NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/13


くしふる神社 Kushifuru-Jinja Kurufushi Shrine

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 くしふる神社は、宮崎県西臼杵郡高千穂町にある神社である。祭神は、天津日子彦番火邇々杵命。
 神社創建は不詳で、はじめは社殿もなく、山そのものを神体として祀り、高千穂八十八社のひとつに数えられていた。元禄七(1694)年、当時の延岡藩主や村人たちの厚い信仰により、社殿が建てられた。
 古事記にはニニギノミコトが降り立った所は、高千穂の「くじふる峰」と記されているが、その場所と考えられている「くしふる峰」の中腹にある神社である。周辺には神武天皇の兄弟神の生誕地である四皇子峰や高天原遥拝所、高千穂碑等の神話史跡がある。
 森に囲まれ静かな佇いの社で、高千穂神社、天岩戸神社、くしふる神社の三カ所を詣でる三社参りが古くから人気となっている。
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2008/8/7


茜色(アカネイロ) Akaneiro 

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 茜色(アカネイロ)は、日本に古くから伝わる伝統色のひとつである。
 茜草の根を染料とする強い赤色であり、四五〇〇年前のインダス文明、モヘンジョダロ遺跡からも茜染めの木綿が出土しており、およそ有史以前より赤を染めて来たと推定されている。
 日本でも早くから用いられた朱がかった赤色とされ、栽培の歴史は古く、「古事記」にも記されているが、色名として定着したのは近世とされる。
 茜の根は乾燥すると赤黄色となり、この根を煮出した汁がまだ熱いうちに前もって灰汁で処理した布を漬けると、茜色に染まる。根で赤く染めるから、アカネと言う名前になったと言われている。
 茜草を染料として得る色には、他に緋色があるが、こちらは鮮やかな赤色で、茜色よりはるかに明るい。
 茜色は、夕焼けの真っ赤な西の空の表現としてもよく知られている、日本の伝統色である。
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小豆色(アズキイロ) Azukiiro 

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 小豆色(アズキイロ)は、日本に古くから伝わる伝統色のひとつである。
 小豆はマメ科ササゲ属の一年草で、原産はアジア。日本でも古くから利用され、古事記にもその記述が存在する。
 栄養価が高いほか、赤い品種の皮にはアントシアニンが含まれ、亜鉛などのミネラル分も豊富であり、昔から親しまれてきた。
 小豆色は、小豆の実、赤小豆のような色をいい、紫みのくすんだ赤色である。栗色に近いがやや紫がかっており、ラセットブラウンに近い。
 この色名は古くは江戸時代から着物に愛用されてきた色にもかかわらず、江戸時代には染法が見当たらない。おそらく、梅と蘇芳により染めたものと思われている。
 小豆色は、電車などにも多く使用されている日本の伝統色である。
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2008/7/28


オオタスセリ Oota Suseri Suseri Oota

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 芸人・オオタスセリ。神奈川県出身。本名は太田寸世理。スセリという名前は『古事記』に登場する、勢いのままに突き進む女神・スセリ姫(スセリビメ)に由来する。
 本格的に芝居の道に進むために大学を中退。劇団円研究所に所属後、「ペコちゃん」という漫才コンビを組むが、相方の結婚によりピン芸人へ。一人コントやギターの弾き語りなどの舞台を中心に活動。女優や台本作家、エッセイストとしても評価が高い。代表作『デカい女』。
 身長176cm。足のサイズ26cm。成人女子の平均身長が159cmである中、平均値から大きくはみ出した自分自身を見つめる目は鋭い観察眼を生み出し、およそ他人には思いつかないような日々のディテールの観察やユニークな行動に発揮されている。
 ピンの芸人でありアーティスト。やりたいと思ったことはすぐに実行し、常に人前に自分を晒すことで育ってきた勢いは、まさにスセリ姫。
 今後のオオタスセリの益々の飛躍が期待されている。
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2008/6/18


