NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/30


緑青色(ロクショウイロ) Rokushou-iro 

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 緑青色(ろくしょういろ)とは、色彩の種類の一つで、日本に昔から伝わる伝統色である。
 仏教伝来とともに中国から伝わった顔料で、孔雀石の粉末に水を加えて強く研ぎ、上層に浮き上がる細かい粒子を白緑、中層にたまる粒子を中緑、下層にたまるものを緑青と言う。
 岩絵具の顔料であり、昔から日本画の緑色として欠かせないものであった。
 また、古代から人工的に銅や青銅を酸化させて、表面にできる緑色の錆から採取する製法も存在する。成分はいずれも、炭酸銅と水銀化銅の混合物である。
 古来、絵画の緑色絵の具の代表的なもので、彫刻や建築などの塗装などにも広く用いられてきた。
 落ち着いた感じのする、日本に古来より伝わるくすんだ青緑である。
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2008/7/2


大和絵 Yamato-e 

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 大和絵(やまとえ)とは、日本で興った日本絵画の様式である。
 かつての日本の絵画は、全てが中国から招来された様式や画法で描かれ、題材もほとんど中国の事物であったが、9世紀末頃から日本的なものが描かれるようになってきた。これを大和絵と呼び、従来の中国風の物を唐絵(からえ)と呼んで区別するようになった。
 日本の風景や風俗を描いた絵画で、鎌倉時代後期からは、宋元画やその影響を受けた新様式の日本画に対して平安時代以来の伝統的な様式による絵画の総称となった。
 あくまで唐絵に対する呼称であり、その意味や様式は時代によって変化しており、明確に定義付けする事は困難とされている。
 代表作としては、伴大納言絵詞、源氏物語絵巻、信貴山縁起絵巻、鳥獣人物戯画の四大絵巻物や山水屏風、平等院鳳凰堂壁扉画、聖徳太子絵伝などが存在している。
 大和絵は、現代画にも影響を与えている日本の伝統的絵画である。
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2008/3/4


水墨画 Suiboku-ga Suibokuga Painting

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 水墨画(すいぼくが)は、墨と筆を用いて「墨」一色で表現され、線だけでなく墨を面的に使用し、暈かしで濃淡・明暗を表す技術が用いられた絵画である。
 水墨画のような濃淡やにじみ、かすれなどの表現がない作品は白描(はくびょう)といい、水墨画とは別に捉えられている。
 その起源は唐代後半の中国とされ、山水画の技法の一つとして成立。宋代に入って、禅宗の普及に伴い、禅宗的故事や人物画が水墨で制作されたことが、一般にも広く伝わるきっかけとなった。
 日本には鎌倉時代にその禅とともに伝わり、室町時代に入って足利家が禅宗を庇護したことにより、日本水墨画は全盛期を迎えるようになった。
 その後、徐々に変化を遂げて風景を描く本格的な山水画も書かれるようになり、室町時代後期には如拙や周文、雪舟などの優れた画僧が生まれ、水墨画の素晴らしさを今の世にも伝えている。
 白と黒のみで表されるシンプルな世界は、しかし無限の奥行きを持って、見るものをその世界へといざなう魅力を放っている。
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2008/2/28


城下町 大聖寺 Joukamachi Daisho-ji Castle town,Daishoji

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 石川県加賀市の大聖寺(だいしょうじ)は、加賀百万石の支藩、大聖寺藩の城下町として栄えてきた歴史と伝統文化の息づく町だ。
 江戸時代からの街並みをそのままとどめ、しっとりと落ち着いた雰囲気を漂わせている。錦城山城址のふもとには禅宗、日蓮宗などの古刹が立ち並び、年間を通して史跡めぐりを楽しむ人々が絶えない。
 特に実性院(じっしょういん)は、5月に咲く藤の花の全国的な名所としても知られている。金箔をあしらった障子画も見事だ。また、大聖寺3代藩主の藩邸跡の一部に当たる江沼神社境内にある「長流亭」は、兼六園を模して作庭されたとされ、書院や茶室など、隅々にまで凝らされた意匠が興味深い。この庭園は、国の重要文化財に指定されているという。 
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2007/11/7


