NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/9/14


村山明(人間国宝) Murayama Akira 

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 昭和一九(1944)年、兵庫県生まれ。木工芸作家。
 京都市立美術大学の彫刻科を卒業後、木工芸家である人間国宝黒田辰秋に師事、木を刳(く)り貫いて造る刳物(くりもの)を主として活動していく。
 昭和四五(1970)年には日本伝統工芸展にて「欅拭漆懸籠付文庫(けやきふきうるしがけかごつきぶんこ)」が朝日新聞社賞を受賞。平成元(1989)年にはロンドンのビクトリア・アルバート王立工芸博物館が「欅拭漆盤」を収蔵、平成一一(1999)年にはパリで開催された「日本の工芸『今』百選展」に出品されるなど、海外での活動も精力的に行っている。
 平成一五(2003)年に木工芸の重要無形文化財保持者に認定、人間国宝となる。
 氏の独創的な技法は円熟期を迎えているが、それでも「あくまで通過点」として、なお遠くの高みを目指して創作を続けている。
 寄り添って木の声を聴きながら造りたいものを探っていく。木からの返答が、氏をさらなる先へといざなっているかのようだ。
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2007/6/22


夕張岳 Yuubari-dake Mt. Yubaridake

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 夕張岳(ゆうばりだけ)は、北海道中央部の夕張山地の南端に位置する秀峰だ。
 標高1668m。その頂まではそれなりの労力と時間を要するが、山としての面白さや魅力にあふれており、非常に人気のある山だ。
 その人気の源となっているのが、この山に咲き誇る数々の草花だ。その種類は非常に豊富で、ユウバリソウやユウパリコザクラなどのこの山固有の品種、それ以外にも数多くの高山植物を見ることができ、その総数は280種にもなるという。この数は北海道にあまた存在する高山植物の種類数に匹敵するといわれている。
 それだけに大変貴重な自然として、この夕張岳が丸ごと、国の天然記念物に指定されているほか「花の百名山」にも選ばれている。
 夕張岳は、鉄分を多く含む岩で形成されていることから、その特異な地質にうまく適応した植物のみが進化を遂げてきた。そのため、この山独自の品種が多く見られるのだといわれている。
 そんな自然の厳しさを微塵も感じさせず、花々は今日も訪れる登山者を癒してくれる。
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2007/2/23


出石焼 Izushi-yaki Izushi Ware

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 透き通るような白を特徴とする白磁、出石焼(いずしやき)。兵庫県の出石町に古くから伝わる伝統工芸品だ。
 歴史は江戸時代半ばに遡る。天明四(1784)年に陶器を焼いたのがはじまりとされる。その後、地元で大量の白磁の鉱脈が発見されたことから時の藩主の庇護を受け、有田から陶工を招いて出石の城下町で磁器づくりが盛んになったという。
 磁器産地の中で唯一「純白」を誇る白磁、そしてその美しさをきわだたせる精緻な紋様彫刻の技は非常に高度だ。明治時代にはパリや東京の博覧会に出品、一躍出石白磁の名声を高めた。戦後には出石焼の作品が日展の特選に選ばれるなど作家活動が盛んになる。昭和五五年には国の伝統工芸品に選ばれた。
 絹を思わせる白を唯一の個性とする出石焼は、陶工の磨かれた技が生み出す最高の「白磁芸術」である。
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2007/1/29


天羽やよい Amo Yayoi Yayoi Amo

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 1948(昭和二十三)年、東京生まれ、青森県在住。南部菱刺の伝統工芸士。
 77年に独学で南部菱刺を学び始める、88年菱刺教室「梅の花工房」を開く。99年パリにてフランス人陶芸家と二人展を開催する。
 菱刺しは江戸時代に起源を持つ。その特徴は、麻布に綿糸で偶数目を拾って織り成される四百種に及ぶ幾何学的紋様。青森県南部地方の三戸、五戸、八戸、上北町に分布する。当時、麻の着物しか着る事を許されなかった農民が、薄藍の麻布に紺と白の糸で木綿糸を刺し作り上げた、補強と保温性を高めた美と実用を兼ね備えた技術でもある。
 天羽さんは自ら織った麻布と、染めた木綿糸を使って菱刺しの作品を制作。全て一点ものの作品は異なる模様を持つ。「自分の刺したものを着る人が、あたたかい気持ちになってもらえたら嬉しい」と語る。
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2007/1/9


阿波和紙 Awawasi Awawashi Paper

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 阿波和紙は、阿波(徳島県)の麻植郡山川町を中核として漉かれた紙で、地元特産の藍を使った染紙が多く作られた。
 阿波和紙の始まりは、1300年ほど前、朝廷に仕えていた忌部族がこの地に入り、麻や楮を植えて紙や布の製造をした記録が古語拾遺(807年)に見られる。
 江戸時代に入り、寛永十三(1636)年、藩の政策として製紙業に力を入れはじめ、農家の副業に紙づくりを奨励した。阿波藩の藩札や奉書、仙画紙などの御用紙の他、特産の藍を使った藍染和紙により全国にその名が知られた。
 その後は明治二十三年のパリ万国博へ出品されるなど繁栄し、紙すきの戸数も明治の最盛期には合計700戸を数えた。
 現在は日常生活での必需品は洋紙へと移行し、和紙が創り上げてきた伝統的生活文化は、日々の暮らしから離れつつあると言える。
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2006/11/27


扇 Ougi Folding Fan

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 扇は8世紀頃日本で発明された。扇の着想は、一説には、木簡を束ねて一端に穴を開け、紐などで繋いだ物が起源であるとされる。
 平安時代頃から、扇はあおぐという役割だけでなく、儀礼や贈答、コミュニケーションの道具としても用いられた。和歌を書いて贈ったり、花を載せて贈ったりしたことが、源氏物語など、多くの文学作品や歴史書に書かれている。武士階級では刀と同じ物と解釈され尊ばれた。またコンパクトに折り畳めるという利点が高く評価され、大航海時代には中国を経由して西洋にまで輸出され独自の発展を遂げ、17世紀のパリには扇を扱う店が150軒を数えるほど大流行したという。
 扇子を開いた形は、「末広がり」に通ずるので縁起のよいものとされ、めでたい席での引出物としても用いられている。
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