NIPPON Kichi - 日本吉

記事数9件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/6/5


大菩薩嶺 Daibosatsu-rei 

Jp

 大菩薩嶺(だいぼさつれい)は、山梨県甲州市~北都留郡丹波山村にまたがる標高2056・9mの山である。日本百名山のひとつに選ばれている。
 中里介山(なかざとかいざん)の小説「大菩薩峠」により、嶺と呼ばれる山頂より峠の方が有名になっている。
 東京の西方に位置するこの山は、かつては武州多摩川筋から甲州笛吹川筋に抜ける甲州裏街道の峠路でもあった。
 笹で覆われ視界を遮る樹林のない峠からは、360度の視界を楽しむことができ、天気さえよければ富士山も見える。
 嶺の南は雷岩から賽の河原、大菩薩峠と続く尾根の草原、北側は針葉樹の樹林帯と趣がガラッと変わる。草原は夏から秋には、ヤナギランやマツムシソウの花畑となり人気がある。
 大菩薩嶺は豊かな眺望を誇る峠で知られる、奥秩父の山である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/4/3


秋川渓谷 Akigawa-keikoku 

Jp

 東京都の西部を流れる、多摩川の最大の支流・秋川の流れに沿った全長20キロメートルの渓谷美を、秋川渓谷(あきがわけいこく)と呼ぶ。
 この渓谷はあきる野市と檜原(ひのはら)村にあり、東京都とは思えないほどの自然が多く残されている場所として知られ、休日ともなると川遊びやバーベキュー、魚釣りや森林浴を楽しむことができる。
 秋川では毎年あゆを放流しており、六月上旬から九月末まであゆ釣りが楽しめる。標高は約250メートルあり、夏は都心より気温が2~3度低いといわれている。
 春から初夏にかけての新緑、秋の紅葉など、訪れる観光客を喜ばせており、緩やかな渓谷に沿って流れる秋川は、安全に川遊びができる場所として、多くの家族連れで賑わいをみせる。
 
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2008/2/29


玉川上水緑道 Tamagawa-jousui-ryokudou 

Jp

 玉川上水緑道(たまがわじょうすいりょくどう)は、玉川上水に沿ってつくられた緑道のことである。
 玉川上水とは、羽村市から四谷大木戸まで約四三キロメートルの水路をいう。江戸幕府は、江戸市民の人口が増加し、小川や井戸だけでは飲み水を確保することができなくなったため、多摩川の水を江戸に引く計画を立てた。承応二(1653)年、玉川庄右衛門、清右衛門の兄弟が幕府の命により上水を完成させた。
 現在、玉川上水緑道として整備されているのは、福生(ふっさ)市にある平和橋から三鷹市の牟礼橋までの二三・八キロメートルの区間で、昭和五六(1981)年に開設されたものである。
 この緑道沿いには薬用植物園、小金井公園などがあり、特に春の小金井桜堤は多くの花見客で賑わいをみせる。 
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/12/11


青梅 愛宕神社 Oume Atago-jinja 

Jp

 青梅市柚木町ある愛宕神社(あたごじんじゃ)は、標高五八四メートルの愛宕山にある。多摩川の上流域にあたる奥多摩を支配していた三田氏の居城、辛垣城(からかいじょう)の鎮護のために創建された神社である。
 三田氏はもともと青梅の勝沼城が本城だったが、北条氏が滝山城に進出したとき辛垣城に退いている。のちに北条氏に攻められ、三田氏は永禄六(1563)年に滅んでしまう。
 境内には桜とつつじが植えられており、花の名所として知られている。境内の長い石段の両側には、四月中旬頃から朱色の山つつじが咲き乱れ、別名「つつじが丘」とも呼ばれ親しまれている。石段を昇ると社殿があり、青梅市内を見渡すことができる。
 また、奥宮にあたる本社は愛宕山の頂上にあり、ご神体は勝軍地蔵である。火難除けの信仰が厚く、江戸時代には社領二〇石を付与された。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




