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2008/8/8


紅色(ベニ・クレナイ) Beniiro(Beni/Kurenai) 

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 紅色(ベニ・クレナイ)は、日本に古くから伝わる伝統色のひとつである。
 ベニバナは、西アジア原産のキク科の一年草で、四千年以上前のエジプトのミイラもベニバナ染めの布に包まれていた。
 中国を経て日本に伝わり、山形県最上地方が古くからの産地として知られる。
 古代日本では染料のことを藍と呼んでおり、古代中国の呉(くれ)から伝わった藍、という意味の呉藍(くれのあい)が転訛して「くれない」になったものとされる。
 べにの名称は江戸時代からで、近年では「紅(ベニ)」とよぶことが多い。
 紅色は、ベニバナで染めた紫がかった濃赤色の事である。黄色をした紅花を冷水の中で何時間も揉み続ける事により黄の色素を抜き、そこへ稲藁の灰汁を混ぜると真紅の赤が現れる。その汁をつかって着物地などを染色する。
 紅色は、かつては非常に高価な染料で、秘めた熱い想いを表す言葉ともされた伝統色である。
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2008/7/31


手甲 Tekkou 

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 手甲(てっこう)とは、手首に装着して手首を保護する道具である。
 元々は武士が刀から手首を守るための護身用の防具であったが、旅人や飛脚なども利用した。
 武具としてのものは革製が多く、旅や労働のためのものは藍染の木綿が用いられる事が多かった。現在でも農作業やガーデニングの際に使われれている。
 伝統的な装束に欠かせないものとして、武者行列や祭りの太鼓、時代劇やお芝居などにも活躍している。
 また、仏衣の死装束で用いられるものでもあるが、現代では、故人が生前愛用していた私服やパジャマなどを着させることが多くなってきており、死装束としてはあまり用いられなくなっている。
 今では様々な材質でつくられており、マジックテープで止めることができるものや、実用以外に手元を飾るアクセサリーとして使用されたりもしている。
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2008/7/28


黄檗宗崇福寺 Oubakusyuu-Soufuku-ji 

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 長崎県長崎市にある黄檗宗崇福寺(おうばくしゅうそうふくじ)は黄檗宗では日本で最古の寺である。
 寺の起源は寛永六(1629)年、長崎を中心に貿易業を営んでいた中国福建省出身の華僑の人々が明の国の僧超然(ちょうねん)を招き建立したものである。
 崇福寺は唐様式であるためその門からして朱塗りの竜宮門である。この門をくぐると同じく朱塗りの第一峰門がある。この門と本堂である大雄宝殿は国宝に指定され、竜宮門である三門も国の重要文化財に指定されている。その他、護法堂(ごほうどう)、媽姐堂(まどそう)、鐘鼓楼(しょうこうろう)、関羽像(かんうぞう)など唐様式の伽藍は見るだけで華やかであり、また文化財の宝庫ともいえる。
 毎年7月の中国孟蘭盆会(ちゅうごくうらぼんかい)には日本に定住している多くの中国の人々が全国から訪れ、先祖の供養を行うことでも有名である。
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2008/7/23


金戒光明寺 Konkai-koumyou-ji 

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 黒谷(くろたに)さんの名で親しまれている、京都左京区黒谷にある金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は、浄土宗の開祖法然が比叡山の黒谷を下り、師・叡空(えいくう)より譲り受け、草庵を結んだ地である。承安五(1175)年、法然四三歳のころである。
 念仏によって人々が等しく救われるという浄土宗を開いた法然は、この地に念仏道場を開いて念仏の輪を広めた。これが浄土宗の寺院のはじまりである。
 法然の死後、法蓮房信空(ほうれんぼうしんくう)と弟子達に引き継がれ、伽藍を整えられながら大寺院となった。
 建物は応仁の乱の戦火などで焼失したため、創建当時のものは残されていない。一番古いものは阿弥陀堂で、慶長一〇(1605)年に豊臣秀頼によって再建したものと伝えられている。
 幕末には京都守護職を勤めた会津藩が、ここに新撰組を預かったことでも知られている。
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2008/7/15


