NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/5/12


徳利 Tokkuri 

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 徳利(とっくり)とは、酒など液状のものを入れる陶製・金属製のもので、口の細い容器である。酒のほか醤油・酢・油などを運搬する際に使われたり、保存容器としての役割を果たしていた。
 名称は、注ぐときに「トクトクトク」「トックリトックリ」と聞こえる事が、由来といわれる中でも有名な説である。
 かつては、酒屋から酒を買ってくる時に、一升(いっしょう)以上入る大きな「通い徳利」というものを借りて使用していた。
 貸し出し主である酒屋の屋号・地名・商標などが筆太で書かれている徳利を渡し、中身がなくなったら店に入れに来るという販売方法である。
 しかし、第二次大戦中に酒の計り売りが禁止された為、主に日本酒を温めて飲む「燗徳利(かんとっくり)」として用いるようになった。
 各地の陶器によって色や形・特徴なども異なり、重みのある形やシンプルなもの、色鮮やかなものまで様々な徳利が酒を引き立てる。
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2007/9/18


かせだうち Kasedauchi 

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 かせだうちは、鹿児島県川辺郡知覧町にて、毎年一月一四日に行われている行事である。
 近所の人たちが七福神などの神様の格好で新築の家を訪れ、一家の繁栄を祝いにやってくる。
 布袋や弁天に扮した神様は、祝儀袋に八兆円などと書いて差し出したり、目録に高級車一〇台、航空機一〇機、豪華客船一〇隻などと書き込んでみせる。
 迎える家の方も負けていない。焼酎の変わりに、みりんや酢、醤油を勧めたり、おたまじゃくしの吸い物や、鶏の頭の吸い物などを勧めたりする。
 家主たちは、このようなユーモラスな方法で神様の正体を暴こうとするのである。
 名称は「稼いだ家」にちなむともいうが、はっきりしていない。
 かせだうちは、主と神様の滑稽なやり取りが笑いを誘う、小正月の伝統行事である。
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2007/5/8


倉吉 白壁土蔵群 Kurayoshi Shirakabedozougun A Group of Storage Houses in Kurayoshi

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 鳥取県倉吉市の白壁土蔵群は、東仲町から新町に残る、日本情緒を残す街並みである。
 市内を流れる玉川沿いには、昔ながらの土蔵や商家の町並みが保存され、往時の倉吉の面影を残している。
 これらの土蔵は江戸時代から明治にかけて建てられた酒蔵や醤油蔵で、漆喰の白い土壁、焼杉の黒い腰板、赤い瓦などが懐かしい風情を醸し出している。 ここ倉吉は江戸時代の大坂の豪商「淀屋」を再興した牧田仁右衛門ゆかりの町で、近くの大連寺には、淀屋牧田家の代々の墓がある。
 玉川に架けられた石橋や、赤瓦の落ちついた町並みをそぞろに歩いていると、時間がゆったりと流れていくのが感じられる。
 今はほとんどが、地元の伝統産業体験施設と特産品のお土産売り場として利用されている。
 白壁土蔵群は、倉吉を象徴する昔懐かしい街並みである。
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2007/5/2


岡本焼 Okamoto-yaki 

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 香川県の岡本焼は、古くから農家の副業として焼かれてきた素朴な焼き物である。この豊中町岡本地区では、近くで良質の粘土が採れる。
 もともと自分たちが日常につかう土鍋や鍋、豆炒り瓦など生活雑器が中心で、俗に「ほうろく」といわれる800度から900度で低温焼成されたうす赤茶のあたたかい色味の土器である。
 かつては、「ほうろく売り」と呼ばれた行商人が、製品を荷車に積み、雲辺寺山を越えて、遠く徳島まで売り歩いた。
 讃岐の醤油豆を煎るのにつかう「おくどさん」やほうろく焼に使う広くて浅い皿。
 明るくのんびりとした姿は、まるで瀬戸内の穏やかな日差しの中にいるような印象である。
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2007/1/28


桶 Oke Oke

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 木製の容器で、円筒形、蓋のないものを総称して、おけと呼ぶ。
 元来はヒノキの一枚板を曲げ、桜や樺の皮で締めて底をつけた。
 室町時代に入り、細長く切った板を筒状に並べて底板をつけ、たがで締め上げた現在の形になった。これに固定式の蓋がついたものが、樽になる。
 スギ、ヒノキ、サワラなどがその材料として用いられるが、酒や味噌、醤油など液体や塩分のしみ込みの可能性があるものを入れる目的のものは板目を使い、それ以外のものは木目がきれいな柾目を使った。
 桶のぐるりをとめる、たがは竹が用いられていたが、明治以降は金属製のものが多用されるようになる。特に銅製のものは赤たがと呼ばれて人気があった。
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2007/1/11


讃州井筒屋敷 Sansyuu-izutsu-yashiki The Sanshuu-Izutsu Estate

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 香川県東かがわ市引田にある屋敷。醤油や酒の醸造業で有名な旧井筒屋の建物。
 その歴史は古く、元禄五(1692)年にさかのぼる。当時、醤油業で始った井筒屋は、関東方面にまで知れ渡っていた。大正2年には酒の醸造をはじめ、9年には焼酎、みりんの製造も開始。最盛期には引田隋一の商家として栄えた。
 平成までの長い歴史において栄えた井筒屋だが、平成9年には、旧井筒屋は空家となり、歴史的建造物としての存在すら危ぶまれるが、地元住民の請願により平成13年、引田町において家屋を取得、改修され讃州井筒屋敷としてオープンした。
 現在では、観光地の拠点として、また日本の醤油、酒の製造過程を残す貴重な施設となっている。
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引田の町並み Hikita-no-machinami The Scenery of the Town of Hikita

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 香川県東かがわ市引田の地域は引田城があった城下町である。
 引田城は安土桃山時代に活躍した武将、生駒親正が築いた。現在は跡地としてわずかに石垣などが残っている程度である。
 引田はなんといっても「醤油製造」で知られるところである。佐野家の井筒屋、岡田家のかめびし屋、また大庄屋であった日下家と引田御三家とよばれた豪商。それらの屋敷や江戸時代の民家などが今も残っている。リニューアルされた旧井筒屋敷には、たくさんのお店が入っている。その北側にあるかめびし屋は瓦葺に真っ赤な壁で、ひと際目立つ。南に歩くと、日下家の立派な門構えがあり、その前には、長屋つくりの建物が多い中、大正モダン風な建物の、「旧引田郵便局」がある。規則的に並ぶ、八角形の窓が特徴的だ。
 引田の歴史を余すことなく、伝えてくれる町並みが引田の情報発信となっているようだ。
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