NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/18


枚聞神社 Hirakiki-jinja 

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 枚聞神社(ひらききじんじゃ)は、鹿児島県指宿市開聞十町にある神社である。祭神は、大日孁貴命(おおひるめむちのみこと)他八柱。
 創建は定かでないが、社伝では和銅元(708)年とも伝えられている。
 朱塗りの社殿は慶長一五(1601)年、島津義弘が再興し、天明七(1787)年に島津重豪(しまづしげひで)が改修したもので、後ろにそびえる開聞岳の緑に社殿の朱が良く映える、美しい景観を誇る。
 薩摩国の一宮であるが、新田神社も「薩摩国一宮」を名乗っており、鎌倉時代から互いに一宮を巡り争ってきた。
 外洋に面した立地から、古くから「航海神」としても崇められ、江戸時代以降は琉球からの使節の崇敬も集めるようになった。
 枚聞神社は、神代より続く長い歴史をもつ古社である。
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2007/9/4


琉球陶器 Ryuukyuu-touki Ryukyu Pottery

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 琉球陶器(りゅうきゅうとうき)は、沖縄県の壺屋地区に古くから伝わる伝統工芸である。
 その興りは十五世紀ごろ、東南アジアとの貿易によって、南方系の陶工技術が当時の琉球王国に伝来したことで始まるとされる。
 十七世紀前半に朝鮮や中国から陶工を招聘して技術を吸収すると共に、琉球王国を統治していた薩摩藩から持たされた技法との融合も行われ、独自の陶芸技術として発展させてきた。
 その後の発展と共に琉球王国の各地に窯ができたが、技術の集約や振興を図り、十七世紀後半に尚貞王が現在の壺屋地区周辺に統合させ、以降は同地を中心に生産が行われ、今に至っている。
 陶土や釉薬に地元の素材を用い、その器の形や装飾技法が南国特有のおおらかで明るい美しさを持つことが特徴として上げられる。
 窯では大別して、大物容器を主とする無釉の荒焼と、日用雑器類を中心とする施釉の上焼の二つが生産されている。
 その素朴で明るい趣の器は、南国の空気を持つものに運んでくれる。
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2007/6/29


琉球玩具 Ryuukyuugangu Ryukyu Toys

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 琉球玩具は、ユッカヌヒー(旧暦の五月四日)にたつ玩具市にて、縁起物として売られる張り子などがその代表である。
 張り子の技術は17世紀以降に日本から学んだもので、最初は上級士族の子女が対象だったのだが、明治になって普及し、庶民の子供達の手に届くようになった。
沖縄の張り子は、琉球王朝の影響や中国大陸の影響をうけつつ、島独自の文化が混じった独創的な形や豊かな配色のものが多い。
張り子に限らず、アダンの葉でできた風車やソテツの実を使った操り人形、大陸文化の影響を感じさせる蝶型の凧など、琉球玩具には素朴な味わいが感じられる。
 やがて登場したセルロイドやブリキの玩具に子供達の人気は取って代わられたが、今でも琉球玩具は、各々の作品が持つ表情やほのぼのとした温もりが伝わり、多くの人に親しまれている。
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2007/6/13


宮崎漆器 Miyazaki-shikki Miyazaki Lacquer Ware

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 宮崎県で作られている漆器で、県の伝統工芸品に指定されている。
 沖縄で室町時代から始まったとされる、琉球塗りがその源流である。首里城門などにも琉球塗りの技術を見ることができる。
 太平洋戦争末期、沖縄から宮崎県に移住してきた琉球漆器の技術者達を中心に、雇用など地域に貢献する形で制作をはじめ、宮崎漆器として成り立つようになり、現在にいたる。
 宮崎県は高温多湿であり漆の乾燥に適し、下地となる漆の塗布は非常に重要な作業であり、これによって堅牢なものになる。
 さらに中塗り、上塗りと漆を塗り、色漆を塗っていく。朱塗りの色が冴えているのも、宮崎漆器の特徴の一つだ。
 装飾には堆錦という漆と顔料を混合したものを、金槌でたたき、ゴム状にしたものを、柄にあわせ切り、製品に貼り付けるいう独特の絵付け方法を行い完成となる。
 盆、茶托、菓子皿や文箱などが作られ、県の内外で愛用されている。
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2007/3/9


