NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/10/22


室町彫刻 muromachi-choukoku 

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 室町彫刻とは、室町時代(1392~1573)に彫られた、主に仏像・肖像彫刻のことである。
 南北朝・室町を通じて木彫が主流で、偶像を必要としない禅宗が盛んになった事もあり、仏像製作において著しい発達を見た鎌倉時代に比べ、多くの仏師たちは職業仏師に徹し、従来の形式を追うのみで新しい様式を生み出すことがなかったとされる。
 しかし禅宗寺院では仏像はなくとも祖師や開山の像がまつられており、これら肖像彫刻は、個性的な写実表現と禅宗的人格表現を基調とした新しい感覚のものであった。
 また実際には、戦火に見舞われながら仏像が造られ続ける中で、合理性が追求された箱型寄木造りが採用されたり、接着用の膠(にかわ)が多用されたりするなど技法上の改革もあった。
 一方、観阿弥、世阿弥によって大成された能から、仮面彫刻としての能面が生まれている。
 室町彫刻は、仏像彫刻に代わり肖像彫刻が主流となっていった時代の彫刻である。
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2008/8/9


江戸刺繍 Edoshisyuu 

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 日本で刺繍が行われるようになったのは飛鳥時代のこと。中国から仏教が伝来し、金銅仏と並び刺繍による仏像、いわゆる繍仏(しゅうぶつ)が多数作られたのが始まりである。
 平安時代、公家社会が発達するにつれ、男子の束帯や女性の十二単衣(ひとえ)などの衣類に刺繍が登場し、安土桃山時代になると染めに刺繍を入れた相互性刺繍が多くなり、更に、装飾性を増していくようになる。
 江戸時代中期、天下太平の下で経済力をつけた町民階級が台頭し、あらゆる染色技術に刺繍も加えて絢爛豪華な着物を次々と生みだした。
 江戸の繁栄とともに江戸刺繍は隆盛を続け、当時、刺繍職人は繍箔師(ぬいはくし).縫物師(ぬいものし)とよばれた。
 江戸刺繍は図柄を置くときに空間を楽しむような刺繍の入れ方をするのが特色である。
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2008/6/18


法金剛院 Houkongouin 

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 京都府右京区にある「法金剛院(ほうこんごういん)」は、通称「蓮の寺」と言われており、関西花の寺第一三番霊場として知られている。七月から八月に咲く蓮の花は、極楽に咲く花といわれ、世界から集められた約八〇品種の清楚で華麗な蓮が咲きそろう。
 平安時代初期、この地は右大臣・清原夏野(きよはらのなつの)の別荘だったが、没後、寺とした。その後平安時代後期の大治五(1130)年、鳥羽天皇の中宮である待賢門院の御願により復興し、法金剛院を建立した。
 丈六の本尊「阿弥陀如来坐像」は、像高が二メートル以上もある大作で、仏師・院覚(いんかく)の作と伝えられる。平安時代後期の代表的な仏像として、重要文化財に指定されている。その他、金属工芸を施した「十一面観世音菩薩像」、一木彫の「地蔵菩薩像」など、多数の重要文化財の仏像が保存され、それらは拝観することもできる。
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2008/3/31


石馬寺 Ishiba-ji Ishibaji Temple

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 石馬寺(いしばじ)は、滋賀県東近江市五個荘石馬寺町にある臨済宗妙心寺派の寺である。本尊は、十一面千手観世音菩薩立像。
 推古二(594)年、この地を訪れた聖徳太子の馬が、石になり池に沈んだ。これに霊意を感じた太子がこの地に建てた寺が石馬寺で、今も山麓の大門跡には馬が沈んだ池があり、馬の背と思われる石が顔を覗かせている。
 太子の創建以後、中世まで法相宗、天台宗と転宗し永禄一一(1568)年、織田信長によって焼かれ衰退したが、正保元(1644)年、雲居禅師(うんごぜんじ)が中興し、臨済宗妙心寺派に改宗して現在に至る。
 瓜生山のふもとに位置し、太子直筆の「石馬寺」の三文字の木額と乗馬像が寺宝として伝えられており、ほかにも数多くの重要文化財となる仏像を保持している。
 石馬寺は、現在でも「馬の寺」として有名な古刹である。
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2007/12/4


