NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/6/30


平林城 Hirabayashi-jou 

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 平林城(ひらばやしじょう)は新潟県岩船郡神林村平林に位置する中世時代の居城跡である。別名加護山城(かごやまじょう)とも呼ばれている。
 築城年は不明であるが、一四世紀頃の南北朝時代に存在した。最初は南朝派の豪族平林氏の居城であったが、のちに北朝派の色部氏が制圧した。
 慶長三(1598)年に上杉景勝の会津移封により廃城となり、周囲の人口も激減したため風化していった。
 数多くの遺構が残っており曲輪、堀切、土塁、空堀、虎口、馬洗い、首切り清水などが発掘されている。
 中世史を理解する上に重要な史跡として、昭和五三(1978)年、国指定の史跡名勝記念物となった。
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2008/6/20


村上城(臥牛山城) Murakami-jou(Gagyuuzan-jou) 

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 村上城(むらかみじょう)は、新潟県村上市一之町の臥牛山(がぎゅうざん)にあった平山城で、歴代の村上藩主の居城であった。またの名を「臥牛山城」とも言う。標高135mの「臥牛山」は、その山容が、草の上に伏した牛の姿に似ている。
 戦国時代、この地の領主で上杉家家臣であった本庄氏が築城したとされ、当初は木柵がはりめぐらされた中世式の城郭であった。
 慶長三(1598)年、上杉景勝の会津転封に伴い本庄氏も会津へ追従した。上杉転封のあとに越後には堀秀治が入封。このため村上城も堀秀治の家臣・村上頼勝が領主となり、その時に、城下町の整備と共に石塁が増築され、三層造りの天守閣も造営された。
 村上氏以降、幕末まで約二〇回ほども城主が入れ替わり、幕末に旧幕府軍側にたった村上藩は新政府軍の攻撃を受け、城は自落。残った建物もすべて焼失した。
 現在は石垣、門礎石などが残っており、散策コースが整備されている。平成五(1993)年に国指定の史跡となった。
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2008/5/1


米沢城址(松が岬城址) Yonezawa-joushi(Matsugazaki-joushi) 

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 米沢城址(よねざわじょうし)は、山形県米沢市丸の内にある城跡である。別名・松が岬城址(まつがざきじょうし)とも呼ばれる。
 暦仁元(1238)年、長井庄の地頭・大江時広(おおえときひろ)が創築したと伝えられる。後に伊達宗遠(だてむねとお)、慶長三(1598)年に、直江兼続(なおえかねつぐ)が入城。その後、景勝自身が入城して米沢藩・上杉氏の居城となり、明治維新を迎えた。
 現在は公園として整備されており、堀と石垣が残っているだけだが、花見の名所で春には200本の桜が咲く。
 園内には藩祖・上杉謙信(うえすぎけんしん)を祀る上杉神社があり、上杉家伝来の宝物を多数収蔵した稽照殿(けいしょうでん)が隣接している。また、濠外東方に松岬神社、同南方に上杉記念館・市立児童会館などが建っている。
 米沢城址は、上杉家ゆかりの歴史ある城跡である。
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