郡上本染 Gunjou-honzome 

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 郡上本染(ぐんじょうほんぞめ)は岐阜県の城下町である郡上市八幡町に古くから伝わる藍染めの染色技術である。
 郡上本染が始まったのは今から430年も前といわれている。
 藍染めに使用される藍液は香辛料や薬味として使われるタデの葉から藍玉を作り、灰汁、酒などを混入し乳酸発酵や酪農発酵を起して作られる。郡上本染はこの藍液で平均十数回繰り返し染め、深い藍色を作り出すのが特徴である。また、郡上本染に欠かせないのが厳寒の吉田川での洗い流し作業である。吉田川の冷たい清流が郡上本染に自然の息吹を与えてくれるのである。
 八幡町で郡上本染の伝統と技術を守り抜いている渡辺庄吉氏は昭和五二年岐阜県の重要無形文化財に指定された。
 使うほどに色合いが変化する郡上本染の愛好者は現在でも多いという。
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2008/7/11


青花 Aobana Aobana

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 青花(あおばな)は、日本に伝わる染料のひとつである。
 下絵を描く染料で、露草、螢草などと呼ばれる多年草の花の液汁を和紙にしみ込ませた物で、露草の青い花の汁から得ることからこの名がある。
 友禅模様の下絵などを描くために使用する物で、青花紙、藍紙などともいう。
 青花を少しちぎって皿に入れ、水を注ぐと青インキのような液体が現れるが、これで描いた物は水洗いするときれいに消えるので、その特性を利用して、下絵描き用に使われる。
 露草の花の色の変わりやすさは古くから知られており、「世の中の人の心はつゆくさの移ろいやすき色にぞありける」と、歌にも詠まれている。
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2008/7/9


津観音寺 Tsukannon-ji 

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 津観音寺(つかんのんじ)は、三重県津市にある真言宗の古刹である。
 正式には「恵日山観音寺」と称し、地元の人々からは「津の観音さん」として親しまれている。
 和銅二(709)年の開山で、御本尊は阿漕浦の漁夫の網によって出現されたという、聖観世音菩薩で秘仏となっている。
 浅草と大須に並び、日本三観音の一つに数えられており、全国の人々から海上安全や五穀豊穣、所願成就の観音様として深く信仰を集めている。
 時々の権力者達からの庇護も篤く、室町時代には将軍足利義教が勅命を奉じて三重塔を建立し、江戸時代には歴代将軍家や津藩主藤堂家の祈願所として特別の加護を受けていた。
 太平洋戦争時は空襲で伽藍の多くが焼失するも戦後に復興、幸いにも難を逃れた「弘法大師画像」や「豊臣秀吉朱印状」、「千利休書状」など数多くの文化財を有する名刹としても知られる。
 平成一三(2001)年には県内唯一の五重塔が完成し、その隆盛を今も放ち続けている。
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2008/7/2


黒韋威胴丸 Kurokawaodoshi-doumaru 

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 黒韋威胴丸(くろかわおどしどうまる)は、広島県廿日市市宮島町の厳島神社(いつくしまじんじゃ)にある防具である。国宝に指定されている。
 厳島神社は、推古天皇元(593)年創建と伝わる古社で、全国の厳島神社の総本社とされる。祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)他2柱。
 黒韋威胴丸は、黒漆塗地盛上げ小札(こざね)の技法や、牡丹獅子文染韋・筋兜の意匠から見て、南北朝時代(1333~1392)以前のものではないが、現存の胴丸のうちでは古く、保存が良く形姿が雄大で精巧を尽した作である。
 日本の鎧は小札と呼ばれる短冊状の小さな板で構成されているが、黒韋威胴丸は黒漆塗盛上げの鉄小札と革小札を一枚交ぜにして、濃い藍染めの皮をもって紺糸で隙間なく綴った毛引威(けびきおどし)としている。
 黒韋威胴丸は、日本古来より伝わる貴重な防具である。
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