函館ハリストス正教会 Hakodate-harisutosu-seikyoukai 

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 函館ハリストス正教会は、北海道・函館西部のシンボル。日本で初めて建てられたギリシア正教会の聖堂である。
 江戸末期の安政五(1858)年に、キリスト教が禁止されていた日本で、初めてギリシア正教がロシアの司祭ニコライにより伝えられ、ロシア領事館付属の聖堂として建てられたのが始まり。日本のギリシア正教発祥の地となった。鐘の音から地元では「ガンガン寺」とも呼ばれ親しまれている。
 外観は、細長い三角屋根や、3つの小さなドームなどに見られるロシア風ビザンチン様式の建築が特徴的。漆喰塗仕上げの白壁と緑色の屋根の色の調和が美しい建物である。内部には、黄色と赤の唐草文様じゅうたんが敷きつめられ、正面壁面にはロシアから運んできた極彩色の絵が飾られている。
 この聖堂は、日本ハリストス正教会の発祥の地であり、意匠的にも優れているとして昭和五八(1983)年に国の重要文化財に指定された。
 
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2007/9/25


宮本武蔵 Miyamoto Musashi Miyamoto Musashi

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 宮本武蔵(みやもとむさし)は、江戸時代初期に活躍した剣豪である。近代においては、処世訓や座右の銘を残した偉大な思想家としての認識も強い。
 天正一二(1584)年に誕生。13歳で最初の決闘に勝利し、諸国を巡り剣の腕を磨き、その後60回以上の決闘で負け知らずだった。剣客・佐々木小次郎との「巌流島の決闘」が有名。
 代名詞である「二刀流(二刀使い)」を始め、実用主義に貫かれた兵法が宮本武蔵の特徴だった。「なんのための剣か?」を肉体の側から思考し続けた。
 武蔵の手先の器用さ、感性の鋭さは、絵画・書画・彫刻・工芸の世界にまで及んだ。また町割り(都市計画)や造園などの事業でも優れた才能を発揮した。
 死の直前に、独自の兵法を理論化した『五輪書』を著した。戦術論を超えて、精神の扱い方を示唆する、武士道の先鞭をつける内容である。
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2007/2/19


浮世絵 Ukiyo-e Ukiyoe

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 江戸時代の風俗を描いた絵画。「浮世」とは現在の世を指し、当時の日常、風景、人物を描いたものである。
 安土桃山時代に京都の庶民を描いたものが始まりとされる。その後江戸時代に入り一般に広まった。
 初期は肉筆と淡色の版画のみであったが、印刷技術や紙の質の向上により、多色刷りである「錦絵」が作られるようになり人気を博した。
 描かれる対象は美人画、役者絵、武者絵などの人物、名所絵などの風景、滑稽なものを描いた戯画など多岐に渡る。
 芸術性が高いが、当時のチラシやポスターにあたり、ごく日常的に扱われていたもので、明治時代に海外に輸出された焼物の包装紙として扱われ、それを見た多くの芸術家が影響を受けた。
 世界的にも有名であり、多くの人々を魅了している。
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2007/1/30


田島比呂子(人間国宝) Tajima Hiroshi Hiroshi Tajima (Human National Treasure)

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 大正十一(1922)年生まれ。本名、田島博。平成十一(1999)年、重要無形文化財「友禅」保持者(人間国宝)に認定される。
 尋常高等小学校卒業と同時に、高村樵耕、高村柳治に師事し下絵を学んだ後、独学で友禅染の技術を習得した。三二歳で独立後は日本伝統工芸展を中心に作品を発表、研究会では友禅の人間国宝中村勝馬の指導を受けるなど、高度な友禅染技術を会得した。
 伝統的な友禅の技法を踏まえながら、様々な技術の研究を重ね、「堰出し(せきだし)友禅」で独自の境地を開いた。「堰出し友禅」は、柄がくっきりと立体的に浮かび上がってくるが、それにうたせ糊などの技法で色彩に深さと味わいを持たせているのを特徴とする。野鳥や鶴、鷲、鴎(かもめ)などの鳥、野の花などの自然を題材として多く取り上げ、詩情豊かで芸術的な作品に仕上げている。
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