NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/25


注連飾り(島根、山口) Shimekazari(Shimane,Yamaguchi) Shimekazari (Shimane, Yamaguchi)

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 中国地方の一部の注連飾り(しめかざり)には、紙垂(しで)や、橙(だいだい)などと一緒に、赤唐辛子が飾られているものがある。
 唐辛子は、古来より世界の各地で「魔除け」として用いられることが多い。玄関に吊るすことで邪気の侵入を防ぐと言われている。
 棘のある植物や香りの強いものは悪鬼を祓うと言われ、節分の日に柊の枝と鰯の頭を門戸に挿す習慣と通じるのかもしれない。
 また、紙垂を飾ることには外からの災いや厄を吸収させるという意味もある。
 「注連・シメ」は「占める」の意味で、注連縄は疫病などの不浄なものの侵入を封じ、神などがいる「結界」を示し、また、幸せなどを外へ逃がさないようにする印として張られる。
 こうした注連縄の役目は、注連飾りのもとになっているといわれる。
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2008/1/29


【卜】 Boku Divination, Auguration

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 この字は、占いをするために事前に甲骨文を刻んだ亀の甲羅や獣骨に、意図的に加えられた裂紋の形です。占いの材料である亀の甲羅や獣骨の裏側を、穴をあけるために薄く彫り、その穴に鉄棒をつけて当てることで、反対側に現れる裂け目の模様を象っています。
 様々な卜の形の中でも、この字の形は吉の判断とされている形です。たての線は千里とよばれ、横線は坼(たく)と称されています。坼が途中でまがっていれば凶の意味になります。「卜」は、アジア文化の考え方の中心に吉凶がおかれたことを表す字の一つでもあります。
 骨には牛の肩骨などや、鹿の角や頭骨、犀のメスの助骨など、獣骨や虜の人頭が使われていました。亀の甲羅には、腹と背の二つがありますが、甲羅の甲の字は、腹部の方の平面で四角い甲羅の形を象っています。背部(背甲)に字が刻まれているのもまれにありましたが、ほとんどみられることはありません。背甲は丸くてとても硬いので、占いの裂紋をつけるために穴を彫るのが難しいのです。
 西洋における漢字の研究では、「甲骨文」の訳語として、腹甲、背甲のはっきりしない言葉が使われていることが多いので、本来の姿や正しいイメージが見えない状況です。もともとは腹甲を象っていた「甲」の字が、甲羅・亀甲などのように背甲を示す言葉として用いられるようになったこともその原因の一つです。
 
■ 卜・甲骨文(こうこつぶん)
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2008/1/23


土佐凧 Tosa-dako 

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 土佐凧(とさだこ)は手漉き土佐和紙を使用、正方形を45度回し角を立てた特徴的な形をしている。
 力強い墨の線に、魔除けの赤色を基調とした華麗な彩色は雅で、大変に美しい。
 凧は用途別に3種類に分けられ、絵凧と呼ばれる凧には武者や姫だるま、鶴を、定紋凧には家紋を、祝凧には「祝」などの慶祝文字をあしらう。
 凧は古代中国で兵器や宗教的な占いの為に作り出され、平安時代に日本に渡来したと言われており、土佐では、長曽我部氏が戦国時代の四国平定に、空とぶ兵器としてこれを用いた。 それが江戸時代になってからは男児出生を祝う行事となり、また、還暦の祝いに凧揚げをする風習も出来たと言われている。
 現在では香南市香我美町の1軒のみで作られ続けている。
 子どもの遊び道具としてももちろん、装飾用の美術工芸品としても大変に貴重で価値がある工芸品である。
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2007/9/21


安倍清明 AbenoSeimei Abeno Seimei

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 陰陽師として知られる安倍晴明(あべのせいめい)は、平安時代の『今昔物語集』、鎌倉時代の『宇治拾遺物語』、歌舞伎や文楽の演目の中で語り継がれてきた伝説的な人物。
 出自には謎が多い。幼少期から怪異を見る力があり、当時の陰陽道の大家・賀茂忠行に師事して、天文・暦法・占術などの知識を吸収した。やがて、式神を操り、病を鎮め、雨を降らせるまでに至ったが、晴明の個性は、時空間を読む力、暦の秘密の把握にあったという。陰陽五行と占術の関係を理論化した『占事略決』を始め、いくつかの秘伝書を記した。
 当時としては異例の85歳という長寿だった。晴明の死後、彼の子孫は土御門家として、歴史の舞台裏で君臨し続けた。京都にある安倍晴明神社には、今でも参拝者の姿が途絶えない。
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2007/8/1


