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2008/7/28


オオタスセリ Oota Suseri Suseri Oota

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 芸人・オオタスセリ。神奈川県出身。本名は太田寸世理。スセリという名前は『古事記』に登場する、勢いのままに突き進む女神・スセリ姫(スセリビメ)に由来する。
 本格的に芝居の道に進むために大学を中退。劇団円研究所に所属後、「ペコちゃん」という漫才コンビを組むが、相方の結婚によりピン芸人へ。一人コントやギターの弾き語りなどの舞台を中心に活動。女優や台本作家、エッセイストとしても評価が高い。代表作『デカい女』。
 身長176cm。足のサイズ26cm。成人女子の平均身長が159cmである中、平均値から大きくはみ出した自分自身を見つめる目は鋭い観察眼を生み出し、およそ他人には思いつかないような日々のディテールの観察やユニークな行動に発揮されている。
 ピンの芸人でありアーティスト。やりたいと思ったことはすぐに実行し、常に人前に自分を晒すことで育ってきた勢いは、まさにスセリ姫。
 今後のオオタスセリの益々の飛躍が期待されている。
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2008/7/10


シュミッツ クリストフ Syumittsu Kurisutofu Dr. Christoph Schmitz

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 漢字学の巨人・白川静氏が構築した白川文字学の研究者で、哲学思想史・日本思想史研究者。ドイツ・ケルン生まれ。東京都在住。
 ドイツと日本の大学で歴史と哲学、哲学史を基礎に日本思想史を学んでいる時に漢字に興味を抱きはじめる。しかし、西洋の漢字教育では、漢字の形とその意味の関係について充分に説明されないことに、落胆。その後、一九九七年、日本の新聞に載った白川静氏のインタビュー記事を読み、「白川先生の偉業や字書を世界に紹介したい」と考え、ドイツの市民大学などで哲学思想史と漢字を教えた後、白川氏訪問のため二〇〇一年に来日、初めて対面する。二〇〇二年、東大法学部に研究生として入学。
 二〇〇三年一二月、白川静著の漢字入門字典『常用字解』の英訳を始め、ほぼ三年かけて完成。漢字の成り立ちを自然に理解できる漢字学習の基礎づくりをめざしている。
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2007/11/7


とんぼ玉 Tonbo-dama Dragonfly Ball

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 「とんぼ玉」-この風変わりな名前を持つ小さな玉のことをご存知だろうか。とんぼ玉とは、簡単に言えば色文様の付いたガラス玉で、紐を通す孔の空いたビーズのことである。漢字で書くと「蜻蛉玉」、欧米語では「glassbeads」と呼ぶ。
とんぼ玉の歴史は古く、メソポタミア文明やエジプト文明の時代にまで遡る。そして現在まで3500年に渡り世界各国で多種多様なとんぼ玉が作られ、多くの人々を魅了している。
 日本には江戸時代に南蛮貿易により伝来。表面に円文様をあしらった、とんぼの眼を思わせることから「とんぼ玉」と呼ぶようになった。以来400年あまり、様々な製法や表現方法が発達し、今では多数の現代作家のもとで美しいとんぼ玉が作られている。
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2007/7/20


武田双雲 TakedaSouun Souun Takeda

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 1975年、熊本県生まれ。書道家。3歳より書道家である母・武田双葉に師事。
 東京理科大学理工学部卒業後、約3年間のNTT勤務を経て書道家として独立。以降、狂言師や彫刻家、音楽家などさまざまなアーティストとのコラボレーションや斬新な個展など独自の創作活動を展開。また、多くの門下生を抱える書道教室を主宰する。「書は会話と同じ。自分は書でコミュニケーションを取りたいだけ」と静かにそして熱く語る新世代の書道家である。
 2003年、中国上海美術館より龍華翠褒賞受賞、イタリア・フィレンツェにてコスタンツァ・メディチ家芸術褒賞受賞。映画「春の雪」「北の零年」など数多くの題字も手がけている。著書に「たのしか」「書愉道 双雲流自由書入門」「「書」を書く愉しみ」がある。
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2007/4/26


