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2008/7/11


古樺細工 Furukaba-saiku 

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 古樺細工(ふるかばさいく)とは、秋田県仙北市角館町に伝わる伝統民芸である。県の有形民俗文化財に指定されている。
 樺細工は、天明年間(1781~89年)に佐竹北家により、秋田県北部から角館に技法が伝えられたのが始まりとされる。
 佐竹北家の城主に手厚く保護を受けた樺細工は、下級武士の副業として広まり、明治時代に入ると禄を失った武士が本格的に取り組み、盛んとなった。
 樺細工はヤマザクラの木の皮を用いて作られる、国内では他に見る事のできないもので、あめ皮、ちらし皮、ひび皮等12種類の木の皮を使用し、用途に応じて使い分けられている。また、仕上げられた作品に同一の物はない。
 藩政期の古樺細工12点は県指定有形民俗文化財であり、角館樺細工伝承館にて展示されている。
 古樺細工は、郷土に伝わる貴重な伝統工芸品である。
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2008/7/10


秋田八丈 Akita-hachijou 

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 秋田八丈(あきたはちじょう)は、秋田県秋田市に伝わる染織物である。県の無形文化財に指定されている。
 寛政期(1789~1804)に、現在の福島県である奥州伊達郡保原から養蚕や織物技術に秀でた石川瀧右衛門が移住し、竜門織・秋田平と呼ぶ袴地を製織したことに始まる。
 瀧右衛門はその技術を広め、当時殖産興業を奨励していた佐竹藩が養蚕・製糸・織物を指導奨励し、後に奥州伊達式のはた道具と織技法、桐生の縞織物と色彩が渾然一体となり、秋田独特のハマナスによる染色法が融合して秋田八丈が生まれたと言われている。
 八丈という名前だが、八丈島の黄八丈(きはちじょう)とは違った独自の染織物で、はまなすの根皮を染料に用いて染めた糸で、主に黄色と茶色の縞柄などを織り上げ、光沢があり、独特の渋みがあるのが特徴とされる。
 秋田八丈は、全国唯一の草木染絹織物でもある伝統の織物である。
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2007/11/16


御物頭御番所 Omonogashira-gobansho 

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 御物頭御番所(おものがしらごばんしょ)は、秋田県秋田市の保田城跡にある千秋公園に建つ史跡である。
 宝暦八(1758)年から安永七(1778)年の間に建築されたと推定される、秋田20万石佐竹氏の居城・久保田城内に唯一現存する藩政時代の役所建物とされている。
 御物頭御番所は、「物頭」と言われた足軽の組頭が長坂門の開閉や登城者の監視をし、城下町一帯の警備や火災の消火等を行っていた場所である。
 二の丸から長坂を登った表門の手前にある建物で、木造2階建て、内部には14畳の番所、7畳の休息室、台所、便所、2階には8畳の部屋があり、屋根は切妻藁葺きで正面南側に庇が付いている。
 御物頭御番所は、往時の姿を今に伝える建築物である。
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2007/10/18


真壁城 Makabe-jyou 

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 真壁城は茨城県桜川市真壁町に位置した城である。
 承安二(1172)年、真壁長幹により築城、真壁氏歴代の居城として四百年に渡り使われた。
 慶長七(1602)年、佐竹義宣の秋田転封に真壁氏も従い移動。その後、慶長一六(1611)年、浅野家が入封し、元和八(1622)年の転封により廃城となった。
 建物は移築された城門が楽法寺に残るだけだが、城址は外堀を含め四重に造られた堀、長い土塁が現在も残り、かつての城の複雑な構造と巨大さを体感できる。
 現在、復元が行なわれており、縄張の通りに復元された背の高い土塁は、往時の城の頑健さを今に伝えている。
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土浦城 Tsuchiura-jyou 