吉岡八幡神社 やぶさめ Yoshioka-hachiman-jinja Yabusame 

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 吉岡八幡神社(よしおかはちまんじんじゃ)は、宮城県大和町吉岡町裏にある神社である。祭神は応神天皇。
 やぶさめは、神社の秋季大祭にて行われる行事である。
 元和四(1618)年、仙台藩祖伊達政宗の三男・宗清により下草から吉岡へ移され、新造されたのが吉岡八幡神社の創祠とされる。
 寛永一一(1634)年、玄米15石ならびに諸神具を奉納し、祭例にはやぶさめを行っていたものが、現在まで伝えられている。
 祭礼には、五穀豊穣を祈願し、御神輿や子供神輿などの行列が町内を巡行した後、当たり矢によって翌年の吉凶を占うやぶさめが奉納される。
 白衣・袴を着、たすきをかけた姿の氏子が約60mの区間を疾走する馬上から、的をめがけて鏑矢を射る姿は迫力がある。
 吉岡八幡神社のやぶさめは、多くの人が訪れる勇壮な神事である。
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2007/6/26


コックリ湖 Kokkuri-ko Lake Kokkuri

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 何とも奇妙な名前のこの湖は、北海道は積丹半島の南、蘭越(らんこし)町ニセコエリアにある湖沼群中最西端に位置する最大の湖。
 気になる名前の由来だが、蘭越町史によると、明治二七年に発見者の吉崎由太郎氏が付けたとされている。当時、秘境とも言えたこの地は狐・狸など野生動物のすみかで、狐狗狸(こくり)を占いの「こっくりさん」の語呂とあわせて「こっくり」と読ませ、狐狗狸湖とし、それがいつの間にかカタカナ化した、とされている。
 樹齢200年を越えるダケカンバなどの原生林に周囲を囲まれたコックリ湖は、まさに秘境のたたずまいを見せる。標高は550メートル程で、湖にはフナやコイなどの他に、エゾサンショウオが多数生息している。
 風のない波静かな日には、対岸の景色が逆さに映り込んで美しい、神秘的な湖である。
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2007/6/20


赤沼 Aka-numa 

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 赤沼(あかぬま)は、青森県南津軽郡藤崎町福舘にある民間信仰の場とされた沼である。
 福館の館の地名は、中世に築かれた砦である保塁から付けられたと言われている。
 浪岡川の河跡湖である赤沼は底なしで、藤崎町矢沢の赤沼と通じており、沼の主は蟹であり、坂上田村麻呂にかかわる伝説を伝えるという。
 また、村に異変があると赤く濁った事から、その名がついたといわれており、その色で豊凶を占っていたと伝わっている。
 赤沼のほとりには薬師如来が祀られていたが、この地方の八幡宮が中島と小畑地区に分離するに当たって、合祀された。
 赤沼は、不思議な伝説を持つ沼であり、その存在は村にとって吉凶を知る上で、とても重要なものであったと推察出来る場所である。
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2007/6/12


大俵引き Ootawara-hiki 

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 大俵引き(おおたわらひき)は、福島県河沼郡会津坂下町で、毎年1月第2土曜日に行われる祭りである。
 江戸時代初期の寛永二(1625)年ごろには始まっていたと新編会津風土記には記されている。
 市神様の前で上町・下町に分かれて「米俵引き」を始め、上町が勝てば米の相場が上がり、下町が勝てば下がると占ったのが伝統行事として続けられた。
 明治に入って中断していたが、昭和三〇年の町村合併を機に、五穀豊穣、商売繁盛の祈願を込めた正月行事として復活した。
 厳寒の中、下帯一つの裸の男たちが大太鼓の音を合図に直径3m、長さ5m、重さ3トンの巨大な俵を両側から太い綱で引き合う様は見るからに勇壮である。
 近年はその前後に、俵太鼓の演奏や、鏡割り、福餅つき、福俵365個まきなどの行事が加わり大勢の人出で賑わっている。
 大俵引きは、日本有数の奇祭として人々に親しまれている。
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