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2007/12/6


東福寺 五百羅漢 Toufuku-ji Gohyaku-rakan The Frescos of Five Hundred Rakan at Tofukuji Temple

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 東福寺(とうふくじ)は、静岡県賀茂郡西伊豆町中にある臨済宗の寺である。本尊は、阿弥陀如来。
 天福年間(1233~1234)に建立され、天福寺と称されていたが、嘉元年間(1303~1305)に、現在地に再建され、東福寺となったと伝えられている。
 五百羅漢は、東福寺本堂の天井に描かれている漆喰画で、仏師・田村利光により四年八ヶ月の歳月をかけて作製された。
 羅漢とは、仏道の修業者又は悟りを開くために修業中の修業僧の意で、中央に描かれた龍とそれを取り巻く五百羅漢、四方に配した天女からなる天上界の図は迫力満点である。
 田村利光は通称・のんべえやす、とも言われた酒飲みで、五百羅漢は大正末期に完成させている。
 東福寺の五百羅漢は、現代でも立体的で綺麗な色彩に驚嘆する、漆喰の天井絵である。
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2007/11/15


徳島 地蔵寺 Tokushima Jizou-ji 

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 四国霊場第5番札所である地蔵寺(じぞうじ)は、弘仁一二(821)年、嵯峨天皇の勅願により、弘法大師が開創したと伝えられている。
 地蔵寺はかつては阿波・讃岐・伊予の三力国に三〇〇あまりの末寺を持つ大寺であったが、天正年間(1573~1592)の兵火によって殆んどが焼失し、大師堂と御影堂だけが残った。境内は約四万平方キロメートルに及ぶ広大なものである。
 奥の院の羅漢堂には、等身大の羅漢像が三〇〇体余りも並び、さまざまな表情をした像は「木像」の五百羅漢としては珍しく、日本最大級のものとされている。
 地元の人から「羅漢さん」の名で 親しまれているこのお寺の境内には樹齢八〇〇年の大銀杏があり、「たらちね銀杏」とも呼ばれ親しまれている。
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2007/10/31


石峰寺五百羅漢 Sekihouji Gohyakurakan 

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 石峰寺(せきほうじ)は、正徳三(1713)年、黄檗宗(おうばくしゅう)を開いた隠元の孫弟子に当たる、六世・千呆禅師(せんがいぜんし)が創立した寺である。
 本堂裏の山中には、江戸時代の画家である伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)が、晩年に隠棲者として過ごしたこの寺で下絵を描き、石工に彫らせた五百羅漢がある。
 五百羅漢の「羅漢」とは、釈迦の弟子のことで、優秀な弟子五百人という意味である。この五百羅漢は、釈迦誕生から涅槃(ねはん)、すなわち死に至るまでの場面構成となっている。
 本堂の脇に羅漢道があり、すぐ右手に伊藤若冲の墓と、書画に秀でた貫名海屋(ぬきなかいおく)の筆塚がある。
 羅漢山は明治以降荒廃していたが、当時の住職・龍潭(りゅうたん)和尚の篤志により、草を払い、一つ一つの石仏を見られるように整備された。
 若冲の度量が広い筆法で下絵を描かれた石仏は、長年の風雨で丸みを帯びて苔むし、表情や姿態に一段と趣きを深めている。
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2007/7/27


宮城 大光寺 Miyagi Daikou-ji 

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 宮城の大光寺(だいこうじ)は、宮城県柴田郡柴田町船岡南にある曹洞宗の寺である。
 文明元(1469)年に没した瑚海仲柵禅師によって15世紀に創建されたと言われている。
 文政六(1823)年、火災で焼失したが、昭和元(1926)年、檀家の寄付金により再建する。現存する本堂は再建時の建物で、100坪の広さを持つ堅固な建築物である。
 山門をくぐると、芭蕉の甥が建立したという芭蕉の句碑「名月や池をめぐりて終夜」が建っている。
 伊達騒動で有名な柴田外記と柴田家の菩提寺であり、本堂入口には五七の桐と久我竜胆(くがりんどう)の紋が飾られている。
 昔、疫病が流行った時に、大光寺の和尚が人々を救うため、山中で刻んだとされる岩窟五百羅漢が本堂裏手に存在する。
 宮城の大光寺は、今でも地元の人々に崇敬されている寺である。
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2007/6/4