賣太神社 Metajinja 

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 賣太神社(めたじんじゃ)は三社神社とも呼ばれ、ご祭神は稗田阿礼命(ひえだのあれのみこと)、猿田彦命(さるたひこのみこと)、天鈿女命(あめのうずめのみこと)である。
 天武天皇の舎人である稗田阿礼命は、朝廷に奉仕した猿女君稗田(さるめのきみひえだ)一族の居住地で知られる。天皇は、阿礼が記憶力や理解力に加え、学芸話術の才にも秀でていたのをお褒めになったといわれている。そのため、賣太神社は学問の神・知恵の神として信仰が厚く、毎年八月一六日は童話の神としての「阿礼祭」がおこなわれる。
 昭和五(1930)年、当時の奈良県立図書館長であった仲川明氏らが提唱し、全国童話連盟の人たちにより始められた祭りである。
 当日は、日本最古の書物「古事記」の語り部であった阿礼の遺徳をしのび、太鼓や鐘、鉦鼓とともに神前で「稗田舞(ひえだまい)」が奉納され、続いて地元の女の子たちが浴衣と花笠姿で「阿礼さま踊り」を披露する。
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2008/2/6


土俵 Dohyou 

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 日本の国技である相撲の歴史は大変古く、「古事記」の中に記されている建御名方神(たけみなかたのかみ)と建御雷神(たけみかづちのかみ)が出雲の国をかけた「力くらべ」が起源とされている。
 土俵(どひょう)は、相撲を取る力士たちが勝負を争う神聖な場所を指す。土俵はその字のごとく、俵に土を詰めたものを使うためにこう呼ばれる。
 その大きさは江戸時代では直径一三尺、三メートル九四センチであったが、昭和六(1931)年、天皇がご覧になる天覧試合の時より直径が一五尺、四メートル五五センチとされた。
 現代の大相撲の本場所の土俵は、円周となる勝負俵一六、東西南北の真中の俵だけ円よりも俵一個分外にだしている徳俵四、周囲を囲む角俵二八、四角の上げ俵(外俵)四、土俵に上がる上がり段(踏み俵)一〇、小さめの水桶俵四の六種類六六俵を使用している。
 土俵は勝負を行う神聖な場所であることから、真中に穴を掘り日本酒や塩、米などが奉納される。また、女人禁制とされる場所としても有名である。
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2008/1/15


雉(キジ) Kiji 

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 雉(きじ)は日本の国鳥である。
 雄は長い尾を持ち、体は全体的に深緑色をしており、目の周りには赤い肉腫がある。きれいな緑と赤のコントラストがとても美しい鳥である。走るのは速いが、飛ぶのが苦手ともいわれている。
 紙幣のモチーフに選ばれたり、桃太郎などの昔話に登場したり、ことわざや慣用句にも多く登場する。また、白い雉は吉祥として古来より大切にされ、飛鳥時代の650年には、長門国(山口県の西)より白雉が献上され、「白雉」と改元された。
 「朝キジが鳴けば雨、地震が近づけば大声で鳴く」という予知能力なども、昔からの言い伝えとして今も残され、古事記には、雉を「きざし」と呼んでいる箇所がある。
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2007/12/10


山車 Dashi 

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 山車(だし)とは、神社の祭礼の時に引く、種々の装飾を施した屋台の事である。やま、曳山(ひきやま)、山鉾、鉾、山笠、だんじりなどとも表記される。
 古代、天から神霊が招き寄せられて乗り移る依代(よりしろ)にする為、人は少しでも天に近い山を真似、土を盛った臨時の置山や、樹木、人形などを先端に取り付けた突起物を祭礼時に作った。
 神の依代である木を突き出し、先の部分を山車、下の部分を鉾、木の元を山と言ったが、やがて全体を山車と言うようになった。
 古事記の、垂仁天皇の条にある「青葉山」で、岐比佐都美が大国主を祀る庭として青葉で飾った山を造ったとあるのが、記録に残る最も古いものとされる。
 山車文化は江戸時代に頂点を迎え、全国各地の山車の多くは、山車祭りの中心地であった江戸、京都、大阪、名古屋の4大都市の系統であるとされている。
 山車は、古来より続く日本独自の発展を遂げた祭具である。
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