NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/7/9


狩衣 Kariginu 

Jp

 狩衣(かりぎぬ)とは、平安時代以降の公家の普段着である。
 その名の通り、元は野外狩猟用の服で、着用も簡便で運動性も高いものであった。便利なために一般公家の日常着として愛用され、次第に院参にも用いられるようになり、時代を経るに従って公服としての色彩を増していった。
 烏帽子を被り紅の単を着て、指貫袴をはき、狩衣を着るという活動的で、気楽な服として着た装束で、布衣(ほうい)ともいわれた。
 身幅が一幅で両脇を縫わず、前の袖付けも縫わず、背で20cmほど袖を縫ってあり、袖口に括紐をとおしてある。
 藤原期より、機能性に富み若年の日常着として貴族社会の中で広く利用されるようになった。
 ただし狩衣での参内は一切認められず、基本的に狩衣に冠を被る事はなかった。
 狩衣は、現代では神職の常装として着用される伝統装束である。
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2007/5/25


アイヌ 樹皮衣 Ainu Juhi-i Ainu Bark-Fiber Cloth

Jp En

 アイヌの樹皮衣(じゅひい)は、北海道アイヌの伝統的な布の事であり、この布を使って仕立てた衣装の事でもある。
 アイヌの代表的な、最も身近な衣服であり、アイヌ語からアットゥシ、厚司織などとも呼ばれる。
 オヒョウなどの木の内皮にある繊維を元に作った素材を、機にかけて織った織物であり、衣服として作られる事が多い。
 無地よりも、木綿太糸を織り込んだものの方が、貴重な木綿糸を加えた分だけ上等とされた。
 アイヌの中でも、北海道アイヌが主に用いたものである。
 アイヌの生活の場で着られたほか、18世紀後半には本州へ大量に運ばれ、耐久性に優れ織目も細かい布として、日本各地で反物や衣装として利用された。
 現在でも樹皮衣は、北海道各地で工芸品として制作されている。
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2006/11/27


城南宮 宮司 Jyouanguu guuji The High Priest at Jonangu Shrine

Jp En

 城南宮は、京都市伏見区にある神社。「方除(ほうよけ)の大社」として知られる。
 創立年代は不詳。平安遷都の頃に桓武天皇が都の南方の守護と、鳥羽離宮の裏鬼門の守護のために建てたことから、方角にまつわる災いを祓い除き、安心を与えてくれる神様として昔から崇められてきた。建築や転宅の安全祈願に限らず、様々な祈願に、今でも全国各地からたくさんの人々が訪れている。
 1日限りの祈願にとどまらず、祈祷を申し込むと、願い主に代わって神職(宮司)が、7日間、15日間、1月間・・・と毎日繰り返し祈願し、願い事の成就を祈ってくれる。
 正月には、祓え神楽や釿始式(ちょうなはじめしき)など、祈願の祭りが粛々と執り行われる。
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