禅源寺 五百羅漢図 Zengen-ji Gohyakurakan-zu The paintings of Gohyaku Rakan at Zengenji Temple

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 禅源寺(ぜんげんじ)は、北海道古平郡古平町浜町にある曹洞宗の寺である。
 安政五(1858)年、「勧請開山」祖山泰堂二代、大和尚によって開基された。松前町法源寺の末寺でもある。
 五百羅漢図(ごひゃくらかんず)は、禅源寺が所有する480枚に及ぶ油絵で、本堂にて保管されている。
 大正八(1919)年、種田富太郎は樺太漁場を切り上げての帰途、利尻沖の大時化で遭難し、2昼夜漂流の後に救助された。
 富太郎は日頃信仰している観音菩薩のおかげであると、五百羅漢の寄進を発願し、林竹次郎により製作され、約20年の歳月を要して完成し、寺に納められた。
 禅源寺の五百羅漢図は、仏像では傷みやすく、日本画では保存に困難と考えた末、珍しく洋画で描かれたという仏画である。
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2007/4/17


栃木 徳蔵寺 Tochigi Tokuzou-dera Tokuzoji Temple

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 栃木の徳蔵寺は、栃木県足利市猿田町にある天台宗の寺である。本尊は阿弥陀如来とされる。
 徳蔵寺は、人と人とがピンポン玉の様に行ったり来たり会話ができる寺を標榜し、別名ピンポン寺とも言われる。
 祀られる五百羅漢尊は、九州の耶馬渓の羅漢寺、鎌倉の建長寺とともに日本三大五百羅漢尊に数えられ、県の文化財になっている。
 他に、厄除け愛染明王尊や千庚申、かな地蔵尊など、文化財の宝庫とされている。
 また、足利七福神の一つともされ、大黒天も祀っている。
 徳蔵寺では毎月ピンポンで寺と市民との交流をしており、毎年9月の第1日曜日には、30年以上続く大会を開いている。
 徳蔵寺は、足利市民から「寺小屋ピンポン」「ピンポン寺」と言われ、慕われている寺院である。
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2007/4/16


川越 喜多院 Kawagoe Kitain Kawagoe Kitain Temple

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 川越の喜多院は、埼玉県川越市小仙波町にある天台宗の寺である。本尊は阿弥陀如来で、関東三十六不動28番とされる。別名、川越大師とも言われる。
 天長7(830)年、淳和天皇の命で慈覚大師円仁が建立し、当初は無量寿寺と号した。
 永仁4(1296)年、尊海が慈恵大師を勧請して無量寿寺を再興し、北院・中院・南院となる各房が建てられたが、中院、南院は戦国末期に滅びた。
 天正16(1588)年、天海が入寺し、寺を喜多院と改めた。
 寛永15(1638)年、火災で山門以外の伽藍を焼失するが、翌年、徳川家光の命で、江戸城御殿の一部を移築した。
 現在、喜多院は多くの文化財を所持し、正月3日には初大師・だるま市が立ち、五百羅漢などの見所も多く、参詣する者が後を絶たない寺院である。
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2007/3/23


報恩寺 五百羅漢 Houon-ji gohyaku-rakan 

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 報恩寺は、広大な座禅堂と五百羅漢で古くから有名な古刹。室町時代の応永元(1394)年に南部藩の13代藩主・守行公により三戸の八幡山下に創建され、慶長六(1602)年に現在地に移された。
 五百羅漢は、報恩寺の羅漢堂に納められた尊像で、499体が現存。記録によると、これらの像は、享保十六(1731)年に京都の9人の仏師により作り始められ、4年後に完成したとされる。
 五百羅漢像のモデルは諸説あるが、インド、中国などの僧だとされ、中にはマルコ・ポーロやフビライ・ハンの像もあるということだ。
 木彫りの五百羅漢が499体も現存している例は類まれで、昭和四一年に盛岡市の文化財に指定されている。
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