勝連城跡 Katsuren-gusuku-ato Katsuren Gusuku Ruins

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 勝連城跡(かつれんぐすくあと)は、沖縄県うるま市勝連にある城跡である。
 国指定史跡であり、標高約68〜98メートル、東西南北の長さ約140×85メートルほど。
 勝連城跡は、12〜13世紀ごろに築かれた勝連按司(かつれんあじ)の城である。
 築城者は不明だが、最後に修築したのは最後の城主、阿麻和利(あまわり)と言われる。
 首里王府は、阿麻和利を抑える為に中城城に護佐丸を配置した。
 1458年、阿麻和利は護佐丸を倒した後、首里城を攻めて大敗し、最後は王府軍に滅ぼされた。
 城跡が丘の上にあり、麓から眺めるグスクはまさに天空の城壁のようであり、今にも飛び立ちそうな雰囲気を作り出している。
 現在は勝連城跡公園として、数多くの人々が訪れる景勝地となっている。
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識名園 Shikina-en Shikinaen Garden

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 識名園は、沖縄県那覇市真地にある、琉球王の別邸。
 造園は琉球の尚穆(1752〜95年)の時代に始まったと言われる。1799年、完成した。
 総面積1万2千坪で、琉球王家最大の別邸である。国王一家の保養や外国使臣の接待などの迎賓館として造られた。
 識名園は、池の廻りを歩きながら景色の移り変わりを楽しむことを目的とした廻遊式庭園である。
 池の周辺に御殿、築山、花園などを配置し、池には大小のアーチ橋が架かり、池の小島には中国風の六角堂も建てられている。
 中国の様式と沖縄独自の様式の折衷様式で建築された。
 太平洋戦争で園内の多くの建造物が破壊されたため、現在見られるものは復元されたものである。
 識名園は、在りし日の琉球王家を想像させる、見目麗しい庭園である。
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2007/1/12


宮古上布 Miyakojoufu Miyako-Jofu Fabric

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 宮古上布は、沖縄の大変精緻で滑らか、丈夫な伝統工芸品の麻織物である。
 400年前、琉球王が海難を救った功績を称えて男を問切坊主とした所、その妻は喜び、心を込めて布を織り王に献上した。これが宮古上布の始まりと伝えられる。
 宮古上布は苧麻(ちょま)を原料とする麻織物で、15世紀頃から織られていたと言われている。
 先染めされた糸を図案に従って白い十字になるように織り、模様を出していくのが特徴である。
 7〜8cm織った後で縦の絣糸を針で一本一本上下させてずれを調節していく。細かい作業の上に細心の注意を払うので、大変疲れて時間もかかり、熟練した人で一日20〜30cmしか織れない。
 1975年、伝統的工芸品に指定され、78年、国の重要無形文化財に認定された。沖縄の誇る伝統工芸品である。
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琉球絣 Ryuukyuu-kasuri Ryukyu Kasuri Ikat

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 琉球絣(りゅうきゅうかすり)は、沖縄の南風原(はえばる)町で織られる絣である。広い意味では、沖縄の絣の総称でもある。
 琉球絣の起源は、14〜15世紀といわれ、東南アジア系の絣を基本とする紋様と、沖縄の自然や動植物の名称を取り入れた図柄が特徴である。
 主として絹糸を使用し、染料は草木染の他、化学染料等が使われている。反物を中心に織られており、夏物の壁上布(かべじょうふ)も生産されている。
 経糸、緯糸、それぞれ決められた図柄によって手括りで仕上げられ、これを染色し、その後括られた部分をほどいて絣模様を作り出し、木製の高機に乗せて手投げ杼(ひ)によって織り上げていく。
 琉球絣の柄・幾何学模様の素朴さは、南国情緒を漂わせている。
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