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2007/9/14


日向国一之宮都農神社夏祭り Hyuuga-no-kuni-ichinomiya-tsuno-jinja-natsu-matsuri The Summer Grand Festival of Tsuno Shrine

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 宮崎県児湯郡都農町の都農神社(つのじんじゃ)で行われる、日向国一之宮都農神社夏祭り(ひゅうがのくにいちのみやつのじんじゃなつまつり)は毎年八月一日と二日に行われる。
 「チョーサイナ ソラヤレ」の威勢のいい掛け声とともに神輿、太鼓台が町内を練り歩く。特に響き渡る太鼓の音が臨場感を盛り上げ、見る者も思わず祭りの中に引き込まれてしまう。
 故郷を後にした若者たちも、この日ばかりは祭りに参加するために大勢戻ってくると言われるほど、地元の人々が大切にしているまつりである。。
 神輿は作り、大きさ、装飾など、日本でも有数の立派なものであるり、その重量は300キロにも達する程である。この神輿を先頭に、太鼓台4台と子供太鼓台2台が所狭しと続いていく。
 翌日には祭りのクライマックスでもある、神輿を神社に奉納する「お宮入り」と、勇ましさを競う「ケンカ太鼓」が凄まじい迫力の中で催される。
 見るものも参加するものも、惹きこまれる夏祭りである。
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2007/9/6


立佞武多 Tachi-neputa Tachineputa Festival

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 立佞武多(たちねぷた)とは、約八〇年前まで五所川原市で行われていたねぷたを、平成一〇年に復活させた夏祭りである。青森市の青森ねぶた祭り、弘前市の弘前ねぷた祭りと共に青森三大佞武多のひとつに数えられている。
 この祭りは明治の中頃に豪商たちが始めたと伝えられ、巨大なねぷたが練り歩くのが特徴だった。しかし大正に入り、電線の普及とともに巨大ねぷたは背丈を低くしていった。小型化していったねぷたは衰退していったが、平成五(1993)年に当時の設計図が発見され、その後「たちねぷた復元の会」が発足した。
 現在では当時と変わらない大きさに復刻させ、高さ二〇メートル以上、ビルの七階くらいの高さに及ぶ山車が壮大に運行する。毎年八月四日から五日間「ヤッテマレ」の掛け声とともに色彩鮮やかな山車が練り歩き、多くの観光客を楽しませている。
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2007/9/4


弘前さくらまつり Hirosaki-sakura-matsuri Hirosaki Cherry Festival

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 弘前市(ひろさきし)にある弘前公園では、毎年四月下旬から五月上旬に「弘前さくらまつり」が開催される。二月の雪燈籠まつり、八月のねぷたまつり、一〇月の紅葉まつりと共に弘前四大祭りのひとつに数えられている。
 この桜は正徳五(1715)年、京都から取り寄せたカスミザクラ二五本などを城内に植えたのが始まりとされている。その後明治時代に植栽が数回行われた。
 公園内には津軽氏の居城となった弘前城があり、中心には東北唯一の現存する天守閣がある。明治二八(1895)年に弘前公園となり市民に開放され、現在では、ソメイヨシノをはじめ約五〇種類二千六百本の桜が咲き乱れ、日本を代表する花見の名所となった。
 濠に連なる桜は水面間際まで枝が伸び、水面に写る桜の姿は格別である。また、夜になると明かりが灯され、夜桜のなかに浮かび上がる天守閣は幻想的な姿を見せる。
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2007/8/30


智禅寺 Chizen-ji Chizenji Temple

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 兵庫県は淡路島にある、弁財天を祀る寺。弁財天は、いわずと知れた七福神のひとり、智恵と芸能の神様である。
 山号を大廣山と号し、高野山真言宗の寺である。創建はまったくの不明だが、南北朝時代の写経本「大般若経」に記録が残ってるほど、歴史は古い。
 本堂は江戸中期に建立されたもので、大如来像、新旧の弁財天が安置されている。弁財天を祀るこの智禅寺は、淡路七福神巡りのひとつであり、年間10万人も訪れ、にぎわいを見せる。特に冬期には1日2千人を超える日もあるという。
 1月7日には初弁天祈願祭、8月23日には千体地蔵流しが行われ、毎年信心深い参詣者たちが祈りを捧げる。
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2007/8/20


