NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/6/24


五所川原立佞武多 Goshogawara-tachineputa 

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 五所川原立佞武多(ごしょがわらたちねぷた)は、青森県五所川原市にて毎年八月四日~八日にかけて開催される祭りである。
 「青森ねぶた」と「弘前ねぷた」に並ぶ青森三大佞武多の一つで、高さが最大で20mを超える山車が壮大に運行される。
 中国から伝わった「中元」の行事が起源といわれ、400年以上もの間受け継がれて来た火祭りで、五所川原市のねぷたは、現在「たちねぷた」と呼ばれ、明治四〇年頃に始まったといわれている。
 大正時代以後、一時は衰えたねぶただが、平成五(1993)年に設計図と写真が発見され、翌年、市民劇団により高さ7mのねぷたが復元、祭りは復活をとげた。
 祭りでは、高さ約22m、重さ約17トンの巨大な山車の立佞武多が「ヤッテマレ!ヤッテマレ!」の掛け声のもと五所川原市街地を練り歩く。
 五所川原立佞武多は、巨大な山車が特徴の勇壮な夏祭りである。
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2008/5/19


馬市まつり Umaichi-matsuri 

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 馬市まつり(うまいちまつり)は、青森県つがる市木造にて、毎年八月下旬、または九月上旬の金・土・日曜日の3日間に渡って行われる祭りである。
 旧・木造町では明治三六(1903)年より「馬っこ市」と称される馬の競り市が始まり、東北三大馬市に数えられていた。
 昭和五〇(1975)年、農業の機械化が進んだ事から馬の競り市が年々衰退していったため、馬っこ市は、巨大な馬ねぷたを曳いて町内を練り歩く「馬市まつり」に変わった。
 日中は津軽を代表する下山囃子に合わせ、流し踊りと馬ねぶたを運行し、夜は新田火まつりで松明を手にした女性の円舞、馬ねぶたへ点火する昇天の儀式があり、花火が夏の夜を彩る。
 馬市まつりは、かつて農耕に貢献した馬達に対する感謝祭である。
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2007/9/6


立佞武多 Tachi-neputa Tachineputa Festival

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 立佞武多(たちねぷた)とは、約八〇年前まで五所川原市で行われていたねぷたを、平成一〇年に復活させた夏祭りである。青森市の青森ねぶた祭り、弘前市の弘前ねぷた祭りと共に青森三大佞武多のひとつに数えられている。
 この祭りは明治の中頃に豪商たちが始めたと伝えられ、巨大なねぷたが練り歩くのが特徴だった。しかし大正に入り、電線の普及とともに巨大ねぷたは背丈を低くしていった。小型化していったねぷたは衰退していったが、平成五(1993)年に当時の設計図が発見され、その後「たちねぷた復元の会」が発足した。
 現在では当時と変わらない大きさに復刻させ、高さ二〇メートル以上、ビルの七階くらいの高さに及ぶ山車が壮大に運行する。毎年八月四日から五日間「ヤッテマレ」の掛け声とともに色彩鮮やかな山車が練り歩き、多くの観光客を楽しませている。
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2007/8/16


尾島ねぷたまつり Ojima-neputa-matsuri Ojima Neputa Festival

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 尾島ねぷたまつりは、群馬県太田市尾島町にて行われる祭りである。
 昭和六〇(1985)年、津軽藩の飛び地が大舘を中心とした地域にあったことが縁で弘前市との交流が始まり、翌年より尾島まつりに本場・弘前ねぷたが応援出陣するようになった。
 それがきっかけでねぷた熱が高まり、自作のねぷたを作り、やがて祭りも「尾島ねぷたまつり」に改称され、現在の形に定着した。
 祭りは、毎年8月14・15日に盛大に開催されている。
 高さ8mにも及ぶ扇ねぷたと情っ張り太鼓の運行は勇壮そのものであり、尾島の夏の夜に浮かび上がる色鮮やかなねぷたの武者絵の幻想的な美しさは、まさに圧巻といえる。
 祭りの最後に行われる情っ張り太鼓とまつり囃子の合同演奏は、見応え十分の迫力がある。
 尾島ねぷたまつりは、楽しくも豪壮な祭りである。
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2006/12/11


弘前のねぷた祭り Hirosaki-no-Neputa-matsuri The Neputa festival of Hirosaki

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 弘前ねぷたは、青森県弘前市で開催される弘前四大まつりのひとつである夏祭り。大勢の市民が「ヤーヤドー」の掛け声とともに、武者人形や武者絵が描かれた山車を引いて市内を練り歩く。 扇ねぷた(扇型)と組ねぷた(人形型)を合わせると約70台ものねぷたが運行される。
 ねぷたは、文禄2年(1593年)藩祖佐藤為信が京都滞在中、盂蘭盆会で都人に見せるため、二間 四方の大燈籠を出したのが始まりと伝えられている。
現在の弘前ねぷたは、子どもねぷた、前燈籠など、さまざまな趣向を凝らし、躍動感あふれる美しさが圧巻だ。勇壮な鏡絵と裏の妖艶な美女の見送り絵。囃子の音色に太鼓の力強い響きは情緒たっぷり。
 弘前ねぷたは、昭和55年(1980年)には国の重要無形民俗文化財に指定された。
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