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 土浦城は茨城県土浦市中央に位置した城である。
 桜川の支流を引き込み、水掘を周囲に囲ませた平城で、水に浮かぶ亀に見立て「亀城」の異名を持った。
 永享年間(1429〜41)に今泉三郎が築城した。戦国時代には小田守治が城主となるが、佐竹氏に攻められ降伏。江戸時代に入り転封が続くが、貞享四(1687)年に土屋政直が移封した後は幕末まで続いた。
 廃藩置県後廃城となり、明治一七(1884)年の火災で建物の多くが焼失した。
 現存するのは城門と櫓門で、本丸内櫓門は関東地方唯一のもの。周辺には土塁や堀が残り、往時の繁栄をうかがわせる。
 東櫓は近年復元されたもので、土浦市立博物館の一部として使われ、鯱瓦などの遺構を保存している。
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2007/8/15


七夕絵灯篭まつり Tanabata-edourou-matsuri Tanabata Edoro Matsuri

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 七夕絵灯篭まつりは毎年八月、秋田県湯沢市で行われる祭りである。
 太い青竹に短冊や紙細工などを下げ、夜には美人画などが描かれた大小の絵灯篭を掲げ、明かりを灯す。
 この祭りは、秋田藩佐竹南家五代目義安公に、京都の公卿、鷹司家から嫁いだ姫君が、京都への郷愁を短冊に記し青竹に飾ったことが始まりと言われ、それを知った町民が家々に短冊や吹流しを青竹に吊るし、悲しみが去ることを願ったのが今の祭事になったと言う。
 元々は短冊や工夫を凝らした紙細工などが主体だったが、明治時代以降に絵灯篭が作られ、現在の形になったと言われる。
 絵灯篭は市民プラザ内にも展示されており、祭りの期間外でも見学することが可能である。
 姫君の心を慰めるための秋田の幻想的な夏祭りは、多くの人々を魅了してやまない。
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秋田 真山神社 Akita Shinzan-jinja 

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 真山神社(しんざんじんじゃ)は秋田県男鹿市北浦真山に位置する神社である。
 景行天皇の御世に武内宿禰が、使命達成、国土安泰を祈願したのが始まりとされる。祭神は瓊瓊杵命(ににぎのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)。
 平安時代には神仏習合の地として修験道の修行が盛んであった。江戸時代に入り、秋田藩主佐竹氏の祈願所として信仰され、大いに栄えた。
 境内には薬師堂、神楽殿などが並び、慈覚大師が植えたとされる県天然記念物にも指定されている、樹齢1000年以上の榧(かや)の大木が立つ。
 正月には神事である柴灯祭が行われ、柴灯を焚いて大餅を焼き、神に捧げ、五穀豊穣、海上安全を祈願する。
 二月の第二金・土・日曜日にはこの祭礼となまはげを合わせた行事「なまはげ柴灯まつり」が行われ、多くの観光客が訪れている。
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2007/7/3


大館 アメッコ市 Oodate Amekko-ichi 

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 寒さがもっとも厳しくなる二月の半ばに、秋田の大館で行なわれる「アメッコ市」は、天正一六(1588)年を起源とした小正月の行事である。この地では、「この日にアメを食べると風邪をひかない」と伝えられている。
 元々は、瑞々しい赤い枝ぶりのミズキの枝に米で作った飴を付け、稲穂の代わりに神前に供える農家の風習であったが、大館に佐竹藩(秋田藩)の支城があった江戸時代には、早くから「アメッコ市」が立つようになった。そして、昭和四七(1972)年から現在の大町中央通りで行われるようになった。
 この四百年以上続いている飴の市には、近くの山から白髭大神(しらひげおおみかみ)と仙人が飴を買いにやってくる。
 アメ屋が軒を連ねる大町中央通りには、色とりどりのアメを付けた枝が飾られ、アメ細工やカラフルな切りアメを売る露店が並び、大勢の人でにぎわう。そんな中を、言い伝えを再現した白髭大神巡行や郷土芸能である獅子舞が行われる。
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