NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/24


沖縄 波上宮 Okinawa Naminoue-guu Okinawa Naminoue-guu Shrine

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 波上宮(なみのうえぐう)は沖縄県那覇市に鎮座する神社であり、沖縄の総鎮守である。名前の通り神社は浜辺の岸壁の頂上に位置している。
 創建に関しては定かでないが、元々は沖縄独自の理想郷を求めるニライカナイ信仰の聖地であったといわれている。しかし、一四世紀頃に琉球政府が神のお告げにより熊野三神を祀り波上宮として造営したという。太平洋戦争で全てが破壊されたが、戦後ハワイ沖縄県人会の人々の努力などによって再興された。
 参道を進み二つの鳥居をくぐると朱色の社殿がそびえ同じく朱色に彩られた沖縄の魔よけであるシーサーに似た狛犬が見守っている。境内には二つの社、天照大神を祀る浮島神社と沖縄の産業の神様を祀る世持神社がある。また、波上宮のすぐそばには護国寺や孔子廟があり、繁華街近くということもあり正月の初詣などには沖縄独特の雰囲気の中多くの人が訪れる。
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2008/7/11


紺絲威鎧 Konitoodoshi-yoroi 

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 紺絲威鎧(こんいとおどしよろい)は、愛媛県今治市大三島町宮浦の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)に伝わる防具である。国宝に指定されている。
 大山祇神社は、推古天皇二(594)年に創祠されたと伝わる、日本総鎮守ともされる古社である。祭神は大山積神(おおやまつみのかみ)。国宝8件、国の重要文化財75件を所有する日本有数の神社である。
 源平合戦で、屋島合戦に軍船130隻を率いて源義経軍に加わり、後には奥州藤原氏の討伐にも参加した三島水軍の総帥である河野通信(こうのみちのぶ)所用と伝わっている。
 見目が大変美しく、現在は源平合戦時代の鎧の代表作であるとされている。
 紺絲威鎧は、屋島・壇ノ浦の合戦の戦勝のお礼に奉納したと伝わる貴重な鎧である。
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紫綾威鎧 Murasakiayaodoshi-yoroi 

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 紫綾威鎧(むらさきあやおどしよろい)は、愛媛県今治市大三島町宮浦の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)に伝わっている防具である。国宝に指定されている。
 大山祇神社は、推古天皇二(594)年に創祠されたと伝わる、日本総鎮守ともされる古社である。祭神は大山積神(おおやまつみのかみ)。国宝8件、国の重要文化財75件を所有する日本有数の神社である。
 紫綾威鎧は、鎌倉幕府の創始者・征夷大将軍の源頼朝(みなもとよりとも)が奉納したものとされている。
 鎌倉時代初期の作で、麻布の芯を綾布で包み、これをもって威した綾威の鎧は極めて珍しく、厳島神社に萌葱(もえぎ)綾威鎧が一領ある以外は紫綾威を含めて大山祇神社の四領を挙げ得るのみといわれている。
 紫綾威鎧は、鎌倉時代から伝わる、貴族的な趣を伝える鎧である。
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2008/1/8


北海道神宮 Hokkaidou-jinguu Hokkaido Jingu Shrine

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 北海道神宮(ほっかいどうじんぐう)は、北海道札幌市中央区宮ヶ丘にある神社である。祭神は、大国魂神、大那牟遅神、少彦名神、明治天皇。
 明治二(1869)年、明治天皇が北海道の開拓を進めるにあたり、北海道の大地の神である三柱を祀ったことに始まる。
 明治四(1871)年、札幌神社と名を定め、社殿を造営した。
 以降、北海道全土の総鎮守、道民の氏神として次第に道民に尊ばれるようになっていく。
 昭和三九(1964)年、明治天皇を祀って祭神を四柱とし、北海道神宮と改称した。
 毎年、初詣をはじめ、多くの参拝客が訪れるほか、境内地は桜の名所としても知られている。
 6月には北海道神宮例祭が開かれ、お囃子にのって、神輿や山車が市内を練り歩く姿が見られる。
 北海道神宮は、民間の団体である全国一ノ宮会によって蝦夷国新一の宮に認定された、道を代表する神社である。
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2007/10/23