おみくじ Omikuji Omikuji

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 「おみくじ」は、神社・仏閣等で吉凶を占うために行う籤である。「みくじ」は「くじ」に尊敬の接頭辞「み」をくわえたものであるが、神に関係のあるもののため、「御神籤」とも書く。寺のくじは「御仏籤」と書く。
 おみくじの紙片には、「大吉・吉・中吉・小吉・凶」など(多い所では「大吉・吉・中吉・小吉・半吉・末吉・末小吉・凶・小凶・半凶・末凶・大凶」)の言葉で全体の運勢、探し物・待ち人・健康・金運・生活等の個別の運勢が記されている。
 引いた後の神籤を境内の木などに結ぶ習慣がある。「結ぶ」が「縁結び」に通じることから、本来は祭神に縁結びの神徳がある神社でのみ行うものであるが、祭神に関係なくどの寺社でも行われている。 
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2007/2/19


習字 Shuuji Shuji, Japanese Calligraphy

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 習字とは、文字を正しく整えて書くことが目的であり、主に毛筆と硬筆から構成される。
 書道は、書くことで文字の美を表す東洋の造形芸術であり、文字の習得を目的としていない。よって、習字とは別物である。
 習字は、文字を覚える事が基本であるが、心を落ち着けたり、集中力を高めたりするのにも役に立つ、日本古来の学習法である。
 習字は飛鳥時代に、中国や朝鮮半島から伝わってきたという。
 以後、それぞれの時代の影響を反映し、平安時代は貴族社会を表すようにおっとりとした作品が、武士の時代になると力強い作品や激しい作品が多くなっていった。
 習字は、日本の歴史上欠くことの出来ない教養であり、文学は勿論、あらゆる日本文化に対して影響力を及ぼす、重要な基礎学習であったといえよう。
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2007/1/30


奈良墨 Nara-sumi Nara-sumi

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「奈良墨」は、写経や論述などに墨を必要とした朝廷や寺院とかかわりの深かった文化高い奈良の地特有の名産品である。
 起こりは平安時代、大同年間に弘法大師・空海によって唐からその製法が伝えられ、その後室町時代に興福寺の僧が油煙墨を作ったのがはじまりと伝えられる。
 平安時代には、我国の各地でつくられていた墨も、時代の変遷と共に次第に途絶えていった。その中、奈良の墨は、寺社を中心としてつくり続けられたという。奈良時代に藤原氏の氏寺として建立された興福寺で、筆記や写経、春日版と言われる木版摺りの経典に使う墨などの生産を一手にひきうけていたのだ。
 千年以上を経た歴史が実証しているように、何十年、何百年も文字を残そうとするなら、和紙に墨を溶かして書くのが一番いい。パソコンが普及した今でも、墨は未来に受け継いでいくべき伝統工芸品である。
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2007/1/15


便り Tayori Tayori

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 便りといえば、つい最近までは「郵便」であったように思う。
 差し出し人が実筆で書く手紙には、その内容もさることながら、人それぞれの字体やイラストなど便りを元に相手の事を想像し楽しんだものである。
 それが「電話」になり、現代では「メール」(直訳は手紙であるが)というインターネットでの送信手段などがある。短時間で遠いところに連絡が取れるようになった現在では「便り」という表現が減ってきている。
 「便り」というのは「頼り」と同じ読みになるが、「便り」と「頼り」の意味することは共通している部分があるように思う。
「便りもよこさないで・・」と相手を心配する意味の言葉は、実は「頼りもくれないで・・」という意味だったのかもと筆者は思う。「便り」をもらうことでそれを「頼り」にして(自分への励ましとでもいうか・・)人々は生きてきたのかもしれない。
 現代人は「人に頼るという手段」が減ってきたため、いい意味で「人に甘える」事が、下手になったような気がする。
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