豪快な中にも優雅さを併せ持つ舞いを披露する。
 歴史的・芸術的価値が高く、村民(旧内海村)に欠くことのできない郷土芸能であることから、昭和三九(1964)年に内海村無形民俗文化財に指定された。
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2007/7/19


加茂神社 稚児舞 Kamo-jinja Chigo-mai Chigo-mai Dance at Kamo Shrine

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 加茂神社稚児舞(かもじんじゃちごまい)は、現在の富山県射水市にあたる旧下村加茂に伝わる、古くは奈良時代に創作された民俗芸能である。
 舞台となる下村加茂神社は、京都の賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)の荘園であった倉垣荘の荘家跡に勧請された神社である。
 同社で行われる稚児舞は、毎年九月四日の秋祭りの日に演じられ、一〇才から一一才の男の子からなる四人の稚児が拝殿前に設けられた仮舞台の上で「鉾の舞」「林歌」「胡蝶の舞」「天の舞」などの九曲を五穀豊穣を感謝すると同時に、国の平安と氏子の安寧を祈願して舞い、奉納する。
 まだあどけなさの残る顔立ちの男の子達が、真剣な面持ちで王朝時代の雅な衣装をまとい、舞台袖で奏でられる雅楽の音色に合わせて舞う様は、古来からの伝統の格式の高さと共に、優美で煌びやかな世界へと観るものを導いてくれる。
 耳を澄ませば、悠久の昔からの息使いが、その舞の中から聞こえてくるようだ。
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2007/6/29


琉球玩具 Ryuukyuugangu Ryukyu Toys

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 琉球玩具は、ユッカヌヒー(旧暦の五月四日)にたつ玩具市にて、縁起物として売られる張り子などがその代表である。
 張り子の技術は17世紀以降に日本から学んだもので、最初は上級士族の子女が対象だったのだが、明治になって普及し、庶民の子供達の手に届くようになった。
沖縄の張り子は、琉球王朝の影響や中国大陸の影響をうけつつ、島独自の文化が混じった独創的な形や豊かな配色のものが多い。
張り子に限らず、アダンの葉でできた風車やソテツの実を使った操り人形、大陸文化の影響を感じさせる蝶型の凧など、琉球玩具には素朴な味わいが感じられる。
 やがて登場したセルロイドやブリキの玩具に子供達の人気は取って代わられたが、今でも琉球玩具は、各々の作品が持つ表情やほのぼのとした温もりが伝わり、多くの人に親しまれている。
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2007/5/31


旭岳 Asahidake Mt. Asahidake

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 旭岳は、北海道のほぼ中央に位置する大雪山連峰の主峰で、北海道最高峰の山。標高は2、290m。
 旭岳は高緯度にあるため、本州の3、000万m級の山と同等の環境があり、天女ケ原では湿原特有の植物が、姿見の池やその周辺には40数種類の高山植物などが観察できる。夏には花々が咲き乱れ、その様はまるで巨大な庭に咲き乱れる大きな花畑のよう。秋には紅葉の眺めが圧巻、冬には純白の衣をまとい、慄然と立つ姿が美しい。
 また、日本では大雪山系だけにいるウスバキチョウ(天然記念物)や、6種類の高山蝶、エゾナキウサギやエゾシカなど、多くの昆虫や野生動物が生息している。
 東川町の旭岳温泉から姿見の池まで大雪山旭岳ロープウェイがあり、比較的手頃な登山が楽しめるとあって、毎年多くの登山客が訪れる。
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2007/4/12


浄土寺 多宝塔 Jodo-ji tahou-tou Tahoto Pagoda at Jodoji Temple

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 鎌倉時代末期,嘉暦三(1328)年建立。大日如来及び脇侍(尾道市重要文化財)を安置し内部には彩色が施され、壁面には真言宗の名僧を描いた真言八祖像がある。
 多宝塔としては規模が大きい上に全体の釣合いがよく、高野山金剛三昧院や石山寺の多塔宝と並ぶすぐれた塔である。とくに亀腹が大きく下重の木鼻や蛙股、上重の絵様化した手先肘木や尾垂木など、細部意匠にも特色がある。
 牡丹・唐草に蝶の透かし彫りをした蟇股(かえるまた)など、華麗な装飾に富みその整った容姿および手法により鎌倉時代末期の代表的な建築とされる。
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2007/3/13


四稜郭 Shiryou-kaku Shiryokaku Fort

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 四稜郭(しりょうかく)は、北海道函館市陣川町にある堡塁。国指定史跡となっている。
 四稜郭の名は、蝶が羽を広げたような四稜の突角を有する形から付けられたものである。
 明治元年、五稜郭を占拠した蝦夷共和国(箱館政権)だが、翌年からの明治政府軍の攻撃により後退を余儀なくされた。
 明治2(1869)年、主戦場となる函館近郊を一望でき、五稜郭を防御するため築造されたのが、洋式築城法に基づく堡塁である四稜郭である。
 大鳥圭介あるいはブリュネ大尉の指揮の下、脱走軍兵士200名と付近の住民約100名を動員して、2週間ほどで急造した。
 しかし、実戦では新政府軍の総攻撃により、わずか数時間で陥落したといわれている。
 現在は、復元された土塁だけが残り、一帯は公園となっている。
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2007/3/5


三川内焼 Mikawachi-yaki 

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 16世紀末の豊臣秀吉による朝鮮出兵に参加していた、土地の支配者が、朝鮮から連れ帰った陶工に窯を焼かせたのが起こり。明治維新まで平戸藩の御用窯として栄え、平戸藩が窯の経営を行っていた時代、天草地方で陶石が発見され、技術・技法が飛躍的に発展した。その伝統は今も受け継がれ現在14の窯元がある。
 唐子絵は唐の子どもたち(唐子=からこ)が松の木の下で牡丹に飛ぶ蝶と戯れている様子が描かれている。当時は、描かれた唐子の人数により用途が異なっていた。7人唐子は将軍家や朝廷への献上品の献上唐子とよばれ、5人唐子は藩用、3人唐子は一般大衆用とされた。
 透かし彫りは彫刻で、金属・木・石などの薄板を打ち抜いて模様をあらわす技法。また、その彫刻したもの。 
 欄間の彫刻、刀剣の鍔(つば)などに見られ、色々な焼き物などで使われる技法として有名である。
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