神田神社 Kanda-jinjya 

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 神田神社(かんだじんじゃ)は、東京都千代田区外神田にある神社である。祭神は大己貴命、少彦名命、平将門命。別名・神田明神とも呼ばれている。
 天平二(730)年、武蔵国豊島郡芝崎村に入植した氏族が、大己貴命を祀ったのに始まる。
 承平五(935)年に敗死した平将門の首が京から持ち去られてこの近くに葬られ、首塚として東国の平氏武将の崇敬を受けた。
 嘉元年間(1303~1306)に疫病が流行し、これが将門の祟りであるとして供養が行われ、後に神田神社の祭神とされた。
 江戸時代、江戸城増築に伴って現在地に遷座し、江戸城の鬼門除け、江戸総鎮守として尊崇された。
 神田神社は、東京の中心である神田、日本橋、秋葉原、大手丸の内、旧神田市場、築地など108町会の総氏神として、今も篤く慕われている神社である。
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2007/10/4


田名部まつり Tanabe-matsuri Tanabu Festival

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 下北地方最大の夏祭りが「田名部(たなぶ)まつり」である。江戸時代に下北の総鎮守だった田名部神社の例大祭で、青森県の無形民族文化財に指定されている。
 祭りの起源は定かでないが、寛政五(1793)年の菅江真澄(すがえますみ)の紀行文に、すでにこの祭が記されていることから、それ以前に始まったと推測されている。かつては陰暦七月一八~二〇日に行われていたが、明治三(1870)年より現在の八月一八~二〇日となった。
 田名部五町から「ヤマ」と呼ばれる木製黒漆塗りの山車が繰り出し、むつ市内を練り歩く。ヤマは二階建てで、下の階には乗子(のりこ)と呼ばれる囃子方が乗り、上の階には御神体を乗せて運行する。京都祇園祭の流れを汲むとされる山車は絢爛豪華そのもの。
 祭りは最終日の深夜、「五車別れ」でクライマックスを迎える。五台の山車は田名部神社を後にし、目抜き通りの本町十字路に勢ぞろいする。お囃子が鳴り響く中、山車を引く若衆や見物客にたる酒が振る舞われ、来年の再会を約束してそれぞれの町内へ帰る。
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沼津 日枝神社 Numazu Hie-jinja Hie Shrine in Numazu

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 沼津日枝(ぬまづひえ)神社は、静岡県の沼津市に鎮座し明治に至るまで近郷近在二二ヶ村の総鎮守であった。
 嘉保二(1095)年、比叡山の天台僧兵の強訴に対し関白・藤原師通(ふじわらのもろみち)が兵を向け僧兵に負傷者が出たため、師通は呪詛により急逝してしまう。この事件の翌年の永長元(1096)年、師通の母によって所領地で大岡庄と呼ばれていた現在の地に勧請したのが始まりとされる。
 山王信仰に基づいて京都の日吉神社より大山咋神、大己貴神、大歳神の三座を分祀して建立されたため、山王社とも称される。
 同社には国の重要文化財に指定されている「紙本着色山王霊験記(しほんちゃくしょくさんのうれいけんき)」の一巻が保存されているほか、数多くの古文書類が残されていることでも知られ、境内には同社を訪れた松尾芭蕉の句碑もある。
 毎年の九月二三日からの二日間には例大祭も催され、沼津の秋の風物詩として、「山王さん」の愛称と共に今も地域の人々に親しまれている神社である。
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2007/9/13


荒沢神社 Arasawa-jinja 

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 荒沢神社(あらさわじんじゃ)は、滝不動との俗称も持つ、宮城県南三陸にある神社だ。
 創祀の年代は定かではないが、貞観年間(859~877)、大和国龍田神社から分霊といわれ、境内にある滝不動尊には鎌倉初期に文覚が御持仏を祀ったとも伝えられるなど、その社歴は相当古いものである。
 また、安永三(1774)年の「本吉郡南方荒砥浜風土記御用書出」には不動堂との記載があり、このころは村の総鎮守として近隣の人々から親しまれていた。
 同社には紺紙金泥大般若経(こんしきんでいだいはんにゃきょう)の一部が社宝となっている。これは平泉中尊寺経堂に残る藤原基衡(もとひら)時代の古経、「国宝紺紙金泥経」の一部で、経文の扉に金泥で得道剃髪(とくどうていはつ)の図が描かれている。
 境内には樹齢七百年もの巨木の杉が本殿の傍らに立っており、太郎坊という名で親しまれている。
 静かな境内の中に聳える巨木の下で、この木が歩んだ歴史に思いを馳せてみるのも良いかも知れない。
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