NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/11/20


塗香 Zukou 

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 塗香(ずこう)とは、仏教において、行者が手や身体に塗って自らを清めるのに使う香である。
 元々の起源はインドにあり、香木から香料を取り、体に付けて体臭などを消すのに使ったという。ここから発展し、身体を清める、邪気を寄せ付けないという意味で仏教で取り入れられたとされる。
 清め香とも呼ばれ、本尊にお供えしたり、ごく少量を手の平に塗ったりして身を浄めるために用いる粉末の香で、一般にも写経を行う際に用いられている。
 天然香薬種を調合して作られた塗香は、すっきりとした香の香りで、身にまとう香りとしても楽しむ事が出来る。
 内的な煩悩を清める、外的な邪を寄せ付けないという意味づけの他、香をかぶると病気が治るとか、頭がよくなる等とも言われている。
 塗香は、手や身に塗って迷いや邪心を浄める香の事である。
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2007/10/12


杉原紙 Sugihara-gami Sugihara Paper

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 杉原紙は、兵庫県多可町加美区に千年以上受け継がれている伝統工芸品だ。
 奥深い谷からこんこんと湧き出る冷たく澄んだ水と、雪の舞う厳しい気候風土に育まれた楮(こうぞ)により生まれた杉原紙。
 奈良時代から歴史がはじまり、他の地方より進んだ製紙技術で写経用紙や薄紙を製造。紙の質・生産量ともに日本一と呼ばれた。しかし、時代の推移とともに洋紙に取って代わられ、大正十四年、杉原谷での紙漉きは幕を閉じたのだった。
 町をあげて日本一の名紙と謳われた杉原紙の保存に取り組むようになったのは昭和四一年から。杉原紙発祥の地の記念碑を立て、昭和四七年には杉原紙研究所を設立、昔ながらの製法で紙漉きを再開、現在では年間700キログラムの紙を生産している。昭和五八年には、県の重要無形文化財に指定されるまでに復活を遂げたのである。
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2007/8/30


智禅寺 Chizen-ji Chizenji Temple

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 兵庫県は淡路島にある、弁財天を祀る寺。弁財天は、いわずと知れた七福神のひとり、智恵と芸能の神様である。
 山号を大廣山と号し、高野山真言宗の寺である。創建はまったくの不明だが、南北朝時代の写経本「大般若経」に記録が残ってるほど、歴史は古い。
 本堂は江戸中期に建立されたもので、大如来像、新旧の弁財天が安置されている。弁財天を祀るこの智禅寺は、淡路七福神巡りのひとつであり、年間10万人も訪れ、にぎわいを見せる。特に冬期には1日2千人を超える日もあるという。
 1月7日には初弁天祈願祭、8月23日には千体地蔵流しが行われ、毎年信心深い参詣者たちが祈りを捧げる。
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2007/5/17


谷汲山 華厳寺 Tanigumi-san Kegon-ji 

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 延暦一七(798)年創建と言われ、西国三十三箇所の第33番札所である華厳寺。「谷汲みさん」と親しみを込めて呼ばれている。
 会津の豪族であった大口大領は夢の中で観音菩薩から授かった榎の霊木を持って京都の仏師に頼んで観音菩薩を彫ってもらったが、会津まで運ぶ途中、ここ谷汲村で仏像がぴたりと動かなくなってしまった。「ここに祀って欲しいのだな」と考えた大領は、そこにお堂を建て、観音菩薩像を安置した。すると近くの洞窟から油が湧き出し、灯明に困る事は無かったという。この油を汲んだ故事から山号の「谷汲」、観音様に華厳経が写経されていたことから「華厳寺」の名が付いた。
 満願の寺なので、朱印も過去(笈摺堂)、現在(満願堂)、未来(本堂)の三つがあり、「精進落としの鯉」など西国巡礼をやっと終えた人だけが知る喜びの標に満ちていて、観光参拝客もその雰囲気に引き込まれる。
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2007/3/26


岩手 黒森神社 Iwate kuromori-jinjya 

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 岩手県宮古市の北に位置する黒森山の中腹に鎮座する黒森神社。明治以前は「黒森観音」または「黒森大権現」と呼ばれ、盛岡藩の篤い信仰を受けてきた由緒ある古社である。
 黒森神社には源義経伝説が残る。源頼朝と対立し、難を逃れてこの地に3年3ヶ月に渡って篭り、般若経600巻を写経。その経を奉納したのがここ黒森神社である。今も残る経は、疫魔退散などのお守りとして土地の人々が文字を切り取ったため、ところどころ虫食いの状態で残っている。
 また黒森神社は、「黒森神楽」でも有名。黒森神楽は、神霊を獅子頭の権現様に降ろし、ご神体が宿った「黒森権現様」を神楽衆がささげ持ち、家々を巡業するもの。毎年新年に行われる恒例行事だ。
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2007/3/5


ねはん像 Nehan-zou Statue of the Reclining Buddha

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 ねはん像のある江東寺は、永禄元 (1558) 年に有馬氏の菩提寺として創建されましたが、島原城の完成に伴って島原に移され、松倉家の菩提寺となりました。現在の寺域は寛政2年に再興されたもので、再建を祝って奉納された刺繍絵の「釈迦ねはん図」(島原市指定文化財)に因み、昭和32年にねはん像が建立された。
 大きさにして全身8.6メートル、高さ2.12メートル。ねはんとは、煩悩の火を焼きつくして智恵が完成した悟りの境地を指す言葉であるが、釈迦の入滅を表現する言葉としても用いられている。
 このねはん像は、釈迦が故郷に近いクシナーラの沙羅双樹の下、臨終の間際まで弟子たちに懇切な説法を続けている姿を模したもの。足の裏には、大法輪の相(仏足石)が刻まれ、頭部には、信者による写経一万巻が納められている。
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2007/1/30


奈良墨 Nara-sumi Nara-sumi

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「奈良墨」は、写経や論述などに墨を必要とした朝廷や寺院とかかわりの深かった文化高い奈良の地特有の名産品である。
 起こりは平安時代、大同年間に弘法大師・空海によって唐からその製法が伝えられ、その後室町時代に興福寺の僧が油煙墨を作ったのがはじまりと伝えられる。
 平安時代には、我国の各地でつくられていた墨も、時代の変遷と共に次第に途絶えていった。その中、奈良の墨は、寺社を中心としてつくり続けられたという。奈良時代に藤原氏の氏寺として建立された興福寺で、筆記や写経、春日版と言われる木版摺りの経典に使う墨などの生産を一手にひきうけていたのだ。
 千年以上を経た歴史が実証しているように、何十年、何百年も文字を残そうとするなら、和紙に墨を溶かして書くのが一番いい。パソコンが普及した今でも、墨は未来に受け継いでいくべき伝統工芸品である。
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2007/1/28


佐田京石 Sada-kyouishi Sadakyo Stone Circle

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 大分県安心院町の佐田地区にある人間の背丈ほどもある列石。誰が何の為に造ったか定かではないが、太古の祭祀場、鳥居の原型、埋納経の標石といろんな説がある。
 この列石は高さ475mの米神山を中心に数箇所にある。
 「米神山」や「こしき石」等、米にかかわる名称が多くあり、米の栽培を始めた弥生時代のといわれている。
 一部の石柱の下からは写経が出土したものもあり、埋納経の標石かとも思われる。
 石の雨が降る不思議な伝説や、古代人が刻んだとされる文字・ペトログラフが発見されるなど、謎に包まれた巨石郡である。
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