なにわ刷毛 Naniwa-bake 

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 なにわ刷毛(なにわばけ)は、大阪府大阪市に伝わる工芸品である。府の伝統工芸品に指定されている。
 起源は奈良時代に遡り、寺院建立の際の仏像、仏具、調度品等の漆塗りに刷毛が用いられたと言われている。
 商品としては江戸時代に製造が始まったとされ、材料・製造技法ともに日本独特のもので、その品質の高さには定評がある。
 刷毛は、鹿毛、狸毛、馬毛、山羊毛等の原毛を用いる他、漆塗り用の刷毛には人毛が用いられ、選別、抜分、毛組、混毛、灰もみ、毛揃、上毛巻き等、数多くの工程を経て作られる。
 この伝統技法は日本独自のものであり、刷毛の用途に応じて原毛の性質、特徴が生かされている。
 なにわ刷毛は、今でも重宝されている歴史ある工芸品である。
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2007/11/22


文様 麻の葉(アサノハ) Monyou Asa-no-ha 

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 麻の葉(あさのは)とは、正六角形を基礎にした幾何学文様で、形が麻の葉に似ている和文様である。
 和文様とは、平安時代以来、公家の服装・調度品や装飾に用いられた形、色、構成などに独自の優美な様式を持つ図柄の総称である。
 古くは平安時代の仏像の切金文様の中や、鎌倉・室町時代の刺繍によって仏像や菩薩などをあらわした繍仏(しゅうぶつ)の中にみられる。
 麻は丈夫ですくすくとまっすぐに伸びる事から、子供の産着に用いるという風習もあった。
 また、麻の葉は古来より、災いを防ぐ魔避けの意味がある植物として使用したという歴史もある。
 麻の葉文様は、近年再び見直され、着物に限らず帯や襦袢、袋小物に頻繁に用いられている、伝統的な和文様である。
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2007/9/26


役小角 En-no-ozunu En no Ozunu

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 役小角(えんのおづぬ)は、修験道の開祖。山岳信仰による呪力の獲得、自然との一体化による即身成仏を説いた。日本的霊性の源流として、只ならぬ影響力を持つ人物である。
 舒明天皇六(634)年、大和国葛城上郡茅原(現在の奈良県御所市)、葛木山のふもとで誕生。独学で仏像を作り、梵字を書き始める特異な少年だった小角は、一七歳で家を捨て、葛木山での本格的な霊的修行に入る。
 仙人と遊び、仏や神を叱り飛ばし、鬼を従者として使う強者となっていった。神通力が朝廷に知られ、恐れられ、天皇の命令で伊豆大島へ流刑されたりした。
 晩年は、諸国を巡り、数々の霊山高峰を訪れた。現在、日本で霊山とされるほとんどの山が役小角の開山という伝説がある。六八歳の時、天井ヶ岳にて、多くの弟子達に見守られるなか、微笑み続けながら息を引き取った。
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2007/9/19


一乗院跡 Ichijou-in-ato 

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 一乗院跡(いちじょういんあと)は、鹿児島県南さつま市坊津町にある寺跡である。県の文化財に指定されている。
 敏達天皇一二(583)年、百済の僧・日羅が仏教弘布のため建立したのが一乗院であり、その末寺は薩摩大隅の国内四七ヶ寺、坊津でも一八ヶ寺あったと言われる。
 日羅上人は自ら仏像三体を刻み、上中下の三坊舎を設けて安置した。坊津の名称は、これに由来する。
 長承二(1133)年、鳥羽上皇により上皇の願所となり、「如意珠山一乗院」の称号を賜る。
 延文二(1357)年に、成円上人が寺を島津氏の協力を得て中興し、天文一五(1545)年には後奈良上皇の願所となった。
 しかし明治二(1869)年、廃仏毀釈によって廃寺となり、現在は仁王石像一対と歴代上人の墓が残るのみとなっている。
 一乗院跡は、古の繁栄が偲ばれる史跡である。
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