NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/4


蘇芳色(スオウイロ) Suouiro 

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 蘇芳色(スオウイロ)は、日本に古くから伝わる伝統色のひとつである。
 蘇芳とはインドのマレー原産、マメ科の植物で、木の部分を煎じて染料として用い灰汁媒染で染め出した色である。
 日本には奈良時代に伝わり、広く普及した染料で、紅花や紫に代わって赤系や紫系の染色にも用いられた。
 かつては紫に次いで高貴な色とされていた色で、濃く渋い紫がかった赤色をしている。
 また、今昔物語では凝固しかけた血液の表現にも使われている。
 蘇芳花あるいは蘇芳泡と呼ばれる日本画の絵の具としても使われており、樹心周囲の色の濃い部分である心材を煎じ詰めたものを、陶器などに塗って乾燥させたものを顔料として用いる。
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2008/3/10


雀(スズメ) Suzume 

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 「雀(スズメ)」は、スズメ目ハタオリドリ科に属し、全国のいたるところに生息している鳥である。鳥の中では最も身近な存在であることから、昔から日本画の題材としても親しまれている。
 全長は15センチメートルほどで、口ばしの色は夏は黒色で、冬は基部が淡黄色になる。頬にある大きな黒い斑点も雀の大きな特徴である。
 山の中には住まず、公園や人家のあるところを中心に人間と共生している。
 人間の生活に密接に関係し、人間が住み始めた集落には雀もやってきて、逆に人間が離れ集落が無人になると雀も見られなくなるという習性である。人間の近くでしか生きられない割には、人間とは一定の距離を置いていて、決して近くには寄せ付けない。
 雀は雑食性で、稲などの植物の種子や虫を食べる。都会に生息する雀については、桜の花をはじめ、パン屑、菓子屑、生ゴミなど何でも餌にする。この雑食性が、都会で強く生き抜く理由であろう。
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2008/3/4


日本画 Nihonga 

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 日本画(にほんが)は、日本で独自に発展した絵画におけるジャンルの一つである。
 明治時代にヨーロッパからもたらされた油絵に対し、それまでの日本の伝統的な技法や様式の上に描かれた絵画を指す。
 哲学者であるアーネスト・フェノロサが来日した際、明治一五(1882)年に行った講演で使われた「Japanese painting」の翻訳が、日本画という言葉の初出とされている。
 その後、明治二二(1889)年の東京美術学校開校や明治三一(1898)年の日本美術院創立などにより、日本画隆盛の土台が築き上げられていくこととなる。
 その制作には様々な種類の岩絵具が主として用いられ、膠(にかわ)水で溶いて使われる。これらには溶解しにくい性質があり、絵具を薄く塗り重ねて制作することが可能であるという特徴を持つ。
 岩絵具の取り扱いは癖があり難しく、また高価であることもあって広く一般に普及しているものではないが、それらを駆使して表される世界観は、まさに日本独自のものといえるだろう。
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2007/11/5


中津万象園 Nakazu-banshouen Nakatsu Bansho-en Garden

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 中津万象園(なかつばんしょうえん)は香川県丸亀市を流れる金倉川河口の海浜にある美しい日本庭園である。
 貞享五(1688)年に丸亀藩二代藩主である京極高豊(きょうごくたかとよ)が築いた「中津別館」と呼ばれた大名庭園であり、別荘として利用されていた。
 庭内には一五〇〇本に及ぶ松が植えられ、池を中心に、京極家の故郷である琵琶湖の近江八景が見事に再現されている。
 構成の内容は森羅万象をテーマに、池を中心として帆、雁、雪、雨、鐘、晴嵐、月、夕映と名づけられた八つの島が配置されており、それぞれの場所を楽しむことができる回遊式庭園となっている。池の側には、中二階の茶室と母屋が設けられており、母屋の南側には樹齢六〇〇年の大傘松がある。
 また、庭園の中には、丸亀美術館があり、バルビゾン派の絵画や日本画を展示する絵画館、一三世紀頃の陶器を中心とした陶芸館、人形、櫛、かんざしなど三〇〇〇点余りを収蔵するひいな館を見学できる。
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2006/12/11


越前和紙 Echizen-washi Echizen paper

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 和紙の中でも、その落ち着きのある光沢と崇高な繊細さで特に愛されている越前和紙。福井県の山裾の静かな町、今立で作られている。
 歴史は古く、今から1500年程前、この村の岡太川に美しい姫が現れて紙漉きの技を教えたという伝説が残っている。奈良時代には写経用紙として重用された。その後武士が大量に紙を使いだす時代には紙漉きの技術、生産量も向上し「越前奉書」など高品質の紙が作られるようになり、紙の産地として幕府などの保護を受けて発展を遂げた。
 綺麗な水で漉いたにごりのない和紙のたたずまいは多くの芸術家たちに支持され、横山大観も越前和紙を愛用していたという。また、現代では襖(ふすま)紙、免状、色紙、封筒、便箋など生活の身近な場面でも多く使われている。
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2006/12/7


筆工房 亀井 Fude-kobo Kamei Ink Brush Workshop Kamei

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 「筆工房 亀井」は、江戸筆を専門に制作を行っている工房だ。
 筆は西暦600年頃に中国より日本に伝来し、関西を中心として技術は発達した。江戸で筆づくりが盛んになったのは江戸幕府が開かれてから。筆の需要が高まり、関西からやってきた職人が江戸で筆をつくるようになったのが「江戸筆」の始まりだ。関西の筆は1/3または2/3だけおろして使用する「かため筆」なのに対して江戸筆は元までおろして使用する「さばき筆」であり、製法も異なる。この製造法で筆を作れるのは、今では都内数人の職人しかいないそうだ。
 江戸筆づくりは30以上もの工程に分かれる。それを分業でなく、ひとりの職人が手がける。しかも筆の用途は書道や日本画など多岐に渡り、筆の種類はじつに950種類にもおよぶ。そのため、職人が一人前になるには長い年月を要し10数年はかかるという。
 「筆工房 亀井」のこだわりは販売方法にもおよぶ。直接販売を徹底し、ホームページはあるが一度は顧客と直接連絡を取り、お客さまに合わせた筆を選んでいただく。そんな「匠」の思いが、プロの書道家から書道愛好家、絵師まで様々な顧客に愛される所以なのだろう。
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