ネジレノ滝 Nejireno-taki 

Jp

 ネジレノ滝は、多摩川上流部の支流である海沢川(うなさわがわ)が流れる海沢谷にかかる滝だ。
 上下二段に分かれた滝で、下段は落差およそ6m、上段は13mほどある。
 滝の両脇は極端にせり上がった大きな岩壁に挟まれており、そこに深く切り込むように上段の滝の落瀑がみられる。そして、上段から少し離れてちょうど岩壁の途切れるところから、轟々と音を立てて下段が流れ落ちている。
 この下段の飛瀑の向きが、上段に対してほぼ90度の角度でねじれていることから、ネジレノ滝と呼ばれている。
 天を覆うようにせり出した岩壁の奥から流れ落ちてくるため、瀑音が周囲に反響、よりいっそうの迫力ある轟音を響かせる。
 また、その聳え立つ岩壁が日の光をさえぎるために周囲は暗いが、それがかえって苔をまとった岩にたなびく白い飛瀑を神秘的に見せてくれる。
 滝の名前に反して、奥多摩の豊かな自然の営みをストレートに見せてくれる名瀑である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/11/26


拝島 大日堂 Haijima Dainichi-dou 

Jp

 東京都昭島市の拝島町にある大日堂(だいにちどう)は、正式には「拝島山密厳浄土寺(はいとうさんみつごんじょうどじ)大日堂」という古刹である。
 その創建は天暦六(952)年といわれ、寺伝によれば多摩川上流にあった日原村の尊像が、大洪水によって流され、同寺近くの中洲に流れ着いたものを安置したものが始まりとされている。
 また、その尊像を村人が拝んだことから拝島の地名が起こったという言い伝えもある。
 戦国時代には北条氏の城であった滝山城の鬼門除けとして、同氏の庇護を受けていたとされる。
 境内には昭島市の重要有形文化財である仁王門や、内部に安置されている木造金剛力士像、寺宝である釈迦如来坐像や阿弥陀如来坐像など、様々な歴史物に彩られている。
 また、北条氏の家臣石川土佐守の娘おねいがそこで洗眼したところ、眼病が治ったという伝説を持つ「おねいの井戸」や東京都指定の天然記念物である「拝島のフジ」などもあり、歴史の重みと伝説に溢れた名刹として知られている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します




羽村 阿蘇神社 Hamura Aso-jinja 

Jp

 東京都羽村市内を流れる多摩川。
 その多摩川そばの崖上に佇む古社が、阿蘇神社(あそじんじゃ)である。
 その創建は西暦601年、推古天皇の御代に、推古天皇本人によるものとされる。また、承平三(933)年には平将門が社殿を造営したとも、その将門を討った藤原秀郷(ひでさと)が造営したとも言われている。その後は徳川家康が参詣し、続き家光、綱吉、吉宗など、徳川将軍家からの朱印状が続くこととなる。
 境内には藤原秀郷が手植えしたといわれる椎の大木があり、東京都の天然記念物に指定されている。
 その樹齢は八百年とも千年とも言われるが、樹勢は盛んで、将門伝説を今に伝えている。
 都の有形文化財に指定されている本殿は、一間社流造のこけら葺きの屋根など、神社建築として歴史的価値も高く、長い歴史と文化の歩みを感じさせる荘厳なものである。
 四季折々の風情豊かな地に鎮座する古社は、訪れる人々を悠久の歴史の旅へと誘ってくれるだろう。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/9/28


羽村の堰 Hamura-no-seki 

Jp

 多摩川にかかり、東京の羽村市から新宿区にまで生活用水を運ぶ玉川上水。その玉川上水の出発点となるのが、羽村の堰(はむらのせき)である。
 江戸時代の生活用水不足から新しい水道を作る必要に迫られ、承応二(1653)年、庄右衛門(しょうえもん)と清右衛門(せいえもん)の玉川兄弟によって玉川上水の工事が始まる。その際、多摩川を堰き止め、水を導き入れる役割を果たす堰として建設されたものだ。
 固定堰と、堰止めを解除できる投渡堰(なげわたしぜき)の二つで構成されており、現在もこの二つの仕組みを利用している。
 周辺は整備され、江戸時代に上水の管理を行っていた陣屋の門が移築されるなど、周辺住民の憩いの場所にもなっている。
 また、堰周辺から玉川上水べりにおよそ五百本の桜の木が植えられ、シーズンともなれば多くの人が繰り出し、咲き誇る桜と水の流れの調和を楽しんでいる。
 江戸時代からの水の歴史とその偉業を今に伝えながら、堰は今も水と共に人々の心を潤している。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数9件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter