NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/2/1


賤ヶ岳 Shizuga-take Mt Shizugatake

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 賤ヶ岳は、滋賀県伊香郡木之本町と余呉町の境界にある、標高421.9mの山である。
 天正十一(1583)年、織田信長の跡目を巡り、羽柴(豊臣)秀吉と柴田勝家が対決した、賤ヶ岳の合戦の舞台として名高い。
 秀吉は大垣から木之本までの13里(約50km)を5時間で取って返すという得意の大返しと、「賤ヶ岳の七本槍」といわれる俊英の活躍により勝利を得た。
 秀吉が戦国時代の終演として、「日本の治まりはこの時に候」と言ったのは、この賤ヶ岳の合戦の後だといわれている。
 賤ヶ岳は、東に伊吹山、小谷山を望み、南にびわ湖、竹生島、北は羽衣伝説の余呉湖を眼下に眺める、湖北随一の景勝地である。琵琶湖八景の一つにも数えられる。
 賤ヶ岳は、戦国時代の転換点となった歴史の証人であり、同時に美しい景勝地でもある。
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2006/11/29


松山城 Matsuyama-jyou 

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 松山城は、愛媛県松山市の中心部、勝山(標高132メートル
)にそびえたつ城郭だ。姫路城、和歌山城とともに、日本三大連立式平山城に数えられる。
 現存する天守としては最も新しい。築城は1602年(慶長7年)、賤ヶ岳(しずがだけ)の合戦で有名な七本槍のひとりである加藤嘉明(よしあき)により始められた。25年の歳月をかけた松山城は、山頂に本丸、中腹に二ノ丸、山麓に三ノ丸を整備した広大な規模となる。その後、蒲生忠知、松平定行と代が変わり、定行以降、松山城は松平家の居城となり明治維新を迎えたのだった。
 幾度もの焼失のたびに時の藩主の庇護のもと再建され、今にいたる。昭和10年(1935年)には国の重要文化財、昭和27年(1952年)には国の史跡に指定された。
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