金鑽神社 多宝塔 Kanasana-jinja Tahou-tou 

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 本殿を持たない神社は全国的に珍しい。奈良県の大神神社、長野県の諏訪大社、そして埼玉県上川町の金鑽神社(かなさなじんじゃ)だけである。金鑽神社は本殿を置かず、背後に控える御嶽山(御室ヶ岳)を御神体として崇めている。
 境内に入り、川伝いにゆるやかな上りの参道を進むと、右手の高台に木立に囲まれて多宝塔が現われる。武蔵七党(むさししちとう)のひとつ、丹党に属した豪族の安保弾正全隆が、子孫の幸福繁栄を祈って天文三(1534)年に寄進したもので、建立時代が明確な県内有数の古建築として、国の重要文化財に指定されている。
 塔は二層からなり、三間四面の柿葺(こけらぶき)で高さは約一四m、総朱塗りで、真柱(しんばしら)に「天文三年庚午八月晦日、大旦那阿保弾正全隆」の墨書銘がある。
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2007/8/16


尾島ねぷたまつり Ojima-neputa-matsuri Ojima Neputa Festival

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 尾島ねぷたまつりは、群馬県太田市尾島町にて行われる祭りである。
 昭和六〇(1985)年、津軽藩の飛び地が大舘を中心とした地域にあったことが縁で弘前市との交流が始まり、翌年より尾島まつりに本場・弘前ねぷたが応援出陣するようになった。
 それがきっかけでねぷた熱が高まり、自作のねぷたを作り、やがて祭りも「尾島ねぷたまつり」に改称され、現在の形に定着した。
 祭りは、毎年8月14・15日に盛大に開催されている。
 高さ8mにも及ぶ扇ねぷたと情っ張り太鼓の運行は勇壮そのものであり、尾島の夏の夜に浮かび上がる色鮮やかなねぷたの武者絵の幻想的な美しさは、まさに圧巻といえる。
 祭りの最後に行われる情っ張り太鼓とまつり囃子の合同演奏は、見応え十分の迫力がある。
 尾島ねぷたまつりは、楽しくも豪壮な祭りである。
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八戸三社大祭 Hachinohe-sansha-taisai 

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 東北の夏真盛り、七月の終わりに行われる八戸三社大祭(はちのへさんしゃたいさい)は、 約二八〇年の歴史を誇る八戸最大級の伝統あるお祭りで、国指定の重要無形民俗文化財とされる。
 享保六(1721)年、法霊社と呼ばれていた頃の龗(おがみ)神社で、豊作を祈る祭りとして始められた。当時の記録によると約百年後の天保四(1833)年、現在の様に山車はなく神輿と一緒に行列に参加している。その後明治二九(1896)年に「新羅神社」と「神明宮」が参加して三社の大祭となった。
 毎年七月三一日から八月四日までの五日間、豪華絢爛な山車が町を練り歩く祭りは、八月一日と三日に行われる龗神社、新羅神社、神明宮の三社の神輿の行列と、伝説や童話、歌舞伎などを題材に飾り付けられた二〇数台の山車が町を流す情緒ある風景が大きな見どころだ。
 前夜祭、お通り 、中日、お還り、後夜祭という五日間は、どの日も熱気に溢れ、心地良く聞こえてくる太鼓や笛のお囃子の音色などが見物客を魅了している。
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2007/8/15


七夕絵灯篭まつり Tanabata-edourou-matsuri Tanabata Edoro Matsuri

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 七夕絵灯篭まつりは毎年八月、秋田県湯沢市で行われる祭りである。
 太い青竹に短冊や紙細工などを下げ、夜には美人画などが描かれた大小の絵灯篭を掲げ、明かりを灯す。
 この祭りは、秋田藩佐竹南家五代目義安公に、京都の公卿、鷹司家から嫁いだ姫君が、京都への郷愁を短冊に記し青竹に飾ったことが始まりと言われ、それを知った町民が家々に短冊や吹流しを青竹に吊るし、悲しみが去ることを願ったのが今の祭事になったと言う。
 元々は短冊や工夫を凝らした紙細工などが主体だったが、明治時代以降に絵灯篭が作られ、現在の形になったと言われる。
 絵灯篭は市民プラザ内にも展示されており、祭りの期間外でも見学することが可能である。
 姫君の心を慰めるための秋田の幻想的な夏祭りは、多くの人々を魅了してやまない。
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