NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/19


鹿児島 鶴丸城跡 Kagoshima Tsurumaru-jou-ato 

Jp

 鶴丸城(つるまるじょう)は鹿児島城の別名で、鶴が翼を広げたような城の形状であったことから名づけられた。
 慶長七(1602)年、初代薩摩藩主・島津家久により「城をもって守りとせず、人をもって守りとなす」という兵学精神に基づいて築城された。
 一般的に城の中心として重視される天守閣・天主台を据えず、本丸大手口に櫓門を設け、塁状には長屋造りの武器倉庫である多聞櫓(たもんやぐら)、一層の屋根を持つ平櫓を備えた屋形造りの建物となった。
 天守閣の無い城としては伊達政宗生誕の城で有名な山形県の米沢城の二例のみである。
 この鶴丸城を守るのは薩摩藩独特の外城制度である。県下一一三箇所に武家屋敷などの外城があり、武士を藩に散らばらせ、強靭な教育を行い軍力を強固にし、人の手で藩を守ろうとした。
 鶴丸城はおよそ二六〇年間に渡り島津氏の統治所となったが、明治六(1873)年の火災により焼失。現在は、石垣と擬宝珠付きの石橋が残っている。
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2007/9/10


知覧武家屋敷庭園 Chiran-bukeyashiki-teien Old Samurai Gardens in Chiran

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 知覧武家屋敷庭園(ちらんぶけやしきていえん)は、鹿児島県南九州市知覧町(旧・川辺郡知覧町)にある江戸時代の武家屋敷群で、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。
 約260年余り前、知覧領主・島津久峰時代の武士小路区割の名残り。現在、武家屋敷通りと屋敷庭園が保存されている。
 7軒の屋敷の庭園が見学でき、うち6軒は枯山水式庭園、1軒は築山池泉式庭園となっている。
 薩摩の小京都と呼ばれるにふさわしい佇まいを保ち、武家屋敷群は「人をもって城となす」という薩摩藩の気風を推し進めた外城のひとつとされる。
 各屋敷が塁のように防衛障壁となるよう工夫されており、端正にして優美、虚飾に走らず簡素を旨とした、薩摩武士の知性と上品さが伺える。
 知覧武家屋敷庭園群は、江戸の昔を思い起こさせる街並みである。
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