NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/11/20


焼香 Shoukou 

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 焼香(しょうこう)とは、香を焚いて仏や死者に対して拝む事である。仏教において、葬式をはじめさまざまな法要の折に必ず行われる行事で、焚香(ふんきょう)ともいう。
 焼香には抹香(まっこう)を焚くものと線香をあげるものがあるが、葬儀や法事では抹香を焚く場合が多い。
 香を焚くのは人の気持ちを快くさせ、同時に芳香によって身心や、その場を清めるといった意味、そして死者が香を食べるためとも言われている。
 抹香は元々沈香や梅檀香(ばいだんこう)などをついて粉末にしたものであり、通常は香木を細かくして用いる。
 焼香の回数は宗派や考え方によって異なるが、1回から3回が普通とされている。
 焼香は、仏教において必要不可欠な香を焚く儀式である。
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2007/10/31


玉陵(世界遺産) Tama-udun Tamaudun (World Heritage Site)

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 玉陵(たまうどぅん)は、沖縄県那覇市金城町にある、琉球王朝の陵墓である。世界遺産に登録されており、全体が国の史跡である。
 1501年、琉球王尚真によって玉陵は築かれた。
 琉球では、墓を立派なものにして、祖先崇拝信仰の表現形態とする志向が強い。
 また、玉陵の設立は、祖先崇拝信仰を国内統治の安定・強化に利用しようとした意図があったものと考えられている。
 玉陵は中室、東室、西室の3つに分かれている。中室は葬儀後、遺骸が骨になるまで放置し、骨を取り出して洗骨した。その後、王と妃の骨は東室に納められ、他の王族は西室に納められた。
 玉陵は太平洋戦争で大きな被害を被り、現在見られる大部分は大戦後に復元されたものである。
 玉陵は、琉球の神聖なる場所であり、厳かな墓所である。
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2007/9/14


【環】 Kan The Character for Cycle, Ring, Surround

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 環境の環。その形がなかなか深い意味を語っています。上の部分は目です。その下に衣と○があります。○は玉。この三つの要素を含む字体のほかに、さらに強調のために玉偏(たまへん)をつける字体もあります。玉偏自体は三つの玉を貫く紐の形です。
 この字は実は古代の葬儀、死者の復活思想、信仰と関係があります。上の目は開いているので、死者の復活を願う象徴です。古代には死者に玉の賜物を副葬品として添える習慣があったのです。この字はその玉を衣服の襟元に置いた形です。玉を死者の口に含ませることもあり、それは「含」という字になりました。
 白川静先生の著作、『孔子伝』などにもしばしば出てくる荘子の『荘子(南華真経)』に、こういう様々な古代の習慣がよく取り上げられています。もちろんむしろ否定的に。例えば、『荘子(南華真経)』外物篇に道徳的よりどころであるはずの『詩経』と『禮経』の墓と副葬品などの詳しい記述を頼りに、墓を盗掘したり、死者に添えた玉を奪おうとする儒者のことが風刺的に描かれています。
 また白川先生が、日本の代表的な哲学者である西田幾多郎には、漢字の世界をある意味で哲学化した荘子の影響がかなり見られると指摘されているように、そういう背景から見ると漢字には古今を結ぶ一面があります。
 人類の生死に関わる環境。健全な環境の保持を考えるにふさわしい字ではないしょうか。
 
■ 環・金文(きんぶん)
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2007/4/27


仙台 覚範寺 Sendai Kakuhan-ji 

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 覚範寺(かくはんじ)は、宮城県仙台市青葉区北山にある臨済宗の寺であり、北山五山の一つとされている。
 天正一三(1585)年に非業の死を遂げた、伊達政宗の父輝宗の菩提寺である。
 翌、天正一四(1586)年、政宗によって米沢遠山村に創建された。政宗の師であり臨済宗の名僧として知られる虎哉和尚が、開山一世とされている。
 その後、伊達家に従って文禄元(1592)年、岩出山に、慶長五(1600)年、仙台愛宕山に移ったが焼失し、慶長六(1601)年、この地に再建された。
 政宗の正母・保春院の墓と政宗の三男・宗清、政宗正室愛姫の母堂などの供養塔が並ぶ。政宗の葬儀もここで行われている。
 また、覚範寺境内には、樹齢250年と推定されるヒヨクキバの古木が優雅に佇んでいる。
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2007/1/31


着付け Kitsuke Kitsuke (the art of kimono dressing)

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 着付けとは和服を正しく着ること、または相手に正しく着せることである。
 和服とは日本独自の民族衣装であり、立体的な構造である洋服と異なり、平面で構造されるため、着崩れないための独自の着方が必要なことから生まれた。
 男性、女性、大人、子供、未婚、既婚など状況と人物により約束事が異なり、慶事や葬儀の時は注意が必要となる。
 着付けには流派が存在しており、帯の結び方、道具を使うなどの差があるが、基本的な着せ方は同じである。
 現在、和服を日常的に着ることは少ないため、正月の晴れ着、成人式の着物や浴衣を着る時は着付けの技術を持つ人が相手に着せることが多い。
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2007/1/5


京黒紋付染 Kyokuro-montsukizome Kyo Black Dyeing with Crests

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 京黒紋付染は、婚礼のときに着る黒留袖や、葬儀で着る喪服など、伝統技術で紋章が染め抜かれ、黒に染められた式服のこと「三度黒」と称される「黒引染め」等の地染めをしたのち、家紋を描き入れる。京都に古くから伝わる伝統工芸だ。
 黒染めの歴史は10世紀まで遡るが、黒紋付染として確立したのは、江戸時代の初め。江戸時代中期以降は藍などで下染めした「びんろうじ染」が中心で、武士階級で黒紋付が愛用された。明治時代に入ると、紋付羽織袴が国民の礼服に制定されたことで、京黒紋付染が大きく広まることになる。明治以降には、英・仏・独の技術を取り入れ研究を重ねた結果、手間のかかる「びんろうじ染め」に代わって、現在の「黒引染」が確立されたという。
 連綿と受け継がれ続けたこの技法は、いまでは式服にとどまらず、Tシャツなどの染めにも応用され、広く人々に愛されている。
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